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第3章:灰と炎の預言
第7話『誰のための正義』
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「セシリア様は、本当に神の意志を背負っておられるのか?」
その一言は、町の広場の片隅で、老人がつぶやいたものだった。
声は小さかった。
だが、それは朝露に落ちた石のように、水面に静かに波紋を広げた。
そして、数日のうちにそれは“言葉”から“空気”になった。
町を包む、目に見えない不信という名の霧。
—
「神殿が正式に認めない以上、あの子は“暫定の聖女”にすぎない。
いざという時に、頼っていいのか……不安になるのも当然だ」
そう言ったのは、町の商人組合の長、ギルス・モランだった。
「だが、お前の店の娘は、聖女の祈りで熱が下がったんだろう?」
「それは偶然だったかもしれん。
熱なんて、薬草でも下がる」
「でも……」
「今この町は、“正式な後ろ盾”が必要なんだ。
神殿が新たな祝福者を派遣するなら、そちらに従う方が安全だ」
“安全”。
その言葉が、人々の中にゆっくりと染み込んでいった。
(本物かどうかよりも、“保障”があるかどうか)
(誰が責任を取ってくれるのか――)
セシリアの祈りは、人の心に灯をともすものだった。
だが、“火種”に囲まれた人々は、いま“保証”という名の水を欲しがっていた。
—
「……人が減っています」
教会の礼拝堂で、セシリアはぽつりと呟いた。
かつては朝ごとに並んでいた祈りの列が、今は半分ほどにまで減っている。
「減ってるんじゃない。“迷ってる”んだよ」
マーヴィンは椅子に腰かけたまま、指を組みながら言った。
「制度の力ってやつは、こういうときに効いてくる。
『あの人は本物です』って、神殿の印が押されれば、
人は安心して跪ける」
「……わたしは、足りないんでしょうか」
「それは違う。
“足りない”のは、君じゃなくて“町の心の余裕”だ。
火事が起き、死者が出て、不安が募っている。
人は、不安になると“確かなもの”にすがりたがる」
「でも、“確かなもの”って……何ですか?」
セシリアの声には、静かな怒りのようなものがあった。
「目に見える“証拠”?
誰かの“許可”?
それとも、“数字”?
……それがなければ、わたしの祈りは“ないもの”にされてしまうのですか」
マーヴィンは、彼女を見つめた。
そして、小さく笑った。
「ようやく、“火”が灯ったな」
「……?」
「いいかい、セシリア。
本当の強さは、優しさの中に怒りを持てることだ。
君が今、そう感じてるなら、まだ君の祈りは“生きてる”」
セシリアは目を伏せたまま、頷いた。
(私は……まだ、祈っていいんだ)
—
だが、その日の夕刻。
教会の門の前に、十数名の町人が現れた。
彼らはそれぞれ、店の主人、鍛冶屋、薬草師、そして役人の副官など――町の中堅層だった。
「セシリア様。
我々は、これ以上の混乱を避けるため、
神殿からの“正式な祝福者”の到着を要望することを決めました」
「それは……」
「貴女を否定したいわけではない。
ただ、町に今必要なのは、“信頼される構造”です。
貴女が“非公式”である限り、町の不安は解消されません」
それは、言葉を選んだ“断絶”だった。
正面から否定するのではない。
だが、それでも彼らは確実に、セシリアから“距離”を置こうとしていた。
マーヴィンが前に出る。
「神殿の新たな祝福者を受け入れるのは結構。
だが、“どちらが本物か”という線引きはさせない。
……人の祈りに、上下をつける権利は、誰にもない」
だが、町人たちは首を横に振った。
「それでも、私たちは“守らなければならない”。
家族と暮らしと、これからの日々を」
「そのために“信じない”という選択をするのか?」
「……それが“正義”ならば、そうです」
そして、彼らは去っていった。
—
夜。
セシリアは、教会の庭で膝を抱えて座っていた。
「わたしのせいで……人が争う。
わたしのせいで、町が分かれていく。
こんなの、望んでないのに……」
マーヴィンがその隣に腰を下ろす。
「望んでなくても、君が“在る”ことで起きてしまうことはある。
それでも、君は“在り続ける”選択をするんだよ」
「……どうして、そんなに、強く言い切れるんですか」
「俺も、似たようなことがあったからさ」
マーヴィンは、遠くを見るような目をした。
「人を信じさせる“言葉”を使ったせいで、
逆に、誰かを傷つけたことがある。
でも、俺が“言葉を使わなかった”世界では、
もっと多くの人が“救われなかった”」
「……それは、ずっと前の話、ですか?」
「……そうだ。今より、少しだけ、星が少ない世界での話だ」
マーヴィンの語りに、セシリアは黙って耳を傾けた。
(きっと、この人も……いろんな痛みを背負ってきたんだ)
そのとき、教会の裏門が静かに開いた。
黒衣の従者が一人、頭を下げる。
「神殿より通達。
三日後、“正式祝福者”がこの町に到着予定。
任地はこの教会。
……現“聖女”の在任資格は、“重複”により保留とされます」
