青神島の神の器

naomikoryo

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第2話:歪んだ迎え火

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朝が来ても、陽は昇らなかった。

空は灰色の布を引き裂いたように重たく、雲の切れ間すら見えない。
湿った風が寺の石畳をなめるように流れ、濡れた肌に冷たくまとわりつく。

矢崎慎吾は、本堂の縁側に腰をかけ、夜明けの空を見上げていた。

(朝になったのに、時間が止まってるみたいだ……)

廃寺「正源寺」の内部は、やはり人気のない荒れた空間だった。
板の間には埃が積もり、祭壇には仏像すら残されていない。

夜の間、誰もが本堂の床に座り込み、声もなく震えていた。
あの鐘の音と、和服の少女の幻影。
現実とは思えない、だがあまりにも「鮮やかだった」恐怖。

涼子は、慎吾のすぐ隣に立っていた。

「……起きてる?」

「うん。眠れるわけないだろ」

「ねえ、矢崎。あの子……見たよね?」

「ああ。見間違いなんかじゃない。はっきり……言葉も聞こえた」

「“生贄にされる”って言ってた」

風が吹き抜け、軋む音が柱から響く。
貴子が恐る恐る近づいてきた。手には濡れたノート。

「……みんな、人数は……合ってるよね?」

「……合ってる。俺、ちゃんと数えた。全員、生きてた。25人。名前も一致してる」

貴子は顔を伏せたまま、ぼそりと呟いた。

「でも……誰か一人、名前が思い出せないの。私……名簿作ったのに……」

慎吾はぎょっとして彼女を見た。

「それ……どういう意味?」

「25人いるのは確か。でも……ひとりだけ、“顔が浮かばない”の。名前だけ残ってて、顔も、声も、記憶も、ない」

貴子がノートを開き、手書きの名簿を見せた。

「この“海老名雅人”って名前……誰か思い出せる?」

慎吾と涼子は顔を見合わせた。確かに、そんな名前――聞いた記憶がない。

だが、貴子のノートには確かに「26番:海老名雅人(えびな まさと)」と書かれていた。

「もしかして……そもそも、“そんな奴”いなかったんじゃ……?」

「でも私、書いてあるの。名簿の最初から出欠確認を……」

「……出欠確認?」

慎吾は奇妙な既視感に襲われた。
(それって……つまり、最初から“いた”ことになってるのか?)



午前中、慎吾たちは島の様子を調べることにした。

グループを三つに分け、周囲の探索へ向かう。
慎吾は涼子、貴子、椎名圭吾、そして北條真司の五人で南の道を下った。

そこには本来、船着き場と観光案内所があるはずだった。

だが現れたのは――

「……時代劇かよ……」

北條がぼそりと呟く。

古びた木造の柵で囲まれた小さな港があった。
小舟が数隻、綱で繋がれて波に揺れている。モーターはない。
建物も、板張りの小屋と、かろうじて立っている井戸だけ。

「スマホがまた、変になってる……」

貴子がスマホの画面を見せる。電源は入っているのに、画面は砂嵐のように乱れている。

「これは……“文明ごと”飛ばされたんだな」

圭吾がぽつりと呟く。慎吾は眉をひそめた。

「どういう意味だ」

「俺たちは、“過去に来た”んだ。ここは現代じゃない。全員、気づいてるだろ?」

風が吹く。
干された漁網が、ギィ……と鳴った。

「ここは……かなり昔の島だよ。タイムスリップしたんだ。どう考えても」

「……証拠はあるのか?」

「ない。でも、電波もない、文明もない。なのに俺たちは、名前の一致しない仲間と一緒にいる。時間も狂ってる。これだけ揃えば充分」

涼子が目を細めた。

「私も……同じこと、思ってた。これは事故じゃない。“飛ばされた”のよ」

「飛ばされた先が、閉ざされた無人島だったってことか?」

「違う」

北條が、指差した。

「人がいる。あれを見ろ」

木々の合間から、小さな人影がこちらを見ていた。

それは、老婆だった。
ぼろぼろの麻衣を着て、腰を曲げ、こちらを睨みつけていた。

目が、まるで空洞のように濁っていた。

慎吾が一歩踏み出そうとした瞬間、老婆は手に持っていた木の枝に火をつけ、ゆっくりと火を振った。

「迎え火……?」

「……ちょっと待て、あれ、合図だぞ」

ぱっ、と火が高く上がる。

すると――

森の奥から、次々に人々が現れた。

男、女、子ども、老人……
どれも、現代の服装ではない。

着物、草履、頭巾、刀を差した者もいる。
そして皆が、慎吾たちを睨んでいた。

「おい……これって……!」

「包囲されてる!」

全員が一斉に引き返した。

木々の間から、「呪い」「穢れ」「生贄」「神の怒り」といった言葉が聞こえてくる。

まるで、何か“共通認識”があるかのように。

(なんだ……この島の人間は、俺たちが来るのを知っていた……?)

正源寺へ逃げ帰った後も、住民たちは決して本堂の敷地には足を踏み入れなかった。

だが、山のふもとには、歪んだ“迎え火”が、ずっと燃えていた。



夜――

再び、鐘が鳴った。

今度は、誰かがそれを“見た”という者がいた。

「白い着物の子ども……いや、少女だと思う」

「昨日と同じ子?」

「いや、違った……もっと、幼くて……顔が見えなかった」

火を囲んで、25人が押し黙る。

慎吾は思った。

(これは、ただの事故じゃない。何かが、俺たちを、呼び寄せたのだ)

この夜、島のどこかで、“海老名雅人”という名前が、再び風に消えていった。

──そして、一人の足音だけが、正源寺の裏へと消えていったのだった。
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