3 / 53
序章
第3話『まるで天国、地獄の入り口』
しおりを挟む
「あなたは、きっと神様が遣わしてくださった方なんです」
そう言い切った少女は、曇りなき瞳でマーヴィンを見つめていた。
その瞳には、一切の疑いがなかった。
(……だから怖いんだよ、君の目は)
マーヴィンはベッドの縁に腰掛けたまま、少女の言葉に苦笑を返した。
身体はすでに回復していた。むしろ、地球での老いた肉体よりも、ずっと軽く、柔らかい。
鏡がなかったため確認できてはいないが、体感的には三十代前半。
声も低すぎず、重すぎない。かつての“働き盛り”の頃の声だ。
「神様というより、たまたま通りすがった旅人かもしれないよ、聖女様」
「え? 通りすがり……? あ、でも神様って、そういう“気まぐれ”なところあるって聞いたことあります!」
満面の笑みで返す少女。
目の前にいる彼女こそ、この世界における「聖女」——セシリア・ミルフィリア。
年の頃は十六、柔らかな亜麻色の髪に、ふわりとした白と金の衣。
その細い体に似合わぬほど、空間を“穏やかに染める”力を持っていた。
マーヴィンは思った。
(……この子は、守らなきゃならない)
誰かに言われたわけではない。
“声”が命じたからでもない。
ただ、直感として。人の世の汚泥に沈む前に、この透明さを守ってやらなければならないと。
「ここは……どこだい?」
「ラストリア王国の南の端、聖レーヴ修道院です。わたしは、ここで神託を受けて……聖女に任命されたんです」
セシリアは自慢げに胸を張るが、次の瞬間、何かに気づいたように小さく声を潜めた。
「……でも、実はまだ何にも分かってないんです。王様とか枢機卿様とか、難しい言葉ばっかりで……」
「ふむ」
マーヴィンは短く返し、窓際へと歩いた。
外は、まるで絵画のようだった。
青々と茂る丘陵、花咲く庭、鐘の音。
“楽園”とは、きっとこういう場所を言うのだろう。
だが。
(楽園には、必ず蛇が棲む)
その法則を、マーヴィンはよく知っていた。
「ねえ、セシリア。少し、話を聞かせてくれないかい?」
聖レーヴ修道院は、「聖女の誕生」と共に王国が整備した一種の宗教施設だった。
セシリアが選ばれたのは二ヶ月前。
神託の儀式にて奇跡的な“祝福の光”を発し、神の声を聞いたと証言。
以来、民からは「本物の聖女」として絶対的な崇敬を受けている。
しかし彼女自身は、何が奇跡なのか、なぜ自分が選ばれたのかも分かっていない。
「ただ、手を握ると、相手の痛みがなくなるんです。それって変ですよね?」
「変じゃないよ。むしろ、特別だ。だけど……それが危ういんだ」
「?」
セシリアは首をかしげた。
彼女には、まるで他人事のように語る癖がある。
“人々の苦しみ”も、“政治の争い”も、“自身の立場”すらも、どこか実感を持たず、ただ“在る”だけ。
だからこそ、信じられる。
だからこそ、利用される。
「ねぇ、マーヴィン様は……これから、どうするんですか?」
セシリアは、膝に手を置いて、じっとマーヴィンを見た。
「んー……そうだな」
マーヴィンはわざとらしく顎に手をやる。
「このまま旅をするには、ちょっと世話になりすぎたかな。
少しの間、ここで働かせてもらおうか。せっかくだから“相談役”としてね」
「そうなんです! そう言ってくれると思いました!」
(言わせたんだけどね)
彼女は天真爛漫に笑う。
神託が云々、天命がどうのと語るわりに、「相談役」の任命は完全に個人的な意志だったらしい。
教会や貴族から何を言われるかなど、これっぽっちも考えていない。
(これは……手がかかるな)
マーヴィンは、今生で初めて自らの意志で“関与”する気になった。
いつもは他人の情念に巻き込まれ、好むと好まざるとにかかわらず物語の中心に立たされていたというのに。
今は——自分がこの物語の“語り部”として、舞台を選び、配役を決める。
(さて。とりあえず、最初の一手は……)
コンコン。
扉がノックされた。
「失礼いたします。枢機卿グラディス様より、聖女様にお話があるとのことです」
「わっ……!」
セシリアは飛び上がるように立ち上がる。
「あの、マーヴィン様も一緒に来てください! わたし、ああいう威圧的な方、ちょっと苦手で……」
「もちろん。君の相談役だからね」
(まったく、いきなり“ボス戦”か)
それは、天国の顔をした地獄の入り口だった。
そう言い切った少女は、曇りなき瞳でマーヴィンを見つめていた。
