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第四話『母の名はカスミ』
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「おっはよー!今日も朝からドブの香り~!クセになるねぇ!」
陽気な声とともに、カスミが事務所に現れた。頭には派手な花柄バンダナ、腰には超実用主義の多機能ポーチ、足元は厚底スニーカー。
「それ、清掃作業向きじゃないって毎回言ってるよね」
森岡課長が眉をしかめると、カスミはふんっと鼻を鳴らした。
「いいの、ヤンキーは足元が命!あと、今日は新しいスチームガン持ってきたから!“武器”にはこだわるタイプなのよ、あたし!」
「……戦場にでも行くつもりですか」
アリサが呆れつつ返すと、カスミは笑ってウインクした。
「戦場でしょ?ゴミ屋敷って」
***
今日の現場は、郊外の団地。
依頼人は40代の女性・江原恵。住んでいたのは彼女の母親で、ここ数年で完全なゴミ屋敷と化したという。
「もう、限界なんです。母はずっと片付けができない人で……私、昔から家に友達なんか呼べなかったんです」
苦笑いしながら語る恵の顔には、怒りとも諦めともつかない表情が貼り付いていた。
「全部捨てちゃってください。母のもの、ぜんぶ。思い出も、何も、要らないですから」
玄関を開けた瞬間、湿気と油とカビが混ざったような空気が飛び出してきた。
「ふぅーっ、これは強いねぇ。カビ界のドンって感じ!」
カスミは冗談めかして言いながらも、手はすでに動いていた。マスクをつけ、手袋を二重にし、長靴でゴミを踏み分ける。慣れたものだ。
しかし、彼女の目は、ほんの一瞬揺れた。
ソファの上に、ホコリまみれの幼児用のぬいぐるみが一つ、ポツンと置かれていたのだ。
「……ちょっと、庭見てくるわ」
とだけ言い残し、カスミは一度外に出た。
アリサは気づいていた。彼女の指が、ほんのわずか震えていたことに。
***
カスミが戻ってきたのは、30分後だった。顔色を戻し、何事もなかったようにゴミの分別を再開する。
「ぬいぐるみの件、触れないでくれてありがと」
作業中、ぽつりと彼女は呟いた。
「……うちの娘、ああいうの、大好きだったのよ。あたしが離婚したとき、元夫に連れてかれて……もう、10年会ってない」
「会ってないの?」
「会いたくないのかも、って思ってね。元夫の再婚相手が“きれい好き”らしくてさ。うちの子も今ごろ、部屋ピッカピカかも」
カスミの声は、冗談にまぎれて少しだけ掠れていた。
「でも、なんでこの仕事?」
「決まってるでしょ。ゴミに触ってると、“何かを失くしても生きていける”って思えるからよ」
アリサは黙って、ぬいぐるみをビニール袋にそっと包んだ。
***
午後、押入れの奥から、古びたノートが出てきた。
中には、走り書きのような日記がぎっしり。依頼人の母親が、日々の生活を書き残していたものだった。
「恵が今日も怒った。部屋が臭いと。わかってる。わたしだって、ほんとは片付けたい。でも、どうしても、力が入らない」
「ごめんね、恵。ごめんね」
アリサは、ノートを無言で読み、依頼人に手渡した。
「……見たくないです」
「でも、“捨てていい”とは言わなかった」
「……」
恵はノートを受け取ったまま、しばらく黙っていた。
「母、私にずっと謝ってたのか……それを、口にもしないで……」
声が、細く震えていた。
「謝られても、私はずっと“恥ずかしかった”。友達がうちに来るって言うだけで、吐き気がして……家族って、なんなんでしょうね」
アリサが返すより早く、カスミが声をかけた。
「家族は“汚い”もんよ。きれいごとじゃ、続かない」
「……あなたも、お母さんなんですよね」
「うん。逃げた母親よ、あたしも」
「……娘さんに会いたくないんですか?」
カスミは一度だけ、目を伏せた。
「会いたくないわけじゃない。ただ、会って“嫌われる”のが怖いの」
それは、ゴミより重たい“言葉の山”だった。
***
その日の帰り、アリサは清掃済みのぬいぐるみを袋から出し、カスミに手渡した。
「あなたのじゃない。でも、持っていて」
カスミは少しだけ黙り込んだ後、「ありがと」と短く答えた。
「……この子には、ちゃんと“会わせる”よ。うちの子にも、あたし自身にも」
そして、ぬいぐるみを胸に抱いたまま、カスミは空を見上げた。
***
次の日、誰もいない事務所のロッカーに、小さなぬいぐるみが置かれていた。
