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第二十二話「あなたとなら、この町で」
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秋が深まり、町の空気にかすかな冷たさが混じるようになったある日。
桐原絢子は、町の集会場
――旧奉行所を改装した木造の大広間に立っていた。
「……ほんとうに、これでよかったんでしょうか?」
緊張に潤んだ声でつぶやくと、背後からやさしい声が返ってくる。
「あなたが歩いてきた道は、間違ってなどいません。
今日、それが証明されるのです」
慎之介だった。
紺の羽織に、町役人としての略礼服。
背筋をぴんと伸ばし、まっすぐに絢子を見つめていた。
その眼差しに、絢子は小さく、けれど確かに頷いた。
「……行ってまいります」
* * *
広間の中には、町のあらゆる人々が詰めかけていた。
商家の主婦たち、職人の親方、小学校の教員、女学校の後輩たち、そして寺子屋の子供たち――
かつて絢子を“異物”とささやいた者たちも、この日ばかりは沈黙し、彼女の歩みを見つめていた。
彼女が壇上に立つと、一瞬空気が凍った。
しかし、絢子は逃げなかった。背を伸ばし、顔を上げて、語り始めた。
「皆さま、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。
桐原絢子と申します」
名家の娘としてではなく、ひとりの人間として――
彼女は、語りかけた。
「わたしはこれまで、“お嬢様”として守られるばかりの人生を生きてきました。
でも、ある日、ふと気づいたのです。
守られているばかりでは、誰の助けにもなれない、と」
広間の空気が、少しずつ変わっていく。
「だから私は、自分の足で歩こうと決めました。
この町で、子供たちに読み書きを教え、夢の描き方を伝える。
学ぶことは、自分で人生を選ぶことです。
私はそれを、一人でも多くの子供たちに届けたいのです」
彼女の声には、もう迷いはなかった。
「町の制度に守られることも、もちろん大切です。
でも私は、制度の枠に収まるのではなく――
“この町で、生きる人々と一緒に、未来をつくりたい”」
その一言に、ざわめいていた会場が静まり返った。
やがて――
「よく言った!」
ひとりの年配の男が立ち上がった。
町で最も古い瓦屋の親方だった。
「おれぁ、最初、あんたのことが信用できんかった。
けど、子供が字を覚えて、手紙をくれるようになってな……それ見たら、涙が出てきたよ」
「おれの娘も、寺子屋で算盤を習って商売手伝うようになった!」
「この町に、あんたは要る!」
ひとつ、またひとつと声が上がる。
慎之介が静かにその場を見守る中、会場全体が拍手に包まれていった。
桐原絢子。
名家の令嬢は、今日、はじめて“町のひとり”として認められた。
* * *
その日の夜。
寺子屋の庭先、ふたりきり。
「……疲れました」
「お疲れ様でした。立派でしたよ、“先生”」
「ありがとう、“共犯者さん”」
木の下に並んで腰掛けながら、絢子はふと視線を落とした。
「ねぇ、牧野さん。これからのわたしに、家の名はもう必要ないのかもしれない」
「そう思うのなら、不要でしょう」
「でも、桐原家の娘だったからこそ、見えたものもあるの。
誰よりも守られてきたから、誰よりも“守られていない”人たちのことが、気になったのかもしれない」
「その視点を持てたあなたは、誇るべき存在です」
沈黙。
風が秋草を揺らす音が、ふたりの間を通り抜ける。
そして――
「……桐原さん」
慎之介が、いつになく真剣な表情で呼びかけた。
「はい?」
「いや、違う。“絢子さん”」
絢子は、ぴくりと肩を動かした。
「もし、あなたが望むなら――」
慎之介は、懐から、ひとつの小さな箱を取り出した。
「……この先を、わたしと一緒に歩んでくれませんか」
開かれた箱の中には、決して高価ではないが、細工の美しい銀の指輪が入っていた。
中央には、朝顔をかたどった小さな彫りがある。
絢子は、目元に涙を浮かべながら、小さく笑った。
「初めて“贈り物”をいただいたときも、朝顔の種でしたね」
「はい。あのときの約束は、まだ続いています」
「……はい」
絢子は、震える指先でその指輪を手に取り、自ら薬指に通した。
「あなたとなら、この町で、何度でも未来を作っていけます」
その言葉は、どんな誓いよりも確かだった。
秋の夜風の中、ふたりは静かに手を重ね、
やがて、初めての口づけを交わした。
