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第二十七話「紅の道行(みちゆき)」
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冬のはじめ、高子は白河院に願い出た。
「しばし、詞の旅に出させてください。
一首でも、“都の風でない風”を詠みたく存じます」
白河院はそれを聞いて、しばらく黙し、やがてこう言った。
「詞は、風に似ておる。
都の風は甘く、時に毒を帯びる。
外の風は荒く、時にまことの香を運ぶ。
……行ってくるがよい。
だが、必ず一首をもって戻ってまいれ」
高子は深く頭を下げた。
こうして、冬の寒気をまといながら、
高子は紅の装束に軽い白を重ね、御所を離れた。
その姿は、誰にも告げられず、
ただいと一人がついていた。
向かったのは、京から東へ半日の里――
山に抱かれた小さな庵だった。
紅葉はすでに散り、山は裸木を晒していたが、
川のせせらぎがかすかに響き、風には香のない清澄な空気が満ちていた。
「……いと、都を離れて、まだ一日も経たぬのに」
「はい?」
「空が違って見えるの。
たぶんわたしの目が、やっと“誰かの目”から離れたから」
高子はふっと微笑んだ。
庵に着くと、火を焚き、湯を沸かし、
山菜と米だけの簡素な夕餉をとった。
夜は早く、音もなく。
障子の向こうからは、凍るような星の光が射し込んでくる。
高子は、久方ぶりに筆を持ち、
都での日々を一度、すべて紙の外に追いやるようにして書いた。
ことの葉に あらざるものを とふごとし
しろき風ふく 山のふところ
(この風は、詞を問わぬ。
詞をねじらず、もてあそばず、ただ通り過ぎていく)
それが、こんなにもありがたいと感じる日が来るとは――
翌朝、高子は一人で山を歩いた。
いとは庵に残り、焚き火の用意をしていた。
細い小道に、昨夜の霜が白く残っている。
小鳥の足跡がついては、消え、またついていく。
「……詞って、足跡に似ているわね」
独り言のように呟いた。
残そうとして残るものではない。
けれど、何かがそこを通ったという印にはなる。
ならば――
わたしの詞も、誰かの中に“通った記憶”として残っていれば、それでいい。
そう思ったとき、不意に一陣の風が吹き抜けた。
枝の先についた霜が散り、空に舞った。
その光景に、高子の中でひとつの詞が生まれた。
ふりそそぐ しものひかりに うたを知る
わすれらるるも みちのいとなみ
庵に戻った高子は、それを和紙にしたため、火鉢のそばでゆっくりと焙った。
あたたまる紙に、ことばの香が滲んでいく。
いとが湯を淹れているのを見ながら、ぽつりと語った。
「この数日で、ようやく“詞が静かに歩く”ことを知った気がするわ」
「姫様……都では、詞が“走って”いましたものね」
「そう。追われるように、追いかけるように、
意味を背負わせ、誤解を許し、評価を浴びながら」
「けれど、ここでは?」
「ここでは、詞が“ただ歩く”。
わたしのなかを、そっと、靴音も立てずに」
その晩、高子は一首の詞をしたためた。
それは、白河院に届けるための「旅の結びの一首」であった。
あゆみなき みちにもおとを しるすごと
わがことの葉は しろきつちふむ
翌日、高子は庵を後にした。
道中、雪が降り始めた。
けれどその雪は、どこか優しく、紅の裾を汚すこともなかった。
都が見えてきたとき、いとがふと尋ねた。
「姫様、都に戻れば、また……」
「ええ。
また、詞が試され、使われ、問われるでしょうね」
「それでも、詠みますか?」
高子は、ためらわずに頷いた。
「“しろき土を踏んだ”わたしの詞は、もう、誰のものにもならない」
こうして、紅の道行は終わった。
だがその足跡は、たしかに詞のなかに刻まれていた。
踏まれた雪の音。
ふりそそぐ霜の光。
誰の目にも映らぬ、わたしだけの詞の景色として。
(続く)
「しばし、詞の旅に出させてください。
一首でも、“都の風でない風”を詠みたく存じます」
白河院はそれを聞いて、しばらく黙し、やがてこう言った。
「詞は、風に似ておる。
都の風は甘く、時に毒を帯びる。
外の風は荒く、時にまことの香を運ぶ。
……行ってくるがよい。
だが、必ず一首をもって戻ってまいれ」
高子は深く頭を下げた。
こうして、冬の寒気をまといながら、
高子は紅の装束に軽い白を重ね、御所を離れた。
その姿は、誰にも告げられず、
ただいと一人がついていた。
向かったのは、京から東へ半日の里――
山に抱かれた小さな庵だった。
紅葉はすでに散り、山は裸木を晒していたが、
川のせせらぎがかすかに響き、風には香のない清澄な空気が満ちていた。
「……いと、都を離れて、まだ一日も経たぬのに」
「はい?」
「空が違って見えるの。
たぶんわたしの目が、やっと“誰かの目”から離れたから」
高子はふっと微笑んだ。
庵に着くと、火を焚き、湯を沸かし、
山菜と米だけの簡素な夕餉をとった。
夜は早く、音もなく。
障子の向こうからは、凍るような星の光が射し込んでくる。
高子は、久方ぶりに筆を持ち、
都での日々を一度、すべて紙の外に追いやるようにして書いた。
ことの葉に あらざるものを とふごとし
しろき風ふく 山のふところ
(この風は、詞を問わぬ。
詞をねじらず、もてあそばず、ただ通り過ぎていく)
それが、こんなにもありがたいと感じる日が来るとは――
翌朝、高子は一人で山を歩いた。
いとは庵に残り、焚き火の用意をしていた。
細い小道に、昨夜の霜が白く残っている。
小鳥の足跡がついては、消え、またついていく。
「……詞って、足跡に似ているわね」
独り言のように呟いた。
残そうとして残るものではない。
けれど、何かがそこを通ったという印にはなる。
ならば――
わたしの詞も、誰かの中に“通った記憶”として残っていれば、それでいい。
そう思ったとき、不意に一陣の風が吹き抜けた。
枝の先についた霜が散り、空に舞った。
その光景に、高子の中でひとつの詞が生まれた。
ふりそそぐ しものひかりに うたを知る
わすれらるるも みちのいとなみ
庵に戻った高子は、それを和紙にしたため、火鉢のそばでゆっくりと焙った。
あたたまる紙に、ことばの香が滲んでいく。
いとが湯を淹れているのを見ながら、ぽつりと語った。
「この数日で、ようやく“詞が静かに歩く”ことを知った気がするわ」
「姫様……都では、詞が“走って”いましたものね」
「そう。追われるように、追いかけるように、
意味を背負わせ、誤解を許し、評価を浴びながら」
「けれど、ここでは?」
「ここでは、詞が“ただ歩く”。
わたしのなかを、そっと、靴音も立てずに」
その晩、高子は一首の詞をしたためた。
それは、白河院に届けるための「旅の結びの一首」であった。
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わがことの葉は しろきつちふむ
翌日、高子は庵を後にした。
道中、雪が降り始めた。
けれどその雪は、どこか優しく、紅の裾を汚すこともなかった。
都が見えてきたとき、いとがふと尋ねた。
「姫様、都に戻れば、また……」
「ええ。
また、詞が試され、使われ、問われるでしょうね」
「それでも、詠みますか?」
高子は、ためらわずに頷いた。
「“しろき土を踏んだ”わたしの詞は、もう、誰のものにもならない」
こうして、紅の道行は終わった。
だがその足跡は、たしかに詞のなかに刻まれていた。
踏まれた雪の音。
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誰の目にも映らぬ、わたしだけの詞の景色として。
(続く)
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