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第1話:沈没
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波の音が、嫌な胸騒ぎを伴っていた。
船のエンジン音はうなるように低く、腹の底に不安を響かせてくる。
風が、ぴたりと止んだ。けれどそれは、嵐の前の静けさというやつだった。
(おいおい……マジで、嵐、来るんじゃないか?)
矢崎慎吾は、濡れた甲板に手を突きながら、遠くにうっすらと見えてきた島影を睨んだ。
それは観光パンフレットに載っていたはずの、整備されたキャンプ地「青神島(あおがみじま)」……では、明らかになかった。
「なんかおかしくねぇ? 施設の灯りとか、一個も見えねぇぞ……」
後ろから呟くのは滝口。体育会系で体力だけは無駄にあるが、判断力は怪しい。
彼の声には笑いが含まれていたが、慎吾は乾いた笑みすら返せなかった。
「全員、荷物だけしっかり抱えてろ! 風、変わったぞ!」
叫ぶと同時に、船体がゴゴッ……!と音を立てて傾いた。
「うわっ!」
「やばい! 波……!」
次の瞬間だった。
巨大な黒い壁のような波が、船の正面から襲いかかってきた。
叫び声と怒号、床を滑るバッグ、船体を打ちつける凄まじい音。
耳が一瞬、音を拒否する。
(嘘だろ……沈むのか? 本当に?)
誰かが海へ投げ出された。
風と水飛沫と金属のきしむ音が混じり、思考が散り散りに破裂していく。
視界は白く泡立ち、上下の感覚が狂う。
(死ぬ。俺はここで――)
そんな思考すら、海の塩辛い味にかき消された。
*
「……ん、がっ、ぷ……!」
肺の奥に入りかけた海水を吐き出しながら、慎吾は砂浜に這い上がった。
目の前は灰色の空と波打ち際。周囲には、ずぶ濡れの仲間たちの姿がちらほら。
「……おい、生きてるか……! 誰か……!」
一人、また一人と、砂浜に這い上がる姿が見える。
絶望的な状況の中、25人――全員が生き残っていたのは、奇跡だった。
「……貴子……涼子……!」
「ここ……いる……無事……」
落合涼子が、濡れた髪を手でかきあげながら立ち上がる。
その隣で、大島貴子がよろよろと手を振った。目には涙が浮かんでいる。
「……ほんとに、全員無事だったんだな」
慎吾は、全員の顔を確かめるように砂浜を見渡した。
その時――ふと、異変に気づいた。
(……灯りが、一つもない?)
海から見えた島には、整備された観光施設の灯りが見えるはずだった。
売店、ロッジ、キャンプエリア、船着き場の誘導灯……何一つ見当たらない。
目の前に広がっているのは、鬱蒼とした森と、時代錯誤の木造の柵。
風に乗って漂う匂いは、潮と腐葉土と……何か、焦げたような、鼻につく刺激臭。
「……誰か、スマホ繋がるか?」
「ダメだ、圏外。電源は入るけど、電波がゼロ」
「GPSも反応なし。地図アプリも真っ白」
「時計が……おかしい。ほら……これ、午前1時? さっき、15時だったよな……?」
秒針は動いている。
海水が入った形跡もなかった。
口々に告げられる不具合の数々。
皆の顔色が、少しずつ、青から白に変わっていく。
(まるで、どこか別の世界に……)
慎吾は、言葉にするのをためらったが、その可能性をすでに考えていた。
(ここは……本当に“あの島”なのか?)
*
海辺を抜け、森の小道を進むと、島の中央部に近い高台へとたどり着いた。
そこにあったのが、島の中心に佇む大寺――「正源寺」だった。
瓦屋根の本堂は朽ちかけており、草が生い茂り、入口は開け放たれたままだった。
石段には苔が生え、誰かが最近出入りした形跡はない。
「……誰もいない?」
「夜までに雨が来る。ここで寝るしかないだろう」
「テントは? 食料は?」
「全部、海の中だよ……」
全員が黙り込む。
ようやく、誰かがぽつりと呟いた。
「ここ、本当に……俺たちが来るはずだった島?」
その問いには、誰も答えなかった。
*
夜が来ると、島はまるで時間そのものが止まったかのように静かだった。
セミの声も鳥の羽音も、何もない。
皆が肩を寄せ合って本堂に身を預ける中、慎吾は眠れずにいた。
(島民は? 人がいない島なのか?いや、この寺があるんだから人はいた可能性はある)
矢崎慎吾の胸中には、疑念がいくつも重なっていく。
そして、その最中――
ゴォォォォォン……
突如、鐘が鳴った。
本堂の裏、誰も近づいていなかったはずの鐘楼から、深く、重い音。
一同が息をのむ。
慎吾は反射的に立ち上がり、鐘の方へ向かう。
だが、誰もいなかった。
ロープは濡れておらず、足跡もない。
それでも、鳴ったのだ。間違いなく、自分たちの真上で。
「お、おい……何で鳴ったんだよ……」
「風のせいじゃ……ないよな?」
「なんか、いやな感じする……」
慎吾が振り返ると、少女が一人、門の前に立っていた。
白い和服を着た、面立ちのはっきりしない少女。
「……この寺に……近づいた者は……神の怒りを受けて、贄(にえ)にされる」
そう言って、少女はふっと消えた。
誰一人、叫ばなかった。
ただ、その晩、誰もが眠ることなく夜を明かした。
(まさか、最悪の合宿になるとは……思いもしなかった)
それが、「最初の夜」だった。
船のエンジン音はうなるように低く、腹の底に不安を響かせてくる。
風が、ぴたりと止んだ。けれどそれは、嵐の前の静けさというやつだった。
(おいおい……マジで、嵐、来るんじゃないか?)