タグには「また会える日まで」とだけ書かれていた。
それを見たアリサは、静かに口元をゆるめた。
陽気な声とともに、カスミが事務所に現れた。頭には派手な花柄バンダナ、腰には超実用主義の多機能ポーチ、足元は厚底スニーカー。
「それ、清掃作業向きじゃないって毎回言ってるよね」
森岡課長が眉をしかめると、カスミはふんっと鼻を鳴らした。
「いいの、ヤンキーは足元が命!あと、今日は新しいスチームガン持ってきたから!“武器”にはこだわるタイプなのよ、あたし!」
「……戦場にでも行くつもりですか」
アリサが呆れつつ返すと、カスミは笑ってウインクした。
「戦場でしょ?ゴミ屋敷って」
***
今日の現場は、郊外の団地。
依頼人は40代の女性・江原恵。住んでいたのは彼女の母親で、ここ数年で完全なゴミ屋敷と化したという。
「もう、限界なんです。母はずっと片付けができない人で……私、昔から家に友達なんか呼べなかったんです」
苦笑いしながら語る恵の顔には、怒りとも諦めともつかない表情が貼り付いていた。
「全部捨てちゃってください。母のもの、ぜんぶ。思い出も、何も、要らないですから」
玄関を開けた瞬間、湿気と油とカビが混ざったような空気が飛び出してきた。
「ふぅーっ、これは強いねぇ。カビ界のドンって感じ!」
カスミは冗談めかして言いながらも、手はすでに動いていた。マスクをつけ、手袋を二重にし、長靴でゴミを踏み分ける。慣れたものだ。
しかし、彼女の目は、ほんの一瞬揺れた。
ソファの上に、ホコリまみれの幼児用のぬいぐるみが一つ、ポツンと置かれていたのだ。
「……ちょっと、庭見てくるわ」
とだけ言い残し、カスミは一度外に出た。
アリサは気づいていた。彼女の指が、ほんのわずか震えていたことに。
***
カスミが戻ってきたのは、30分後だった。顔色を戻し、何事もなかったようにゴミの分別を再開する。
「ぬいぐるみの件、触れないでくれてありがと」
作業中、ぽつりと彼女は呟いた。
「……うちの娘、ああいうの、大好きだったのよ。あたしが離婚したとき、元夫に連れてかれて……もう、10年会ってない」
「会ってないの?」
「会いたくないのかも、って思ってね。元夫の再婚相手が“きれい好き”らしくてさ。うちの子も今ごろ、部屋ピッカピカかも」
カスミの声は、冗談にまぎれて少しだけ掠れていた。
「でも、なんでこの仕事?」
「決まってるでしょ。ゴミに触ってると、“何かを失くしても生きていける”って思えるからよ」
アリサは黙って、ぬいぐるみをビニール袋にそっと包んだ。
***
午後、押入れの奥から、古びたノートが出てきた。
中には、走り書きのような日記がぎっしり。依頼人の母親が、日々の生活を書き残していたものだった。
「恵が今日も怒った。部屋が臭いと。わかってる。わたしだって、ほんとは片付けたい。でも、どうしても、力が入らない」
「ごめんね、恵。ごめんね」
アリサは、ノートを無言で読み、依頼人に手渡した。
「……見たくないです」
「でも、“捨てていい”とは言わなかった」
「……」
恵はノートを受け取ったまま、しばらく黙っていた。
「母、私にずっと謝ってたのか……それを、口にもしないで……」
声が、細く震えていた。
「謝られても、私はずっと“恥ずかしかった”。友達がうちに来るって言うだけで、吐き気がして……家族って、なんなんでしょうね」
アリサが返すより早く、カスミが声をかけた。
「家族は“汚い”もんよ。きれいごとじゃ、続かない」
「……あなたも、お母さんなんですよね」
「うん。逃げた母親よ、あたしも」
「……娘さんに会いたくないんですか?」
カスミは一度だけ、目を伏せた。
「会いたくないわけじゃない。ただ、会って“嫌われる”のが怖いの」
それは、ゴミより重たい“言葉の山”だった。
***
その日の帰り、アリサは清掃済みのぬいぐるみを袋から出し、カスミに手渡した。
「あなたのじゃない。でも、持っていて」
カスミは少しだけ黙り込んだ後、「ありがと」と短く答えた。
「……この子には、ちゃんと“会わせる”よ。うちの子にも、あたし自身にも」
そして、ぬいぐるみを胸に抱いたまま、カスミは空を見上げた。
***
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それを見たアリサは、静かに口元をゆるめた。
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