怪奇蒐集帳(短編集)

naomikoryo

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105)足無川(あしなしがわ)

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1
 これは、私の曾祖父が若い頃に体験した話だ。

 曾祖父が生まれ育った村には、「足無川(あしなしがわ)」と呼ばれる小川があった。

 水は澄んでおり、魚もよく獲れた。だが、村人は決してその川には近づかなかった。

 なぜなら、足無川には妖(あやかし)が棲んでいると信じられていたからだ。

 川のそばで遊んでいた子供がいなくなる。夜に川沿いを歩くと、後ろから誰かがついてくる。そんな話が昔から伝わっていた。

 「足無川に入ったら、足を取られるぞ」

 そう言われ、村の者たちは決して川の水に触れようとはしなかった。

2
 だが、ある夏の日。

 曾祖父の友人である**徳三(とくぞう)**が、川で遊ぼうと提案した。

 「なあ、あの川、本当に危ないのか? 俺、確かめてみたいんだ」

 曾祖父を含め、村の子供たちは止めたが、徳三は聞かなかった。

 「妖怪がいるなんて迷信だろ? それに、魚もいるんだし、ちょっとくらいなら大丈夫だって」

 そう言って、徳三は川の浅瀬に足を踏み入れた。

 水は冷たく、透き通っていた。

 「ほら、なんともないだろ?」

 徳三は笑った。

 ――その瞬間だった。

 川底から、白い手がすっと伸びた。

3
 「うわっ!」

 徳三は驚き、慌てて足を引こうとした。

 だが、白い手は彼の足首をしっかりと掴んでいた。

 手は、異様に長く、骨ばっていた。爪が異常に長く、川の水にゆらゆらと揺れている。

 「誰かいるのか!?」

 曾祖父が叫ぶが、川の中には徳三以外誰もいない。

 そして――

 手が、もう一本伸びてきた。

 それもまた、徳三の足を掴む。

 「やめろ! 離せ!」

 徳三は必死に暴れた。だが、その手はますます強く彼を引きずり込もうとする。

 そして、川の中から――

 「……かえせ……」

 かすれた声が聞こえた。

4
 曾祖父たちは恐怖に駆られ、徳三の腕を掴んで引っ張った。

 「徳三! しっかりしろ!」

 だが、白い手の力は異常だった。

 水の中で何かがうごめく。

 徳三の足元を見ると、川底から、無数の目がこちらを睨んでいた。

 白く濁った目、黒く落ち窪んだ目、どれも人間のものではない。

 「お前……だれだ……?」

 曾祖父は、思わずそう呟いた。

 すると、川の底から、女のようなものがゆっくりと浮かび上がってきた。

 顔がなかった。

 目も鼻も口もなく、ただ白い皮膚が広がっている。

 「……かえせ……かえせ……」

 女は、徳三の足を強く引き込んだ。

5
 「逃げろ!」

 曾祖父たちは徳三の腕を全力で引き、ようやく川から引きずり出した。

 徳三の足には無数の青白い手の跡が残っていた。

 川の中を見ると、白い女がじっとこちらを見つめていた。

 そして、ゆっくりと沈んでいった。

 その後、徳三は高熱を出し、三日三晩うなされた。

 「かえせ……かえせ……」

 うわごとのように、何度もそう呟いていたという。

6
 後に、曾祖父は村の古老から、足無川の言い伝えを聞かされた。

 昔、この村では口減らしのため、川に子供を流す風習があったという。

 流された子供たちは、川の底で溺れ、やがて何かに変わった。

 そして、今でも川に人が入ると、自分たちの代わりに引きずり込もうとするのだと。

 「だから、お前たちは川には近づくな」

 曾祖父はその話を聞き、二度と足無川には近寄らなかったという。

 だが――

 あの日以来、川のそばを通ると、必ず誰かが呼ぶ声がする。

 「かえせ……かえせ……」
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