掃除屋アリサの清くない日々

naomikoryo

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第三話『一人暮らし未遂の少女』

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ユイは、まばたきの回数が人より明らかに少ない。

「いいですか? 口出しは最小限に。依頼人に余計な感情移入をしないこと。作業中の私語は禁止」

森岡課長の事務的な説明にも、彼女はただ「はい」と一言だけ答えた。目だけが、すべてを見透かすように鋭く光っていた。

今日がユイの初現場同行日。アリサは、彼女の清掃ユニフォーム姿を見て「似合ってる」と思ったが、口には出さなかった。

依頼があったのは、下町の古い一軒家。
依頼主は中学2年生の少年――松崎蓮(れん)。両親を早くに亡くし、祖母と二人暮らしだという。だが、連絡を寄越したのは彼自身で、

「祖母が汚す部屋を、どうにかしたいんです」

という異例の内容だった。

 

***

 

「あ……あの、こっちです」

蓮は、少し猫背の少年だった。声はか細いが、目だけはまっすぐだった。

築50年は超える平屋の玄関を開けた瞬間、アリサたちは息を呑んだ。

廊下には新聞紙が絨毯のように敷き詰められ、台所には半年前のカレー鍋が鍋ごと眠っていた。居間には服とチラシが山を成している。そして奥の部屋に見えるのは、うずくまる老人の背。

「祖母は、……最近はほとんど、寝室から出てきません。話しかけると怒るんです」

蓮はそう言ったが、その声には“哀しさ”より“諦め”が滲んでいた。

ユイがふと、横目で蓮を見た。

「君、何歳?」

「……14です。もうすぐ15」

「自立願望、強そう」

「え?」

「うちの親と同じだ。突然いなくなったくせに、いまだに家の中には足跡ばかり残してる」

「……」

蓮は答えなかったが、手がわずかに震えていた。

 

***

 

「新聞紙の敷き詰めは典型的ですね。足音を消したい、という無意識の現れです」

森岡が部屋の中を見渡しながら呟いた。

「あるいは、過去を“保存”したい人がやる行動でもある。年月日が書かれた紙は、記録としての役割も果たす」

アリサは黙って頷いた。

台所のシンクには、黴びた食器が数十枚重なっている。水も出ない。給湯器も壊れて久しいようだった。

蓮の祖母――澄子さん(78)は、ふと顔を上げると、アリサたちを鋭く睨みつけた。

「……他人を家に入れるなんて、あの子は馬鹿だよ。片付ける必要なんて、ない」

「理由を、聞いてもいいですか」

アリサが静かに尋ねると、澄子は微かに笑った。

「わたしはね、この“匂い”が好きなのよ。生きてる気がするの。新聞のインクの匂い、湿った衣類の臭い……これがあるから、わたしは今日も生きてる」

「誰かと一緒に?」

「いや。わたし自身と、よ」

その言葉に、アリサはどこかで自分と似た“反響”を感じた。

 

***

 

作業は3時間を要した。
ユイは黙々と段ボールを組み立て、缶とビンを分別していた。だが、時折、ちらりと蓮の背を見ていた。

アリサがキッチンの引き出しから、封筒の束を見つけた。

すべて未開封。差出人は「社会福祉協議会」「介護支援センター」「市役所」など。

「祖母さん、助けを拒絶してたんですね。制度の匂いが嫌だったのかもしれない」

「……綺麗にされるって、殺されるような気がするって、言ってました」

蓮の言葉に、ユイが突然立ち上がった。

「蓮くん」

「……はい?」

「あなた、自分の居場所を作ろうとしてるよね。でもね、誰かの“居場所”を奪ってまでは作っちゃいけない」

「……でも、じゃあ、僕はどうしたら……」

「誰にも答えなんか出せない。わたしだって、いまだに“自分の部屋”って言える場所、ないもん」

ユイは、静かに続けた。

「でも、少なくとも。誰かの“匂い”を消す前に、その人の“生き方”に敬意は払った方がいい。掃除って、そういう仕事だから」

蓮はその言葉を、深く深く飲み込んでいった。

 

***

 

帰りの車中。ユイはぽつりと呟いた。

「わたしさ、最近やっとわかった。きれいにするってこと、誰かの命に触るってことなんだよね」

「……最初にしては、悪くなかったわよ」

アリサが答えると、ユイは小さく微笑んだ。

「わたし、片付けるより、残す方が難しいと思ってた。けど今日、ちょっとわかった気がする。“汚れ”って、案外、誠実なんだね」

 

***

 

その夜。蓮は祖母の寝室にそっと入った。

「……ばあちゃん、僕、今夜だけ一緒に寝てもいい?」

その問いに、澄子はしばらく黙っていたが、小さく「ん」と頷いた。

部屋の中はまだ散らかっていた。でも、蓮の心には、小さな“余白”ができていた。

 
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