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第2話:夜にだけ咲く友情
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夜が更け、オフィスのビルはまるで眠りに落ちたように静まりかえっていた。
結城怜司は、またもや一人でデザインルームに残っていた。
誰もいない広いフロア。天井の蛍光灯は半分だけ灯り、空気は妙に冷たく乾いていた。
怜司はスケッチブックを開き、新しいドレスのデザインに取りかかっていた。
けれど、筆は進まなかった。
心が、昨日のことばかりを思い出していたからだ。
──ミサ。
夜中に現れた、不思議な女性。
新人派遣と名乗りながらも、誰もその存在を知らず、タイムカードにも名前はない。
それでも、怜司にははっきりとわかっていた。
彼女は、たしかにここにいた。
優しく微笑みながら、コーヒーを差し出してくれた。
そして、あたたかい言葉で、心を軽くしてくれた。
あれが夢だったなんて、到底思えない。
ふと、時計を見る。
──午前0時、ちょうど。
カタン。
ドアの向こうから、小さな音がした。
怜司は胸が高鳴るのを抑えきれず、立ち上がった。
「……ミサ?」
そっと呼びかけると、案の定、そこには昨日と同じ姿の彼女がいた。
白いワンピース。
淡いブルーのカーディガン。
長い黒髪を夜風になびかせ、優しく微笑んでいる。
「こんばんは、怜司くん」
その声だけで、怜司は息が詰まりそうになった。
やっぱり、彼女は存在している。
夢なんかじゃない。
***
ミサは、昨日と同じようにコーヒーを持ってきていた。
怜司は自然とそれを受け取った。
「ありがとう」
「いえいえ、今日も頑張ってますね」
ミサは、子供みたいに無邪気に笑った。
怜司は、スケッチブックを閉じ、椅子を引いてミサを招いた。
「……ちょっと休憩しない?」
「いいんですか?」
ミサは嬉しそうに瞳を輝かせ、隣の椅子にちょこんと座った。
どこか場違いなほどに華奢な彼女の姿に、怜司は思わず頬を緩めた。
「ここに来るの、楽しみにしてたんだ」
ミサがぽつりと呟く。
「毎晩、怜司くんが頑張ってるのを見てると、なんだか私まで元気をもらえる気がするんです」
「俺なんかの、何を見て元気が出るんだよ」
怜司は、苦笑しながら言った。
ミサは、まっすぐに彼を見つめた。
「だって……怜司くんのドレスには、誰かの幸せを願う気持ちがいっぱい詰まってる。
そんなふうに、一生懸命誰かのために何かを作れる人って、すごいと思う」
その言葉に、怜司は言葉を失った。
誰かに、そんなふうに言われたのは初めてだった。
今まで、ドレスのデザインに対して評価はされたことがある。
でもそれは「技術」とか「センス」とか、表面的なものばかりだった。
心の奥にあるものまで見てくれた人なんて、いなかった。
──ミサだけは、違う。
怜司は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
***
「怜司くんは、どうしてドレスを作る人になろうと思ったんですか?」
ミサがコーヒーを一口飲みながら尋ねた。
怜司は、少し考えてから答えた。
「……母さんの影響かな」
「お母さん?」
「ああ。母さん、昔、ウエディングドレスの仕立て屋だったんだ」
懐かしい記憶が蘇る。
小さなアトリエで、母が白い布に針を通す姿。
静かにミシンを踏みながら、誰よりも楽しそうに笑っていた顔。
「母さんが作ったドレスを着た花嫁が、すごく幸せそうに笑ってるのを見たんだ。
それが、たぶん原点」
ミサは、じっと怜司を見つめていた。
「素敵ですね」
「……そうかな」
「ええ。怜司くんも、きっと、誰かの『大切な日』を作ってるんですよ」
その言葉に、怜司は思わず笑った。
「……ミサ、褒めすぎだろ」
「本当のことです」
ミサは、ふわりと笑った。
その笑顔が、夜の静寂にふんわりと溶けていく。
気づけば、怜司も自然と笑っていた。
疲れ切っていたはずの心が、
癒やされ、ほぐれていく。
ミサと話すこの時間が、怜司にとって何よりの救いになっていた。
***
ふと、ミサが窓の外を見た。
「もうすぐ、朝になりますね」
怜司も時計に目をやる。
午前3時過ぎ。
空がうっすら白み始めていた。
「そろそろ帰らないと」
ミサは立ち上がった。
その背中に、怜司はとっさに声をかけた。
「……また、明日も来る?」
ミサは、ふり向いて微笑んだ。
「もちろん」
その答えに、怜司の胸はほっとしたように緩んだ。
また会える。
それだけで、今日も頑張れる気がした。
ミサは、静かにドアの向こうへ消えていった。
まるで、
夢の中に溶けていくみたいに。
***
夜にだけ咲く、ふたりの友情。
まだ、このとき怜司は知らなかった。
彼女が抱える、
切なくも美しい秘密を。
けれど、それは今はまだ、
