お絢さま風雲録 ~恋に学びに奔走中!名家のお嬢様、町を変える!?

naomikoryo

文字の大きさ
22 / 33

第二十二話「あなたとなら、この町で」

しおりを挟む
 秋が深まり、町の空気にかすかな冷たさが混じるようになったある日。
 桐原絢子は、町の集会場
 ――旧奉行所を改装した木造の大広間に立っていた。

 「……ほんとうに、これでよかったんでしょうか?」

 緊張に潤んだ声でつぶやくと、背後からやさしい声が返ってくる。

 「あなたが歩いてきた道は、間違ってなどいません。
 今日、それが証明されるのです」

 慎之介だった。
 紺の羽織に、町役人としての略礼服。
 背筋をぴんと伸ばし、まっすぐに絢子を見つめていた。

 その眼差しに、絢子は小さく、けれど確かに頷いた。

 「……行ってまいります」

 * * *

 広間の中には、町のあらゆる人々が詰めかけていた。

 商家の主婦たち、職人の親方、小学校の教員、女学校の後輩たち、そして寺子屋の子供たち――
 かつて絢子を“異物”とささやいた者たちも、この日ばかりは沈黙し、彼女の歩みを見つめていた。

 彼女が壇上に立つと、一瞬空気が凍った。
 しかし、絢子は逃げなかった。背を伸ばし、顔を上げて、語り始めた。

 「皆さま、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。
 桐原絢子と申します」

 名家の娘としてではなく、ひとりの人間として――
 彼女は、語りかけた。

 「わたしはこれまで、“お嬢様”として守られるばかりの人生を生きてきました。
 でも、ある日、ふと気づいたのです。
 守られているばかりでは、誰の助けにもなれない、と」

 広間の空気が、少しずつ変わっていく。

 「だから私は、自分の足で歩こうと決めました。
 この町で、子供たちに読み書きを教え、夢の描き方を伝える。
 学ぶことは、自分で人生を選ぶことです。
 私はそれを、一人でも多くの子供たちに届けたいのです」

 彼女の声には、もう迷いはなかった。

 「町の制度に守られることも、もちろん大切です。
 でも私は、制度の枠に収まるのではなく――
 “この町で、生きる人々と一緒に、未来をつくりたい”」

 その一言に、ざわめいていた会場が静まり返った。

 やがて――

 「よく言った!」

 ひとりの年配の男が立ち上がった。
 町で最も古い瓦屋の親方だった。

 「おれぁ、最初、あんたのことが信用できんかった。
 けど、子供が字を覚えて、手紙をくれるようになってな……それ見たら、涙が出てきたよ」

 「おれの娘も、寺子屋で算盤を習って商売手伝うようになった!」

 「この町に、あんたは要る!」

 ひとつ、またひとつと声が上がる。
 慎之介が静かにその場を見守る中、会場全体が拍手に包まれていった。

 桐原絢子。
 名家の令嬢は、今日、はじめて“町のひとり”として認められた。

 * * *

 その日の夜。
 寺子屋の庭先、ふたりきり。

 「……疲れました」

 「お疲れ様でした。立派でしたよ、“先生”」

 「ありがとう、“共犯者さん”」

 木の下に並んで腰掛けながら、絢子はふと視線を落とした。

 「ねぇ、牧野さん。これからのわたしに、家の名はもう必要ないのかもしれない」

 「そう思うのなら、不要でしょう」

 「でも、桐原家の娘だったからこそ、見えたものもあるの。
 誰よりも守られてきたから、誰よりも“守られていない”人たちのことが、気になったのかもしれない」

 「その視点を持てたあなたは、誇るべき存在です」

 沈黙。

 風が秋草を揺らす音が、ふたりの間を通り抜ける。

 そして――

 「……桐原さん」

 慎之介が、いつになく真剣な表情で呼びかけた。

 「はい?」

 「いや、違う。“絢子さん”」

 絢子は、ぴくりと肩を動かした。

 「もし、あなたが望むなら――」

 慎之介は、懐から、ひとつの小さな箱を取り出した。

 「……この先を、わたしと一緒に歩んでくれませんか」

 開かれた箱の中には、決して高価ではないが、細工の美しい銀の指輪が入っていた。
 中央には、朝顔をかたどった小さな彫りがある。

 絢子は、目元に涙を浮かべながら、小さく笑った。

 「初めて“贈り物”をいただいたときも、朝顔の種でしたね」

 「はい。あのときの約束は、まだ続いています」

 「……はい」

 絢子は、震える指先でその指輪を手に取り、自ら薬指に通した。

 「あなたとなら、この町で、何度でも未来を作っていけます」

 その言葉は、どんな誓いよりも確かだった。

 秋の夜風の中、ふたりは静かに手を重ね、
 やがて、初めての口づけを交わした。

 それは、誰にも見られることのない、けれどこの町の未来がふたりに託された、始まりの約束だった。

(第二十二話 完)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

別れし夫婦の御定書(おさだめがき)

佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ 嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。 離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。 月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。 おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。 されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて—— ※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

【完結】異世界で神の元カノのゴミ屋敷を片付けたら世界の秘密が出てきました

小豆缶
ファンタジー
父の遺したゴミ屋敷を片付けていたはずが、気づけば異世界に転移していた私・飛鳥。 しかも、神の元カノと顔がそっくりという理由で、いきなり死刑寸前!? 助けてくれた太陽神ソラリクスから頼まれた仕事は、 「500年前に別れた元恋人のゴミ屋敷を片付けてほしい」というとんでもない依頼だった。 幽霊になった元神、罠だらけの屋敷、歪んだ世界のシステム。 ポンコツだけど諦めの悪い主人公が、ゴミ屋敷を片付けながら異世界の謎を暴いていく! ほのぼのお仕事×異世界コメディ×世界の秘密解明ファンタジー

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

処理中です...