セシリアの手が、無意識に胸元に触れた。
そこに、“証明”は何もなかった。
ただ、心が少しずつ、確かに揺れていた。
その一言は、町の広場の片隅で、老人がつぶやいたものだった。
声は小さかった。
だが、それは朝露に落ちた石のように、水面に静かに波紋を広げた。
そして、数日のうちにそれは“言葉”から“空気”になった。
町を包む、目に見えない不信という名の霧。
—
「神殿が正式に認めない以上、あの子は“暫定の聖女”にすぎない。
いざという時に、頼っていいのか……不安になるのも当然だ」
そう言ったのは、町の商人組合の長、ギルス・モランだった。
「だが、お前の店の娘は、聖女の祈りで熱が下がったんだろう?」
「それは偶然だったかもしれん。
熱なんて、薬草でも下がる」
「でも……」
「今この町は、“正式な後ろ盾”が必要なんだ。
神殿が新たな祝福者を派遣するなら、そちらに従う方が安全だ」
“安全”。
その言葉が、人々の中にゆっくりと染み込んでいった。
(本物かどうかよりも、“保障”があるかどうか)
(誰が責任を取ってくれるのか――)
セシリアの祈りは、人の心に灯をともすものだった。
だが、“火種”に囲まれた人々は、いま“保証”という名の水を欲しがっていた。
—
「……人が減っています」
教会の礼拝堂で、セシリアはぽつりと呟いた。
かつては朝ごとに並んでいた祈りの列が、今は半分ほどにまで減っている。
「減ってるんじゃない。“迷ってる”んだよ」
マーヴィンは椅子に腰かけたまま、指を組みながら言った。
「制度の力ってやつは、こういうときに効いてくる。
『あの人は本物です』って、神殿の印が押されれば、
人は安心して跪ける」
「……わたしは、足りないんでしょうか」
「それは違う。
“足りない”のは、君じゃなくて“町の心の余裕”だ。
火事が起き、死者が出て、不安が募っている。
人は、不安になると“確かなもの”にすがりたがる」
「でも、“確かなもの”って……何ですか?」
セシリアの声には、静かな怒りのようなものがあった。
「目に見える“証拠”?
誰かの“許可”?
それとも、“数字”?
……それがなければ、わたしの祈りは“ないもの”にされてしまうのですか」
マーヴィンは、彼女を見つめた。
そして、小さく笑った。
「ようやく、“火”が灯ったな」
「……?」
「いいかい、セシリア。
本当の強さは、優しさの中に怒りを持てることだ。
君が今、そう感じてるなら、まだ君の祈りは“生きてる”」
セシリアは目を伏せたまま、頷いた。
(私は……まだ、祈っていいんだ)
—
だが、その日の夕刻。
教会の門の前に、十数名の町人が現れた。
彼らはそれぞれ、店の主人、鍛冶屋、薬草師、そして役人の副官など――町の中堅層だった。
「セシリア様。
我々は、これ以上の混乱を避けるため、
神殿からの“正式な祝福者”の到着を要望することを決めました」
「それは……」
「貴女を否定したいわけではない。
ただ、町に今必要なのは、“信頼される構造”です。
貴女が“非公式”である限り、町の不安は解消されません」
それは、言葉を選んだ“断絶”だった。
正面から否定するのではない。
だが、それでも彼らは確実に、セシリアから“距離”を置こうとしていた。
マーヴィンが前に出る。
「神殿の新たな祝福者を受け入れるのは結構。
だが、“どちらが本物か”という線引きはさせない。
……人の祈りに、上下をつける権利は、誰にもない」
だが、町人たちは首を横に振った。
「それでも、私たちは“守らなければならない”。
家族と暮らしと、これからの日々を」
「そのために“信じない”という選択をするのか?」
「……それが“正義”ならば、そうです」
そして、彼らは去っていった。
—
夜。
セシリアは、教会の庭で膝を抱えて座っていた。
「わたしのせいで……人が争う。
わたしのせいで、町が分かれていく。
こんなの、望んでないのに……」
マーヴィンがその隣に腰を下ろす。
「望んでなくても、君が“在る”ことで起きてしまうことはある。
それでも、君は“在り続ける”選択をするんだよ」
「……どうして、そんなに、強く言い切れるんですか」
「俺も、似たようなことがあったからさ」
マーヴィンは、遠くを見るような目をした。
「人を信じさせる“言葉”を使ったせいで、
逆に、誰かを傷つけたことがある。
でも、俺が“言葉を使わなかった”世界では、
もっと多くの人が“救われなかった”」
「……それは、ずっと前の話、ですか?」
「……そうだ。今より、少しだけ、星が少ない世界での話だ」
マーヴィンの語りに、セシリアは黙って耳を傾けた。
(きっと、この人も……いろんな痛みを背負ってきたんだ)
そのとき、教会の裏門が静かに開いた。
黒衣の従者が一人、頭を下げる。
「神殿より通達。
三日後、“正式祝福者”がこの町に到着予定。
任地はこの教会。
……現“聖女”の在任資格は、“重複”により保留とされます」
セシリアの手が、無意識に胸元に触れた。
そこに、“証明”は何もなかった。
ただ、心が少しずつ、確かに揺れていた。
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