その瞳には、一切の疑いがなかった。
(……だから怖いんだよ、君の目は)
マーヴィンはベッドの縁に腰掛けたまま、少女の言葉に苦笑を返した。
身体はすでに回復していた。むしろ、地球での老いた肉体よりも、ずっと軽く、柔らかい。
鏡がなかったため確認できてはいないが、体感的には三十代前半。
声も低すぎず、重すぎない。かつての“働き盛り”の頃の声だ。
「神様というより、たまたま通りすがった旅人かもしれないよ、聖女様」
「え? 通りすがり……? あ、でも神様って、そういう“気まぐれ”なところあるって聞いたことあります!」
満面の笑みで返す少女。
目の前にいる彼女こそ、この世界における「聖女」——セシリア・ミルフィリア。
年の頃は十六、柔らかな亜麻色の髪に、ふわりとした白と金の衣。
その細い体に似合わぬほど、空間を“穏やかに染める”力を持っていた。
マーヴィンは思った。
(……この子は、守らなきゃならない)
誰かに言われたわけではない。
“声”が命じたからでもない。
ただ、直感として。人の世の汚泥に沈む前に、この透明さを守ってやらなければならないと。
「ここは……どこだい?」
「ラストリア王国の南の端、聖レーヴ修道院です。わたしは、ここで神託を受けて……聖女に任命されたんです」
セシリアは自慢げに胸を張るが、次の瞬間、何かに気づいたように小さく声を潜めた。
「……でも、実はまだ何にも分かってないんです。王様とか枢機卿様とか、難しい言葉ばっかりで……」
「ふむ」
マーヴィンは短く返し、窓際へと歩いた。
外は、まるで絵画のようだった。
青々と茂る丘陵、花咲く庭、鐘の音。
“楽園”とは、きっとこういう場所を言うのだろう。
だが。
(楽園には、必ず蛇が棲む)
その法則を、マーヴィンはよく知っていた。
「ねえ、セシリア。少し、話を聞かせてくれないかい?」
聖レーヴ修道院は、「聖女の誕生」と共に王国が整備した一種の宗教施設だった。
セシリアが選ばれたのは二ヶ月前。
神託の儀式にて奇跡的な“祝福の光”を発し、神の声を聞いたと証言。
以来、民からは「本物の聖女」として絶対的な崇敬を受けている。
しかし彼女自身は、何が奇跡なのか、なぜ自分が選ばれたのかも分かっていない。
「ただ、手を握ると、相手の痛みがなくなるんです。それって変ですよね?」
「変じゃないよ。むしろ、特別だ。だけど……それが危ういんだ」
「?」
セシリアは首をかしげた。
彼女には、まるで他人事のように語る癖がある。
“人々の苦しみ”も、“政治の争い”も、“自身の立場”すらも、どこか実感を持たず、ただ“在る”だけ。
だからこそ、信じられる。
だからこそ、利用される。
「ねぇ、マーヴィン様は……これから、どうするんですか?」
セシリアは、膝に手を置いて、じっとマーヴィンを見た。
「んー……そうだな」
マーヴィンはわざとらしく顎に手をやる。
「このまま旅をするには、ちょっと世話になりすぎたかな。
少しの間、ここで働かせてもらおうか。せっかくだから“相談役”としてね」
「そうなんです! そう言ってくれると思いました!」
(言わせたんだけどね)
彼女は天真爛漫に笑う。
神託が云々、天命がどうのと語るわりに、「相談役」の任命は完全に個人的な意志だったらしい。
教会や貴族から何を言われるかなど、これっぽっちも考えていない。
(これは……手がかかるな)
マーヴィンは、今生で初めて自らの意志で“関与”する気になった。
いつもは他人の情念に巻き込まれ、好むと好まざるとにかかわらず物語の中心に立たされていたというのに。
今は——自分がこの物語の“語り部”として、舞台を選び、配役を決める。
(さて。とりあえず、最初の一手は……)
コンコン。
扉がノックされた。
「失礼いたします。枢機卿グラディス様より、聖女様にお話があるとのことです」
「わっ……!」
セシリアは飛び上がるように立ち上がる。
「あの、マーヴィン様も一緒に来てください! わたし、ああいう威圧的な方、ちょっと苦手で……」
「もちろん。君の相談役だからね」
(まったく、いきなり“ボス戦”か)
それは、天国の顔をした地獄の入り口だった。
0
あなたにおすすめの小説
五十一歳、森の中で家族を作る ~異世界で始める職人ライフ~
よっしぃ
ファンタジー
【ホットランキング1位達成!皆さまのおかげです】
多くの応援、本当にありがとうございます!
