手術台の下には、まだ誰かがいる

naomikoryo

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第7話:閉じられた出入口

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 「出よう。今すぐ、ここを出よう」

 それは莉央の悲鳴に近い言葉だった。
 風花を失って以降、彼女の声から知性の響きが急速に失われている。
 感情が理性を上回ったとき、人は本能で喋り出す。
 俺も、直哉も、久賀も、反論しなかった。

 “ここにいてはいけない”という感覚だけが、全員の中に共有されていた。

 

 出入口――それは、1階の正面玄関。
 重い自動ドアが錆びついて半開きになっていた場所。
 確かに俺たちは、そこからこの病院に入った。
 戻れば、道があるはずだ。道路が、車が、現実が――

 それだけを信じて、走った。

 

 廊下を抜け、崩れた案内板を横切り、ナースステーションの前を通過する。
 スチール製の掲示板に張られた医師紹介ポスターは、どれも顔の部分が焼け焦げていた。

 顔のない医師たちが、俺たちを見下ろしている。

 「……やめてくれよ、マジで……」

 直哉が吐き捨てるように呟いたそのとき――

 ピシ……ピシ……パリィッ……ッ

 廊下の左右のガラスが、一斉に“内側から”ひび割れ始めた。

 誰かが、壁の中からガラスを叩いている。

 「急げ!!」

 久賀が叫び、俺たちは走った。

 非常灯の赤い光が、壁を血のように染める中、俺たちは玄関へ向かって一直線に突き進んだ。

 

 そして――

 たどり着いた正面玄関は、“壁”になっていた。

 そこには、もうドアも扉枠もなかった。

 あるのは、打ちっ放しのコンクリート。
 亀裂すらなく、まるで**最初から“そこに出口など存在しなかった”**ような仕上がりだった。

 「は……はぁ? ちょっと待て、おい……ふざけんなよ……!!」

 直哉が叫び、拳で壁を殴る。
 拳が赤く腫れても、壁は冷たく無反応なままだ。

 「いや、ここだった……ここ、だっただろ……!?」

 莉央が声を震わせながらスマホの地図アプリを開く。

 「ほら!GPS、ここが正面玄関だって……!」

 だが、画面に表示された位置情報は、狂っていた。

 現在地:不明

 それだけだった。GPS信号は生きている。アンテナも立っている。
 なのに、地図は読み取れるべき“外界”の座標を表示しない。

 「ここ……もう地図から外されてるんだ」

 莉央の呟きは、誰の耳にも“絶望”として届いた。

 

 「……おい、これ、夢か? 俺たち、マジで夢見てんじゃないのか?」

 直哉が壁に背をもたれさせ、頭を抱える。

 そのとき、玄関の真横にある掲示板に目をやった俺は、凍りついた。

 掲示板のガラスの中――風花の写真が飾られていた。

 白黒の、遺影だった。

 病院職員として紹介されている風花。
 彼女の名前の下には、こう書かれていた。

 「柚木風花 看護師補助員(行方不明:平成20年)」

 

 「……見ろ。俺たちが“知らないはずの彼女の過去”が、ここには記録されてる」

 久賀の低い声が響く。

 「……それに、日付……俺たちの生きてる“今”じゃない」

 平成20年。それは約15年前の記録だ。
 風花は19歳だった。
 俺たちが知っていた彼女と、辻褄は合う。

 だが、俺たちは現代に生きている。
 風花も、現実の大学で出会った“はず”だ。

 「……風花は、ここにいた。だけど……今の彼女は……何だったんだ?」

 莉央の声が震える。
 その問いには、誰も答えられなかった。

 

 そのときだった。

 建物全体が、揺れ始めた。

 ゴゴゴゴゴ……ギィィィ……

 天井の照明が明滅を始め、壁の時計が狂ったように秒針を巻き戻す。

 15秒前
 30秒前
 1分、2分、5分、15分……

 まるで、時間が巻き戻されているかのような挙動。
 俺の腕時計も、それに連動するように逆回転を始めた。

 「やばい……時間ごと“後戻り”してる……!」

 久賀が叫ぶ。

 「この建物自体が、“過去に戻ろうとしてる”!!」

 

 そのとき、壁の向こうから、風花の声が聞こえた。

 「透真くん……出られないよ……」

 「風花……!?」

 俺が振り返ったとき、そこには誰もいなかった。
 ただ、壁に黒く焼け焦げたような人型の影が残っていた。

 それは、まるで“壁の中に誰かが取り込まれた”痕跡のように見えた。

 

 「……俺たち、出られない」

 莉央が言った。

 「構造が変わったんじゃない。世界そのものが、“ここのルール”に従ってる。
 この病院は、もう“建物”じゃない。閉じた世界そのものなんだ」

 

 直哉が、うわごとのように繰り返し始める。

 「なあ……本当は、最初から俺たち、外なんて存在してなかったんじゃないか?
 大学も、現実も、幻だったんじゃないか?
 だって、記憶がどんどん薄くなる……名前も、顔も、思い出せないんだよ……」

 彼の目は焦点が合っていなかった。

 名前。顔。記憶。時間。
 そのすべてが、“病院の中のもの”になっていく。

 

 久賀が、意を決したように言った。

 「構造は、生き物と同じ。内部からでは制御できない。
 もし“ここ”を抜ける方法があるとしたら、それは中枢――
 この空間の“核”を潰すしかない」

 「核って……どこだよ」

 「……“記録”だ。
 記録がある限り、ここに存在する“名前”は保存される。
 なら、記録を破壊すれば、何かが変わるかもしれない」

 「記録……?」

 「さっき、風花が消える前に言ってた。“もう思い出さないで”って。
 あれは、記録が彼女を維持していた証拠だ。
 逆に言えば――記録さえ消えれば、俺たちは“この病院のルール”から解放される可能性がある」

 

 そうだ。
 記録――病院が“記録し続けている”もの。
 それが、この空間の根源であり、力の源だ。

 なら、破壊するしかない。

 たとえそれが、どれだけの代償を伴おうと。

 

 そのとき、ふたたび“足音”が響いた。

 コツ、コツ、コツ、コツ……

 今度は、全方向から。

 天井から、壁から、床下から――

 俺たちを“再び処置するため”に、看護師たちが集まってくる。

 莉央が、震える声で言った。

 「透真……記録室に戻ろう。全部、燃やす。
 ……じゃないと、今度は私が消える」

 

 そのとき、俺の頭に響いた声。

 「“記録”を破壊してはいけません」

 「次の“患者”が、もうお入りです」
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