怪奇蒐集帳(短編集)

naomikoryo

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08)影踏み

その出来事が起きたのは、今から十数年前のことだ。

 私は当時、地方の新聞社で働いていた。主に文化・歴史の取材を担当していたが、時折、地元に伝わる怪談や都市伝説を特集することもあった。

 そんなある日、「ある町の旧道で奇妙な現象が起きている」という情報が入った。

「夜中にあの道を歩くと、知らない影が後ろについてくる」

「その影を踏んでしまったら、二度と戻れない」

 当時は「どうせ迷信だろう」と軽く考えていた私は、その真相を確かめるため、一人で現地へ向かうことにした。

***********************************

 噂の旧道は、町の郊外にあった。
 昔は主要道路だったらしいが、現在はほとんど使われておらず、草が生い茂っている。街灯もなく、夜は完全な闇に包まれるという。

「……なるほど、確かに不気味な雰囲気だな」

 取材用のカメラを構えながら、私は道を進んでいった。

 まだ夕暮れ時だったが、すでに薄暗く、遠くの木々がぼんやりと黒く霞んで見える。

 道の端には、朽ち果てた祠があった。

 私は祠の前で立ち止まり、手を合わせた。こういう場所では、妙なものを連れて帰らないためにも、挨拶しておくのが鉄則だ。

 再び歩き出そうとしたとき、不意に誰かの視線を感じた。

 振り返るが、誰もいない。

 だが、違和感があった。

 自分の影が、さっきより長く伸びている。

「……気のせいか?」

 私は首を傾げつつも、そのまま歩き続けた。

 しかし、それから数分後——

 異変に気がついた。

影が、二つになっていたのだ。

 私は立ち止まり、改めて確認した。

 足元には、自分の影。

 そして、その隣にもうひとつ、微かに揺れる影がある。

「……誰か、いるのか?」

 あたりを見回すが、誰の姿もない。

 影は、まるで私に寄り添うように伸びている。

 気のせいだろうか?

 私は、意識しないようにしながら歩き続けた。

 しかし——

 次の瞬間、足元で何かが動いた。

影が、こちらへ向かってきたのだ。

 反射的に後ずさった瞬間、足がもつれ、私は転倒した。

 とっさに地面に手をついたが、その時——

 私は、その影を踏んでしまった。

 影を踏んだ瞬間、世界が歪んだ。

 周囲の景色がぐにゃりと揺れ、視界がぼやける。

 耳鳴りがし、頭が割れそうに痛む。

「……っ!」

 何が起こったのか分からない。

 私は立ち上がり、周囲を見渡した。

 すると——

 道が消えていた。

 いや、正確には、道が見知らぬ場所に変わっていた。

 そこは、どこまでも続く灰色の地面。

 空は黒く、星も月もない。

 私は、全身が粟立つのを感じた。

「……戻らなきゃ」

 私は慌てて歩き出した。

 しかし、歩いても歩いても、景色は変わらない。

 背後を振り返ると——

 さっき踏んだ影が、ゆっくりと膨れ上がりながら、形を変えようとしていた。

 影は、ゆっくりと人の形を取り始めていた。

 いや、正確には——

 私と同じ姿になろうとしていた。

 顔はまだ歪んでいたが、輪郭や髪型は私そのものだった。

「……やめろ」

 私は後ずさった。

 だが、影は確実に形を整えていく。

 そして、影はゆっくりと顔を上げた。

 その目は、真っ黒な闇だった。

「……帰れ」

 影が囁いた。

 その瞬間、視界が暗転した。

 気がつくと、私は旧道の入り口にいた。

 あたりはすでに夜だった。

 あの灰色の世界はどこへ消えたのか?

 私は震える手で時計を見た。

 時間が三時間も経っていた。

 私は、急いで車に戻った。

 しかし、車に乗り込む直前、あることに気づいた。

 影が、消えていたのだ。

***********************************

 それからというもの、私は奇妙な異変に悩まされるようになった。

 夜になると、部屋の隅に違和感を覚える。

 自分の影が、微かに遅れて動いているのだ。

 まるで、影が別の意思を持っているかのように——。

 ある夜、私は夢を見た。

 あの旧道に立つ自分。

 そして、その向こうに、私と同じ姿をした影が微笑んでいる。

 影は、ゆっくりと囁いた。

「……お前の代わりに行ってやった。次は、お前の番だ」

 目が覚めると、部屋の隅に、ほんの少しだけ違う形の影が伸びていた。

 あの日から、私は決して夜道を歩かない。

 なぜなら、影は今も私を待っているのだから——。

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