矢崎慎吾は、濡れた甲板に手を突きながら、遠くにうっすらと見えてきた島影を睨んだ。
それは観光パンフレットに載っていたはずの、整備されたキャンプ地「青神島(あおがみじま)」……では、明らかになかった。
「なんかおかしくねぇ? 施設の灯りとか、一個も見えねぇぞ……」
後ろから呟くのは滝口。体育会系で体力だけは無駄にあるが、判断力は怪しい。
彼の声には笑いが含まれていたが、慎吾は乾いた笑みすら返せなかった。
「全員、荷物だけしっかり抱えてろ! 風、変わったぞ!」
叫ぶと同時に、船体がゴゴッ……!と音を立てて傾いた。
「うわっ!」
「やばい! 波……!」
次の瞬間だった。
巨大な黒い壁のような波が、船の正面から襲いかかってきた。
叫び声と怒号、床を滑るバッグ、船体を打ちつける凄まじい音。
耳が一瞬、音を拒否する。
(嘘だろ……沈むのか? 本当に?)
誰かが海へ投げ出された。
風と水飛沫と金属のきしむ音が混じり、思考が散り散りに破裂していく。
視界は白く泡立ち、上下の感覚が狂う。
(死ぬ。俺はここで――)
そんな思考すら、海の塩辛い味にかき消された。
*
「……ん、がっ、ぷ……!」
肺の奥に入りかけた海水を吐き出しながら、慎吾は砂浜に這い上がった。
目の前は灰色の空と波打ち際。周囲には、ずぶ濡れの仲間たちの姿がちらほら。
「……おい、生きてるか……! 誰か……!」
一人、また一人と、砂浜に這い上がる姿が見える。
絶望的な状況の中、25人――全員が生き残っていたのは、奇跡だった。
「……貴子……涼子……!」
「ここ……いる……無事……」
落合涼子が、濡れた髪を手でかきあげながら立ち上がる。
その隣で、大島貴子がよろよろと手を振った。目には涙が浮かんでいる。
「……ほんとに、全員無事だったんだな」
慎吾は、全員の顔を確かめるように砂浜を見渡した。
その時――ふと、異変に気づいた。
(……灯りが、一つもない?)
海から見えた島には、整備された観光施設の灯りが見えるはずだった。
売店、ロッジ、キャンプエリア、船着き場の誘導灯……何一つ見当たらない。
目の前に広がっているのは、鬱蒼とした森と、時代錯誤の木造の柵。
風に乗って漂う匂いは、潮と腐葉土と……何か、焦げたような、鼻につく刺激臭。
「……誰か、スマホ繋がるか?」
「ダメだ、圏外。電源は入るけど、電波がゼロ」
「GPSも反応なし。地図アプリも真っ白」
「時計が……おかしい。ほら……これ、午前1時? さっき、15時だったよな……?」
秒針は動いている。
海水が入った形跡もなかった。
口々に告げられる不具合の数々。
皆の顔色が、少しずつ、青から白に変わっていく。
(まるで、どこか別の世界に……)
慎吾は、言葉にするのをためらったが、その可能性をすでに考えていた。
(ここは……本当に“あの島”なのか?)
*
海辺を抜け、森の小道を進むと、島の中央部に近い高台へとたどり着いた。
そこにあったのが、島の中心に佇む大寺――「正源寺」だった。
瓦屋根の本堂は朽ちかけており、草が生い茂り、入口は開け放たれたままだった。
石段には苔が生え、誰かが最近出入りした形跡はない。
「……誰もいない?」
「夜までに雨が来る。ここで寝るしかないだろう」
「テントは? 食料は?」
「全部、海の中だよ……」
全員が黙り込む。
ようやく、誰かがぽつりと呟いた。
「ここ、本当に……俺たちが来るはずだった島?」
その問いには、誰も答えなかった。
*
夜が来ると、島はまるで時間そのものが止まったかのように静かだった。
セミの声も鳥の羽音も、何もない。
皆が肩を寄せ合って本堂に身を預ける中、慎吾は眠れずにいた。
(島民は? 人がいない島なのか?いや、この寺があるんだから人はいた可能性はある)
矢崎慎吾の胸中には、疑念がいくつも重なっていく。
そして、その最中――
ゴォォォォォン……
突如、鐘が鳴った。
本堂の裏、誰も近づいていなかったはずの鐘楼から、深く、重い音。
一同が息をのむ。
慎吾は反射的に立ち上がり、鐘の方へ向かう。
だが、誰もいなかった。
ロープは濡れておらず、足跡もない。
それでも、鳴ったのだ。間違いなく、自分たちの真上で。
「お、おい……何で鳴ったんだよ……」
「風のせいじゃ……ないよな?」
「なんか、いやな感じする……」
慎吾が振り返ると、少女が一人、門の前に立っていた。
白い和服を着た、面立ちのはっきりしない少女。
「……この寺に……近づいた者は……神の怒りを受けて、贄(にえ)にされる」
そう言って、少女はふっと消えた。
誰一人、叫ばなかった。
ただ、その晩、誰もが眠ることなく夜を明かした。
(まさか、最悪の合宿になるとは……思いもしなかった)
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