それは、誰にも見られることのない、けれどこの町の未来がふたりに託された、始まりの約束だった。
(第二十二話 完)
桐原絢子は、町の集会場
――旧奉行所を改装した木造の大広間に立っていた。
「……ほんとうに、これでよかったんでしょうか?」
緊張に潤んだ声でつぶやくと、背後からやさしい声が返ってくる。
「あなたが歩いてきた道は、間違ってなどいません。
今日、それが証明されるのです」
慎之介だった。
紺の羽織に、町役人としての略礼服。
背筋をぴんと伸ばし、まっすぐに絢子を見つめていた。
その眼差しに、絢子は小さく、けれど確かに頷いた。
「……行ってまいります」
* * *
広間の中には、町のあらゆる人々が詰めかけていた。
商家の主婦たち、職人の親方、小学校の教員、女学校の後輩たち、そして寺子屋の子供たち――
かつて絢子を“異物”とささやいた者たちも、この日ばかりは沈黙し、彼女の歩みを見つめていた。
彼女が壇上に立つと、一瞬空気が凍った。
しかし、絢子は逃げなかった。背を伸ばし、顔を上げて、語り始めた。
「皆さま、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。
桐原絢子と申します」
名家の娘としてではなく、ひとりの人間として――
彼女は、語りかけた。
「わたしはこれまで、“お嬢様”として守られるばかりの人生を生きてきました。
でも、ある日、ふと気づいたのです。
守られているばかりでは、誰の助けにもなれない、と」
広間の空気が、少しずつ変わっていく。
「だから私は、自分の足で歩こうと決めました。
この町で、子供たちに読み書きを教え、夢の描き方を伝える。
学ぶことは、自分で人生を選ぶことです。
私はそれを、一人でも多くの子供たちに届けたいのです」
彼女の声には、もう迷いはなかった。
「町の制度に守られることも、もちろん大切です。
でも私は、制度の枠に収まるのではなく――
“この町で、生きる人々と一緒に、未来をつくりたい”」
その一言に、ざわめいていた会場が静まり返った。
やがて――
「よく言った!」
ひとりの年配の男が立ち上がった。
町で最も古い瓦屋の親方だった。
「おれぁ、最初、あんたのことが信用できんかった。
けど、子供が字を覚えて、手紙をくれるようになってな……それ見たら、涙が出てきたよ」
「おれの娘も、寺子屋で算盤を習って商売手伝うようになった!」
「この町に、あんたは要る!」
ひとつ、またひとつと声が上がる。
慎之介が静かにその場を見守る中、会場全体が拍手に包まれていった。
桐原絢子。
名家の令嬢は、今日、はじめて“町のひとり”として認められた。
* * *
その日の夜。
寺子屋の庭先、ふたりきり。
「……疲れました」
「お疲れ様でした。立派でしたよ、“先生”」
「ありがとう、“共犯者さん”」
木の下に並んで腰掛けながら、絢子はふと視線を落とした。
「ねぇ、牧野さん。これからのわたしに、家の名はもう必要ないのかもしれない」
「そう思うのなら、不要でしょう」
「でも、桐原家の娘だったからこそ、見えたものもあるの。
誰よりも守られてきたから、誰よりも“守られていない”人たちのことが、気になったのかもしれない」
「その視点を持てたあなたは、誇るべき存在です」
沈黙。
風が秋草を揺らす音が、ふたりの間を通り抜ける。
そして――
「……桐原さん」
慎之介が、いつになく真剣な表情で呼びかけた。
「はい?」
「いや、違う。“絢子さん”」
絢子は、ぴくりと肩を動かした。
「もし、あなたが望むなら――」
慎之介は、懐から、ひとつの小さな箱を取り出した。
「……この先を、わたしと一緒に歩んでくれませんか」
開かれた箱の中には、決して高価ではないが、細工の美しい銀の指輪が入っていた。
中央には、朝顔をかたどった小さな彫りがある。
絢子は、目元に涙を浮かべながら、小さく笑った。
「初めて“贈り物”をいただいたときも、朝顔の種でしたね」
「はい。あのときの約束は、まだ続いています」
「……はい」
絢子は、震える指先でその指輪を手に取り、自ら薬指に通した。
「あなたとなら、この町で、何度でも未来を作っていけます」
その言葉は、どんな誓いよりも確かだった。
秋の夜風の中、ふたりは静かに手を重ね、
やがて、初めての口づけを交わした。
それは、誰にも見られることのない、けれどこの町の未来がふたりに託された、始まりの約束だった。
(第二十二話 完)
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