唐紅の風 ~平安の女流歌人の一生

naomikoryo

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第二十六話「花の行方」

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それは、一通の書簡と、一本の枝から始まった。

御所の南庭、初冬の手入れが行われていたある朝。
庭師の一人が、古びた梅の木の根元から巻き込まれた小さな巻子を見つけた。

和紙は薄く変色し、墨はところどころ滲んでいたが、そこに記された一首は、まだ読める状態だった。

さきそめて ちるともいはず ことのはを
おもひの花と たれが見るらむ

(“咲きそめて 散るともいはず”――)

その巻子は、白河院に届けられた。

読んだ院は眉をひそめ、巻子の来歴を問うた。
調べの結果、それが数年前、高子が清子に宛てた詞の写しであると判明した。

本来ならば、ふたりの間だけの「非公開の詞」だったはずのものが、なぜ御所の庭の梅の根元に埋まっていたのか。

噂は瞬く間に広がった。

「その花の詞は、ある“秘密の女房の関係”を示唆していたのではないか」
「いや、そもそもあれは、清子ではなく院に向けて詠まれた歌だったのでは」
「“咲いても散ったとは言わない”――それは、愛を隠す暗喩ではないのか」

詮索と誤解、好奇心と政治的思惑。
詞は再び、解釈の海に放り出された。

 

高子の元にその報が届いたのは、庭で雪の花を眺めていた午後だった。

巻子の写しを受け取ると、彼女はしばし見つめ、やがて、ふっと苦笑した。

「こんなにも静かな詞が、どうしてまた“火”になるのかしら」

「……詞が静かだからこそ、“見る者”が音を足してしまうのです」

いとは静かに答えた。

「この詞は、花のように落ち着いているのに、周囲がその“行方”を騒ぎ立てる」

「わたしはあのとき、ただ――“咲いても言葉にしない愛”を詠んだだけだったのに」

高子は目を伏せた。
その詞は、清子に向けたものではなかった。
かといって、院に向けたとも言い切れない。

それはまだ、自分自身も“言葉にできなかった感情”を、ただそっと置いたような詞だった。

「……でも、言葉にしなかった想いほど、誰かに拾われてしまうのね」

「ええ。“行方”を知りたい者にとって、沈黙こそが最も雄弁です」

 

その夜、高子は白河院に呼ばれた。

院は、例の巻子を手にしていた。

「この詞――お前は、誰に詠んだ?」

「……それを、いま申すことに、意味はございますか」

「意味はない。だが、“意図”は知りたい。
この詞は、今や都中の者が読む“鏡”となっている」

「ならば、わたしの意図よりも、読む者の心のほうが、真実に近いのでしょう」

しばしの沈黙。
院は小さく頷いた。

「そうだな。
詞とは、“書かれたとき”より、“読まれたとき”に命を得る」

高子は、ゆっくりと視線をあげた。

「では、今この詞が“火”になっているのは――
わたしが燃やしたのではなく、誰かが薪にしたからなのですね」

「うむ。
だが、薪はお前の詞であり、火もまた、お前の名に付く。
それを、受け入れる覚悟はあるか?」

高子は頷いた。

「はい。
“詞は残る”。そう詠んだ以上、
“残された詞がどう使われるか”までも、背負います」

そして、ひとつの詞を差し出した。

 

かかれしを なにとよむかは よしなきに
ことばの花は ふるきそらにも

 

――書かれた詞が、何に読まれるかは、わたしの外にある。
けれど、その“ふるさ”にこそ、香はある。

 

白河院はその詞を読んで、わずかに目を細めた。

「……“ことばの花”か。
行方がどうであれ、咲いたものは咲いたのだな」

「はい。
わたしはそれを、否定も訂正もいたしません」

 

数日後、高子のかつての詞は、「詞選抄」という公的な和歌集に正式に記録された。
欄外には、「作者不詳」と記されながらも、誰もがそれが高子のものであると知っていた。

そしてその隣に、女官がひそかに加えた一行があった。

「――この詞は、沈黙のあとの花である」

 

その夜、高子は庭に出て、氷の下の水面を見つめていた。

自分の詞が、誰かに読まれ、誤解され、騒がれ――
それでも、記録として残されていくという現実。

もう訂正も、否定もできない。

だからこそ、今日のこの一首を、未来の自分に宛てて書き記す。

 

みちしらぬ 花のゆくへを とはれども
のこせし詞 わが影ならむ

 

――たとえ行方がわからずとも、
残された詞こそが、わたしの“影”。

それが、真実かどうかではなく、
それが、“わたしの証”なのだ。

 

(続く)

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