ただあたたかい春のような時間だった。
彼女がいてくれることが、
この世界でいちばんの救いだった。
結城怜司は、またもや一人でデザインルームに残っていた。
誰もいない広いフロア。天井の蛍光灯は半分だけ灯り、空気は妙に冷たく乾いていた。
怜司はスケッチブックを開き、新しいドレスのデザインに取りかかっていた。
けれど、筆は進まなかった。
心が、昨日のことばかりを思い出していたからだ。
──ミサ。
夜中に現れた、不思議な女性。
新人派遣と名乗りながらも、誰もその存在を知らず、タイムカードにも名前はない。
それでも、怜司にははっきりとわかっていた。
彼女は、たしかにここにいた。
優しく微笑みながら、コーヒーを差し出してくれた。
そして、あたたかい言葉で、心を軽くしてくれた。
あれが夢だったなんて、到底思えない。
ふと、時計を見る。
──午前0時、ちょうど。
カタン。
ドアの向こうから、小さな音がした。
怜司は胸が高鳴るのを抑えきれず、立ち上がった。
「……ミサ?」
そっと呼びかけると、案の定、そこには昨日と同じ姿の彼女がいた。
白いワンピース。
淡いブルーのカーディガン。
長い黒髪を夜風になびかせ、優しく微笑んでいる。
「こんばんは、怜司くん」
その声だけで、怜司は息が詰まりそうになった。
やっぱり、彼女は存在している。
夢なんかじゃない。
***
ミサは、昨日と同じようにコーヒーを持ってきていた。
怜司は自然とそれを受け取った。
「ありがとう」
「いえいえ、今日も頑張ってますね」
ミサは、子供みたいに無邪気に笑った。
怜司は、スケッチブックを閉じ、椅子を引いてミサを招いた。
「……ちょっと休憩しない?」
「いいんですか?」
ミサは嬉しそうに瞳を輝かせ、隣の椅子にちょこんと座った。
どこか場違いなほどに華奢な彼女の姿に、怜司は思わず頬を緩めた。
「ここに来るの、楽しみにしてたんだ」
ミサがぽつりと呟く。
「毎晩、怜司くんが頑張ってるのを見てると、なんだか私まで元気をもらえる気がするんです」
「俺なんかの、何を見て元気が出るんだよ」
怜司は、苦笑しながら言った。
ミサは、まっすぐに彼を見つめた。
「だって……怜司くんのドレスには、誰かの幸せを願う気持ちがいっぱい詰まってる。
そんなふうに、一生懸命誰かのために何かを作れる人って、すごいと思う」
その言葉に、怜司は言葉を失った。
誰かに、そんなふうに言われたのは初めてだった。
今まで、ドレスのデザインに対して評価はされたことがある。
でもそれは「技術」とか「センス」とか、表面的なものばかりだった。
心の奥にあるものまで見てくれた人なんて、いなかった。
──ミサだけは、違う。
怜司は、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
***
「怜司くんは、どうしてドレスを作る人になろうと思ったんですか?」
ミサがコーヒーを一口飲みながら尋ねた。
怜司は、少し考えてから答えた。
「……母さんの影響かな」
「お母さん?」
「ああ。母さん、昔、ウエディングドレスの仕立て屋だったんだ」
懐かしい記憶が蘇る。
小さなアトリエで、母が白い布に針を通す姿。
静かにミシンを踏みながら、誰よりも楽しそうに笑っていた顔。
「母さんが作ったドレスを着た花嫁が、すごく幸せそうに笑ってるのを見たんだ。
それが、たぶん原点」
ミサは、じっと怜司を見つめていた。
「素敵ですね」
「……そうかな」
「ええ。怜司くんも、きっと、誰かの『大切な日』を作ってるんですよ」
その言葉に、怜司は思わず笑った。
「……ミサ、褒めすぎだろ」
「本当のことです」
ミサは、ふわりと笑った。
その笑顔が、夜の静寂にふんわりと溶けていく。
気づけば、怜司も自然と笑っていた。
疲れ切っていたはずの心が、
癒やされ、ほぐれていく。
ミサと話すこの時間が、怜司にとって何よりの救いになっていた。
***
ふと、ミサが窓の外を見た。
「もうすぐ、朝になりますね」
怜司も時計に目をやる。
午前3時過ぎ。
空がうっすら白み始めていた。
「そろそろ帰らないと」
ミサは立ち上がった。
その背中に、怜司はとっさに声をかけた。
「……また、明日も来る?」
ミサは、ふり向いて微笑んだ。
「もちろん」
その答えに、怜司の胸はほっとしたように緩んだ。
また会える。
それだけで、今日も頑張れる気がした。
ミサは、静かにドアの向こうへ消えていった。
まるで、
夢の中に溶けていくみたいに。
***
夜にだけ咲く、ふたりの友情。
まだ、このとき怜司は知らなかった。
彼女が抱える、
切なくも美しい秘密を。
けれど、それは今はまだ、
ただあたたかい春のような時間だった。
彼女がいてくれることが、
この世界でいちばんの救いだった。
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