職人一筋、五十一歳――現場に出て働き続けた工務店の親方・昭雄(アキオ)は、作業中の地震に巻き込まれ、目覚めたらそこは見知らぬ森の中だった。
持ち物は、現場仕事で鍛えた知恵と経験、そして人や自然を不思議と「調和」させる力だけ。
偶然助けたのは、戦火に追われた五人の子供たち。
「この子たちを見捨てられるか」――そうして始まった、ゼロからの異世界スローライフ。
草木で屋根を組み、石でかまどを作り、土器を焼く。やがて薬師のエルフや、獣人の少女、訳ありの元王女たちも仲間に加わり、アキオの暮らしは「町」と呼べるほどに広がっていく。
頼れる父であり、愛される夫であり、誰かのために動ける男――
年齢なんて関係ない。
五十路の職人が“家族”と共に未来を切り拓く、愛と癒しの異世界共同体ファンタジー!
『異世界に転移した限界OL、なぜか周囲が勝手に盛り上がってます』
宵森みなと
ファンタジー
ブラック気味な職場で“お局扱い”に耐えながら働いていた29歳のOL、芹澤まどか。ある日、仕事帰りに道を歩いていると突然霧に包まれ、気がつけば鬱蒼とした森の中——。そこはまさかの異世界!?日本に戻るつもりは一切なし。心機一転、静かに生きていくはずだったのに、なぜか事件とトラブルが次々舞い込む!?
無属性魔法使いの下剋上~現代日本の知識を持つ魔導書と契約したら、俺だけが使える「科学魔法」で学園の英雄に成り上がりました~
黒崎隼人
ファンタジー
「お前は今日から、俺の主(マスター)だ」――魔力を持たない“無能”と蔑まれる落ちこぼれ貴族、ユキナリ。彼が手にした一冊の古びた魔導書。そこに宿っていたのは、異世界日本の知識を持つ生意気な魂、カイだった!
「俺の知識とお前の魔力があれば、最強だって夢じゃない」
主従契約から始まる、二人の秘密の特訓。科学的知識で魔法の常識を覆し、落ちこぼれが天才たちに成り上がる! 無自覚に甘い主従関係と、胸がすくような下剋上劇が今、幕を開ける!
台風のよる、君ひそやかに、魔女高らかに
にしのくみすた
ファンタジー
【空を飛ぶ魔女たちの、もちもち百合ファンタジー・コメディ!】
台風の夜、魔女はホウキで空を翔け――嵐と戦う!
この街で台風と戦うのは、ホウキで飛ぶ魔女の仕事だ。
空を飛ぶ魔女に憧れながらも、魔法が使えない体質のため夢を諦めたモチコ。
台風の夜、嵐に襲われて絶体絶命のピンチに陥ったモチコを救ったのは、
誰よりも速く夜空を飛ぶ“疾風迅雷の魔女”ミライアだった。
ひょんな事からミライアの相方として飛ぶことになったモチコは、
先輩のミライアとともに何度も台風へ挑み、だんだんと成長していく。
ふたりの距離が少しずつ近づいていくなか、
ミライアがあやしい『実験』をしようと言い出して……?
史上最速で空を飛ぶことにこだわる変な先輩と、全く飛べない地味メガネの後輩。
ふたりは夜空に浮かんだホウキの上で、今夜も秘密の『実験』を続けていく――。
空を飛ぶ魔女たちの、もちもち百合ファンタジー・コメディ!
【アイテム分解】しかできないと追放された僕、実は物質の概念を書き換える最強スキルホルダーだった
黒崎隼人
ファンタジー
貴族の次男アッシュは、ゴミを素材に戻すだけのハズレスキル【アイテム分解】を授かり、家と国から追放される。しかし、そのスキルの本質は、物質や魔法、果ては世界の理すら書き換える神の力【概念再構築】だった!
