春燈に咲く

naomikoryo

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番外編:④あの春の日の灯り

「うららを、蓬莱屋に……?」

隣町の口利きの者がそう口にした時、
市蔵は茶碗を持った手を止めた。

「そりゃあ、えらい話じゃないか!」

「蓬莱屋っていやあ、江戸でも知られた呉服屋だべ?」

「うちの娘が、そんなとこで務まるのかや……」

「――務まるさ」

隣で静かに茶をすすっていたおとせが、ぽつりと呟いた。

「うららは、誰よりも働き者だよ」

「……そうだな」

市蔵は茶碗を置いて、天井を見上げた。

(そうだ、あの子は)

(泣かず、騒がず、黙って黙々と働く)

(誰かが風邪を引けば、煮込みを作って持っていくし)

(弟たちが喧嘩をすれば、どっちの言い分も聞いて丸め込む)

(春に生まれて、“うらら”と名付けたのは俺だが――)

(あの子自身が、春のような灯りになったんだ)

奉公に出る朝、うららは町の方角をじっと見つめていた。

「……緊張してんのか?」

市蔵が声をかけると、
うららは少しだけ笑って、首を振った。

「楽しみです」

「ほう」

「けど、ちょっぴり寂しいです」

おとせが目頭を押さえながら言った。

「……帰ってきても、いいんだよ」

「うん。でも、できれば帰らずに済むように、頑張る」

「……立派になったねぇ」

そう言いながら、
市蔵は頭をぐしゃっと撫でた。

(たまらんな)

(こんな小さな背中が、もう親元を離れていく)

(これでいい。いいんだ……)

なのに、足が重かった。
道すがら何度も後ろを振り返ってしまいそうになった。

「帰ったよ、とうちゃん!」

夕方、裏の畑で鍬を振るっていると、
玄関先から声がする。

走ってきたのは末っ子の弥七で、
手に何か包みを抱えていた。

「うらら姉から、これ……!」

「……お?」

包みを開けると、そこには布巾が一枚と、
丁寧な文字で綴られた短い文があった。

 

 とうちゃん、かあちゃんへ
 あたしは元気です。蓬莱屋の台所はとっても大きくて、
 野菜の切り方がすこし違っていて、戸惑ってます。
 でも、覚えることがあるのは楽しいです。
 まだ褒められることは少ないけれど、
 失敗したとき、女将さんが「次はできるようになりなさい」と言ってくれました。
 それが、すごく嬉しかったです。
 うまくできたら、また報告します。
 寒さに気をつけて、畑仕事、がんばってください。
 
 うらら

 

「……っ」

思わず手が震える。

「なぁ、とうちゃん」

「ん?」

「うらら姉、かっけぇなぁ……」

「……ああ」

市蔵は、涙を見られぬように、
背を向けて空を見上げた。

春の終わりの風が、
木々の間を吹き抜けていた。

◆◇◆

それから、季節は流れた。

村にはうららの噂が少しずつ届くようになった。

「蓬莱屋の若女将、元はこの村の娘なんだってよ」

「神谷家の次女の、うららちゃんだろ?」

「なんでも町で評判らしいよ」

そう言われるたびに、
市蔵は「はは」と笑って背を掻く。

けれど家の裏では、
古い桐の箱の中に、うららからの手紙を一通一通、大切にしまっている。

おとせもまた、
うららが送ってきた布巾や、少し歪な刺し子の袋を、箪笥の奥に並べている。

「……あの子が帰ってきたときに、“ちゃんと使ってたよ”って見せるんだ」

「……母ちゃん」

「ばかだねぇ、もう嫁に行ったってのに」

「……うん、でも、あたしも見せたいよ」

弥七が、ぽつりとそう言った。

市蔵は、その言葉が胸に沁みた。

◆◇◆

うららの祝言の日。

親類も村人も連れて、蓬莱屋に赴いた。

立派な暖簾の前で、
白無垢姿のうららが、深く頭を下げて迎えてくれた。

「とうちゃん、かあちゃん、今日までありがとう」

その顔が、まぶしくて。

誇らしくて。

少し、遠くなっていた。

(……春に生まれてくれて、ありがとう)

市蔵は、そう心の中でつぶやいた。

その夜、囲炉裏の前で、
炭の火を見つめながら呟いた。

「うららの灯は、強ぇな……」

「……うん、春の灯は、あったかいねぇ」

おとせの言葉に、
二人はただ黙って頷いた。

灯火は、遠くにいても、
こんなにもあたたかいものなのだ。
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