手術台の下には、まだ誰かがいる

naomikoryo

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第15話:記録者は誰か

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 「こちら記録室……患者透真……記録再開……処置継続……」

 スピーカーから流れてくる“自分の声”を、透真はただ黙って聞いていた。

 ナースステーションの薄暗い部屋には、もう“誰も”いないはずだった。
 なのにそこには、何かがいる感覚だけが、濃密に残っていた。

 

 “処置継続”

 その言葉が何を意味するのか、今ではもうはっきりとわかっていた。
 病院は終わってなどいない。
 始まりすらしていなかった。

 

 記録される者。
 記録する者。
 そして、“記録そのものに書き換えられる者”。

 透真は、今その三者すべてを兼ねていた。

 

 彼は、かつて“風花”が消えた場所へと向かった。
 地下手術フロアの、最も奥。
 記録には記載されていない、構造図にも載っていない、「第零手術室」。

 

 その入り口の扉は、なぜか開いていた。
 だが、その奥からは、誰かの泣き声が聞こえていた。

 小さな、女の子の泣き声。
 風花の声だった。

 

 手術室に足を踏み入れると、そこには**“病院が産み落とした闇の核”**とも言えるような空間が広がっていた。

 手術台はなかった。
 照明もなかった。
 代わりにあったのは、無数のレコーダーとビデオカメラ。

 天井から吊られたコードの先に、記録媒体がびっしりと垂れ下がっていた。

 そのすべてが、透真たち5人の映像を繰り返し再生していた。

 

 久賀が階段を下る姿。
 莉央が処置室で叫ぶ姿。
 直哉が消える直前に振り向く一瞬。
 風花が何かを見て目を見開く場面。

 すべてが“ループ”していた。

 

 だが、ひとつだけ違う映像があった。

 

 それは、手術台の上で目を開けた透真自身の姿。

 だが、よく見ると――
 その透真の顔は、どこか奇妙に歪んでいた。

 「顔のない看護師」の顔に、似ていた。

 

 「……俺が……?」

 

 手の中の注射器が、突然熱を持った。

 銀色の針先が震え、赤い液体が内側から満ちてくる。

 

 注射器の中の液体は、透真の記憶だった。

 莉央の泣き顔。
 久賀の論理。
 風花の沈黙。
 直哉の笑い声。
 そして、自分自身がこの病院に来た理由――

 “記録するためだった”。

 

 この病院の本当の意志。
 それは、「記録を保存すること」ではない。

 **「記録によって存在を生み続けること」**だ。

 

 録画映像の中の“透真”が、突然こちらを見た。

 ゆっくりと、確実に。

 「見ているお前は、誰だ?」

 口の動きだけがはっきりと読めた。

 

 その瞬間、天井から吊られていたすべてのレコーダーが一斉に再生を止めた。

 部屋の空気が落ちた。

 世界の重力が変わったかのように、足元が沈み始めた。

 

 手術台が、現れた。

 

 そこには、風花がいた。

 だが、彼女は眠ってなどいなかった。
 彼女は透真を見ていた。

 目は大きく見開かれ、口を震わせ、何かを言おうとしていた。
 声は出ない。
 喉元には、“処置前”の記録タグがぶら下がっていた。

 

 風花は、まだ**“記録される直前”にとどまっていた。**

 “最も新しい記録の空白”――それが、彼女だった。

 

 「俺がやるのか……」

 透真の手にある注射器が、自然と風花の腕へ向かっていく。

 針先が触れる。

 

 その瞬間――

 風花が、首を横に振った。

 ゆっくり、はっきりと。

 

 「しないで」

 

 彼女の目がそう語っていた。

 

 そうだ。
 これまでこの病院は、記録を繰り返してきた。
 だが、“誰かが拒絶すれば”、その記録は“未完”のまま残される。

 その空白が、やがて“崩壊の起点”になる。

 

 透真は、注射器を握りしめ、
 自分の首元に、ゆっくりと針を突き立てた。

 

 風花ではない。
 自分が記録されることで、この連鎖を“止める”。

 

 チクリとした痛み。
 液体が流れ込む感覚。
 脳内を、何かが駆け巡る。

 

 映像機器が、次々に再生を巻き戻していく。

 莉央が立ち上がる。
 久賀がノートを拾う。
 直哉が振り向き、風花が手を振る。

 すべての記録が、“消去ではなく、巻き戻し”を始めた。

 

 最後に残った映像が、ぽつんと天井に映し出されていた。

 それは、透真自身の目線の映像だった。

 白い天井。
 蛍光灯。
 看護師の影。
 そして――

 「……記録完了」

 

 ……目が、覚めた。

 気がつくと、透真は病院の外にいた。

 空は朝焼け。
 風は冷たく、遠くで鳥が鳴いている。

 

 莉央がそこにいた。
 久賀も、直哉も、風花もいた。

 皆、無言だった。
 だが、その顔には、なにか“終わった”ことの証が宿っていた。

 

 彼らは、病院を振り返った。

 

 だがそこには、建物など存在していなかった。

 

 更地。
 雑草。
 小さな立て札にこう書かれていた。

 

 「旧・白栖中央医療センター跡地」
  2007年閉院、2010年解体済

 

 透真は最後に、胸ポケットを開いた。

 そこには、銀色の注射器が――なかった。

 代わりに、小さな白いカードが入っていた。

 

 「症例番号38:記録完了」

 

 だけど、思い出してしまった。

 ――あの手術台の下。
 あの時、俺は、たしかに“見た”のだ。

 まだ、“誰か”が、そこにいた。

 

 手術台の下。
 その隙間の奥で、動かずに、じっとこちらを見ている“何か”がいたのだ。

 

 病院は終わってなどいない。
 記録は、まだ……続いている。

 

 

[完]
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