辺境で出会った、心優しき元女騎士エルフや、好奇心旺盛な天才獣人少女。過去に傷を持つ彼女たちと共に、アッシュは忘れられた土地を理想の楽園へと創り変えていく。
一方、アッシュを追放した王国は謎の厄災に蝕まれ、滅亡の危機に瀕していた。彼を見捨てた幼馴染の聖女が助けを求めてきた時、アッシュが下す決断とは――。
追放から始まる、爽快な逆転建国ファンタジー、ここに開幕!
ブラック国家を制裁する方法は、性癖全開のハーレムを作ることでした。
タカハシヨウ
ファンタジー
ヴァン・スナキアはたった一人で世界を圧倒できる強さを誇り、母国ウィルクトリアを守る使命を背負っていた。
しかし国民たちはヴァンの威を借りて他国から財産を搾取し、その金でろくに働かずに暮らしている害悪ばかり。さらにはその歪んだ体制を維持するためにヴァンの魔力を受け継ぐ後継を求め、ヴァンに一夫多妻制まで用意する始末。
ヴァンは国を叩き直すため、あえてヴァンとは子どもを作れない異種族とばかり八人と結婚した。もし後継が生まれなければウィルクトリアは世界中から報復を受けて滅亡するだろう。生き残りたければ心を入れ替えてまともな国になるしかない。
激しく抵抗する国民を圧倒的な力でギャフンと言わせながら、ヴァンは愛する妻たちと甘々イチャイチャ暮らしていく。
異世界ビルメン~清掃スキルで召喚された俺、役立たずと蔑まれ投獄されたが、実は光の女神の使徒でした~
松永 恭
ファンタジー
三十三歳のビルメン、白石恭真(しらいし きょうま)。
異世界に召喚されたが、与えられたスキルは「清掃」。
「役立たず」と蔑まれ、牢獄に放り込まれる。
だがモップひと振りで汚れも瘴気も消す“浄化スキル”は規格外。
牢獄を光で満たした結果、強制釈放されることに。
やがて彼は知らされる。
その力は偶然ではなく、光の女神に選ばれし“使徒”の証だと――。
金髪エルフやクセ者たちと繰り広げる、
戦闘より掃除が多い異世界ライフ。
──これは、汚れと戦いながら世界を救う、
笑えて、ときにシリアスなおじさん清掃員の奮闘記である。
ラストアタック!〜御者のオッサン、棚ぼたで最強になる〜
KeyBow
ファンタジー
第18回ファンタジー小説大賞奨励賞受賞
ディノッゾ、36歳。職業、馬車の御者。
諸国を旅するのを生き甲斐としながらも、その実態は、酒と女が好きで、いつかは楽して暮らしたいと願う、どこにでもいる平凡なオッサンだ。
そんな男が、ある日、傲慢なSランクパーティーが挑むドラゴンの討伐に、くじ引きによって理不尽な捨て駒として巻き込まれる。
捨て駒として先行させられたディノッゾの馬車。竜との遭遇地点として聞かされていた場所より、遥か手前でそれは起こった。天を覆う巨大な影―――ドラゴンの襲撃。馬車は木っ端微塵に砕け散り、ディノッゾは、同乗していたメイドの少女リリアと共に、死の淵へと叩き落された―――はずだった。
腕には、守るべきメイドの少女。
眼下には、Sランクパーティーさえも圧倒する、伝説のドラゴン。
―――それは、ただの不運な落下のはずだった。
崩れ落ちる崖から転落する際、杖代わりにしていただけの槍が、本当に、ただ偶然にも、ドラゴンのたった一つの弱点である『逆鱗』を貫いた。
その、あまりにも幸運な事故こそが、竜の命を絶つ『最後の一撃(ラストアタック)』となったことを、彼はまだ知らない。
死の淵から生還した彼が手に入れたのは、神の如き規格外の力と、彼を「師」と慕う、新たな仲間たちだった。
だが、その力の代償は、あまりにも大きい。
彼が何よりも愛していた“酒と女と気楽な旅”――
つまり平和で自堕落な生活そのものだった。
これは、英雄になるつもりのなかった「ただのオッサン」が、
守るべき者たちのため、そして亡き友との誓いのために、
いつしか、世界を救う伝説へと祭り上げられていく物語。
―――その勘違いと優しさが、やがて世界を揺るがす。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる