引退詐欺師、異世界で聖女の相談役になる

naomikoryo

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序章

第3話『まるで天国、地獄の入り口』

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「あなたは、きっと神様が遣わしてくださった方なんです」

そう言い切った少女は、曇りなき瞳でマーヴィンを見つめていた。
その瞳には、一切の疑いがなかった。

(……だから怖いんだよ、君の目は)

マーヴィンはベッドの縁に腰掛けたまま、少女の言葉に苦笑を返した。
身体はすでに回復していた。むしろ、地球での老いた肉体よりも、ずっと軽く、柔らかい。
鏡がなかったため確認できてはいないが、体感的には三十代前半。
声も低すぎず、重すぎない。かつての“働き盛り”の頃の声だ。

「神様というより、たまたま通りすがった旅人かもしれないよ、聖女様」
「え? 通りすがり……? あ、でも神様って、そういう“気まぐれ”なところあるって聞いたことあります!」

満面の笑みで返す少女。
目の前にいる彼女こそ、この世界における「聖女」——セシリア・ミルフィリア。
年の頃は十六、柔らかな亜麻色の髪に、ふわりとした白と金の衣。
その細い体に似合わぬほど、空間を“穏やかに染める”力を持っていた。

マーヴィンは思った。

(……この子は、守らなきゃならない)

誰かに言われたわけではない。
“声”が命じたからでもない。
ただ、直感として。人の世の汚泥に沈む前に、この透明さを守ってやらなければならないと。

「ここは……どこだい?」
「ラストリア王国の南の端、聖レーヴ修道院です。わたしは、ここで神託を受けて……聖女に任命されたんです」

セシリアは自慢げに胸を張るが、次の瞬間、何かに気づいたように小さく声を潜めた。

「……でも、実はまだ何にも分かってないんです。王様とか枢機卿様とか、難しい言葉ばっかりで……」
「ふむ」

マーヴィンは短く返し、窓際へと歩いた。
外は、まるで絵画のようだった。
青々と茂る丘陵、花咲く庭、鐘の音。
“楽園”とは、きっとこういう場所を言うのだろう。
だが。

(楽園には、必ず蛇が棲む)

その法則を、マーヴィンはよく知っていた。

「ねえ、セシリア。少し、話を聞かせてくれないかい?」

聖レーヴ修道院は、「聖女の誕生」と共に王国が整備した一種の宗教施設だった。
セシリアが選ばれたのは二ヶ月前。
神託の儀式にて奇跡的な“祝福の光”を発し、神の声を聞いたと証言。
以来、民からは「本物の聖女」として絶対的な崇敬を受けている。

しかし彼女自身は、何が奇跡なのか、なぜ自分が選ばれたのかも分かっていない。

「ただ、手を握ると、相手の痛みがなくなるんです。それって変ですよね?」
「変じゃないよ。むしろ、特別だ。だけど……それが危ういんだ」
「?」

セシリアは首をかしげた。

彼女には、まるで他人事のように語る癖がある。
“人々の苦しみ”も、“政治の争い”も、“自身の立場”すらも、どこか実感を持たず、ただ“在る”だけ。
だからこそ、信じられる。
だからこそ、利用される。

「ねぇ、マーヴィン様は……これから、どうするんですか?」

セシリアは、膝に手を置いて、じっとマーヴィンを見た。

「んー……そうだな」

マーヴィンはわざとらしく顎に手をやる。

「このまま旅をするには、ちょっと世話になりすぎたかな。
少しの間、ここで働かせてもらおうか。せっかくだから“相談役”としてね」
「そうなんです! そう言ってくれると思いました!」

(言わせたんだけどね)

彼女は天真爛漫に笑う。
神託が云々、天命がどうのと語るわりに、「相談役」の任命は完全に個人的な意志だったらしい。
教会や貴族から何を言われるかなど、これっぽっちも考えていない。

(これは……手がかかるな)

マーヴィンは、今生で初めて自らの意志で“関与”する気になった。
いつもは他人の情念に巻き込まれ、好むと好まざるとにかかわらず物語の中心に立たされていたというのに。

今は——自分がこの物語の“語り部”として、舞台を選び、配役を決める。

(さて。とりあえず、最初の一手は……)

コンコン。
扉がノックされた。

「失礼いたします。枢機卿グラディス様より、聖女様にお話があるとのことです」
「わっ……!」

セシリアは飛び上がるように立ち上がる。

「あの、マーヴィン様も一緒に来てください! わたし、ああいう威圧的な方、ちょっと苦手で……」
「もちろん。君の相談役だからね」

(まったく、いきなり“ボス戦”か)

それは、天国の顔をした地獄の入り口だった。
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