真夜中の出会い

naomikoryo

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第1話:白夜に現れた彼女

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深夜、デザインルームには静かな時間が流れていた。

 ミシンの音も止まり、コピー機も沈黙し、エアコンの低いうなり声だけが空間を満たしている。
 忙しかった日中の喧騒が嘘のように消え、まるで世界に怜司ただ一人だけが取り残されたようだった。

 結城怜司(ゆうき れいじ)、27歳。
 ウエディングドレスのデザイナーとして、都内の有名アトリエで働いていた。

 「今日もまた……」

 大きなため息を吐く。
 気づけば、時計の針はすでに夜中の12時を回っていた。

 徹夜続きのこの数週間、怜司の生活は完全に仕事中心になっていた。
 次の展示会に出す新作ドレスのデザイン、それに合わせたサンプル制作──
 彼に課された期待は大きかったが、そのぶん重圧も計り知れなかった。

 眠気と疲労で重くなった頭を抱えながら、怜司はデザインボードに向き直った。

 スケッチは、何度も描いては消し、描いては破り捨てた。

 理想と現実の狭間で、どうしても納得できるラインが引けない。

 (……何か、足りない)

 焦燥感だけが積み上がっていく。

 そんなときだった。

 カタン、とドアの開く小さな音がした。

 怜司は驚いて振り返った。

 そこに立っていたのは──見知らぬ女性だった。

 ***

 白く輝くワンピースに、淡いブルーのカーディガン。
 長い黒髪を肩に流し、華奢な体に柔らかな空気をまとったその女性は、どこか非現実的な美しさを持っていた。

 手には、湯気の立つ紙コップ。

「こんばんは。お疲れ様です」

 女性は、優しく微笑みながら近づいてきた。

 怜司は、思わず身構えた。

「……誰?」

 問いかけると、彼女は少し困ったように笑った。

「あ……すみません。新人の夜間派遣です。今日からお世話になります」

 夜間派遣?
 そんな話、聞いてない。

 訝しむ怜司をよそに、彼女はすっとコーヒーを差し出してきた。

「よかったら、どうぞ」

 戸惑いながらも、怜司は紙コップを受け取った。
 掌に伝わる温もりが、妙に現実味を帯びて感じられた。

「……ありがとう」

 思わず礼を言うと、彼女は嬉しそうに笑った。

「ここ、夜はとても静かですね」

 コーヒーを一口飲みながら、彼女は周囲を見渡した。

 広々としたアトリエの中央には、真新しいドレスたちが飾られたマネキンがいくつも立っている。

 どれもまだ製作途中だが、白い布地に施されたレースやビーズの繊細な細工は、夜の照明に淡く光っていた。

「……ドレス、お好きなんですか?」

 怜司は、ふと尋ねた。

 彼女は一瞬だけ目を見開き、すぐににっこりと頷いた。

「大好きです。
 ──ドレスは、人を幸せにする魔法だと思います」

 その言葉に、怜司の胸が不意にざわついた。

 ドレスは、魔法。

 昔、まだ駆け出しだった頃、彼自身もそんなふうに信じていた気がする。

 でも、忙しさと責任に追われる今、その気持ちはどこかに置き去りにしてしまっていた。

 怜司は、思わずコーヒーに視線を落とした。

 (……何だ、この感じ)

 不思議と、心の重荷が少しだけ軽くなった気がした。

 ***

「ミサって言います」

 彼女は、ペコリと小さく頭を下げた。

「結城怜司です。ドレスデザイナーやってます」

 ぎこちない自己紹介に、ミサはクスッと笑った。

「知ってますよ。あなたのドレス、すごく素敵です」

 怜司は耳まで熱くなった。

「そ、そんなこと……」

「本当です」

 ミサはきっぱりと言った。

 その言葉には、無垢な真実味があった。

 誰にどう見られるかを気にして、作品を作るようになっていた自分。
 でもこの目の前の少女は、ただ「綺麗だから」と、心から言ってくれている。

 それが、たまらなく嬉しかった。

 ***

 時計を見ると、すでに深夜1時を回っていた。

「そろそろ帰ったほうがいいんじゃないか?
 派遣なのに、こんな時間まで残ってていいのか?」

 怜司が尋ねると、ミサは首を横に振った。

「大丈夫です。私は、夜の間だけのお仕事ですから」

 「夜の間だけ」という言葉に、また微かな違和感を覚えた。

 でも、彼女はそれ以上多くを語ろうとしなかった。

 そして、ふわりと笑いながら言った。

「また、明日も来ますね」

 怜司が何か言う前に、ミサは静かに部屋を後にした。

 その背中は、どこか儚く、夢の中に溶けてしまいそうだった。

 ***

 翌朝、怜司はオフィスの同僚に尋ねてみた。

「昨日の夜から新人派遣、来てるって話、知ってる?」

 同僚は首を傾げた。

「派遣? そんなの聞いてないけど?」

 怜司は言葉を失った。

 じゃあ、あのミサは──

 冗談だろ、と思いたかった。

 けれど、彼女の笑顔も、声も、あまりに鮮明に覚えている。

 それは、確かにあった時間だった。

 怜司は、ドレスルームに向かった。

 静まり返った空間。
 並ぶマネキンたち。
 そして──

 一体のマネキンが、ふわりと微笑んでいるように見えた。

 ──また、今夜。

 心のどこかで、そんな予感がした。
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