怪奇蒐集帳(短編集)

naomikoryo

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50)沈む町(富山県)

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富山県には、古くから海と共に生きる漁師町が点在している。
 しかし、その中には決して語られてはならない町があるという。

 「海に沈んだ者は、決して陸へ戻ってこられない」

 そして、ある夜——
 その言い伝えを信じなかった若者が、恐ろしい体験をすることになった。

***********************************

 Mさん(35歳)は、富山県のある漁師町で生まれ育った。

 彼の家は代々漁師を営んでおり、父も祖父も漁師だった。

 しかし、この町には奇妙な禁忌があった。

 「夜の海には決して出るな」

 幼い頃から、そう言われ続けてきた。

 「夜の海には“戻らぬ者”がいる」
 「もし名前を呼ばれても、決して返事をしてはいけない」

 そんな話を、Mさんは迷信だと思っていた。

 しかし——
 ある年、彼の父が漁の最中に忽然と姿を消したのだった。

 それは、霧の濃い冬の夜だった。

 Mさんの父は、仲間と共に漁に出たが、未明になっても戻らなかった。

 心配した漁師たちが船を出して探しに行くと——

 父の乗っていた船は、海の上にぽつんと浮かんでいた。

 船の上には、誰もいなかった。

 漁師仲間の遺体も見つからず、ただ波に揺れる船だけが残されていたという。

 しかし、不思議なことがあった。

 船の床には、濡れた無数の足跡がついていたのだ。

 まるで、何者かが船に這い上がったような跡が——。

 それから数年後——。

 Mさんは、漁師を継ぎ、父と同じように海へ出るようになった。

 禁忌など信じていなかったが、漁師たちは今でも「夜の海には出るな」と言い続けた。

 だが、その言葉を無視してしまったのがあの夜だった。

 その日は冬の嵐の前兆で、海は不気味なほど静かだった。

 Mさんは、漁を終えた後、少し沖へ船を進めていた。

 そして——

 「……おーい……」

 背後から、かすかな声が聞こえた。

 「……?」

 誰もいないはずの海で、確かに自分の名前を呼ぶ声がした。

 Mさんは、波間を見渡した。

 すると、船のすぐそばに——

 人影が立っていた。

 海の上に、男が一人、静かに佇んでいる。

 Mさんは、息を呑んだ。

 「父……?」

 確かに、それは海で消えたはずの父親だった。

 だが、異様だったのは——

 父の顔が、真っ黒に沈んでいたことだった。

 Mさんは、動けなかった。

 「……お前も、こっちへ来い……」

 父の声は、異様に低く響いた。

 Mさんの全身が、凍りついた。

 そして、次の瞬間——

 バシャッ!

 水面から、無数の白い手が伸びてきた。

 それは、Mさんの船を引きずり込もうとしていた。

 沈んだ者たちの手だった。

 Mさんは、本能的にエンジンをかけ、全速力で船を走らせた。

 「うわあああああ!」

 水面から伸びた手が、次々と船を掴もうとする。

 波が荒れ、エンジン音が響く中——

 Mさんは、決して後ろを振り返らなかった。

 もし振り向けば——

 「沈んだ者」の顔が、すぐ背後にあったかもしれない。

 翌朝、Mさんは港に戻った。

 しかし、彼の船の甲板には濡れた足跡が残っていた。

 まるで、何者かがそこに立っていたように。

 その後、Mさんは漁師を辞め、町を出た。

 だが、今でも冬になると、故郷の海では漁師たちが失踪するという。

 そして——

 ある漁師が言った。

 「沈んだ者たちは、まだ“仲間”を探しているんだ」

***********************************

 もし、あなたが富山の漁師町を訪れるなら——

 決して、夜の海を覗いてはいけない。

 そして、もし——

 「おーい……」と呼ぶ声が聞こえても、決して返事をしてはいけない。

 なぜなら、その瞬間——

 あなたも、海の底へ沈められてしまうのだから。
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