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第3話:正源寺
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正源寺の本堂には、もはや“静寂”という言葉では片づけられないほどの緊張が漂っていた。
それはまるで、空気そのものが何かを恐れているかのようだった。
矢崎慎吾は、真夜中を過ぎても床に伏せることができず、入口近くの柱にもたれていた。
冷たい木の感触と、外から吹き込む風の音。
時折きしむ床の軋みが、誰かの足音のように響く。
(このままじゃ、みんな壊れる)
彼はそう思っていた。
火を囲んでうずくまる者、震える者、泣き続ける者、怒鳴り合う者。
昨夜の鐘、そして今夜の“迎え火”と島民たちの姿が、全員の理性を少しずつ削っていた。
「慎吾……ちょっと、来て」
落合涼子が、袖を引いた。
彼女の手は冷たく、何かを見つけた目だった。
「地下に通じる階段……あったの。あの仏壇の裏」
「地下? 本堂の?」
「でも、扉が閉じてる。板で打ち付けられてて、釘も打ってある」
「つまり……誰かが封じたってことだな」
涼子は頷いた。
「誰かが……“下に行かせないように”してる。つまり、何かがあるってこと」
慎吾は視線を巡らせた。
皆が疲弊し、言い争う気力すらなくなっている。
そして、その中に――
“あるべきはずの人間の姿”が、ないことに気づいた。
(あれ? 滝口は……?)
屈強で、少し軽率な体育会系の男、滝口 翼。
いつも目立っていた彼の存在が、今夜に限って“消えていた”。
*
──その頃。
夜の闇の中、ひとつの影が、本堂を離れて裏手に向かっていた。
口元には微笑のようなものが浮かび、肩にかけたタオルを握りしめている。
「くそ……トイレ行きたいのに、誰も付き合ってくれねえし。ビビりすぎだって」
滝口 翼。
寺の裏にある、簡易的な便所へと続く細道を歩いていた。
懐中電灯も、電池が切れている。
月明かりが雲に遮られ、視界はほとんどない。
「……ん?」
遠く、竹林の間に何かが動いた。
だが、彼はそれを“猫”か何かだと思って笑った。
「まじ勘弁してほしいぜ、ほんと……」
小便を済ませて戻ろうとしたとき、彼は違和感に気づいた。
後ろに――気配。
振り返る。
誰もいない。
「……は?」
一歩、踏み出す。
その瞬間、風が止んだ。
竹林の間に、一筋の光が走る。
それは、月か、違うか――わからない。
ふと、何かの“匂い”が鼻をかすめた。
生ぬるい、獣のような匂い。血のような、錆びたような。
「……誰か……いるのか……?」
竹の隙間に、白いものが浮かぶ。
それは和服の裾のようだった。
いや、それよりも――人間離れした、細く異様な形をしていた。
「な……んだ、よ……おい……」
滝口が、一歩引いたそのとき――
──“何か”が彼の背後から現れた。
ぐしゃっ……という音が、夜に溶ける。
竹林に戻った静寂。
しばらくして、何かが地面を引きずる音がした。
血の臭いだけが、微かに残された。
*
「……滝口がいない?」
慎吾の声に、数人が立ち上がる。
すでに夜明け近く、本堂内では動揺が広がっていた。
「夜中にどっか行ったとか? 一人で?」
「トイレだろ?それとも水汲みにでも? でも、一人で……」
「探す。涼子、圭吾、北條、貴子……頼む、四方を分担しよう」
「ええ。でも、慎吾――これで“二人目”じゃない?」
涼子の言葉に慎吾は反応した。
「……二人目?」
「昨日の夜、誰も覚えていない“海老名雅人”という名前。もしかしたら、彼も“消された”のよ」
「……消された、って……」
「この寺に近づく者は、贄になる。彼は、近づいていたんじゃない?」
沈黙が流れる。
そのとき、貴子が叫んだ。
「……井戸! 井戸の蓋が、開いてる!」
*
石組みの古井戸は、本堂の裏手にある。
昨日まで木蓋が閉じられていたそれが、今朝、無惨に開いていた。
全員が緊張しながら見つめる中、慎吾は懐中電灯を取り出し、井戸の縁を覗き込んだ。
「……!」
底に、水はない。
だがそこに――何かが見えた。
人。
ぐにゃりと曲がった体勢で、井戸の底に転がる肉の塊。
それは、滝口 翼だった。
目は見開かれ、口は閉じられている。
だが、胸の中央が深くえぐれていた。
犯人が何を使ったのかもわからない。
どうやって殺したのかも、痕跡がない。
そして、彼がどうして“そこにいたのか”も――誰も説明できなかった。
「神の……怒りだ……」
誰かが呟いた。
慎吾は立ち尽くしたまま、唇を噛みしめた。
(何かが……始まってしまった。絶対に止めなきゃいけないのに)
一人、また一人と、恐怖は確実に命を削っていく。
そして、このとき慎吾はまだ知らない。
滝口の死が、“因果の一端”であることを――
それはまるで、空気そのものが何かを恐れているかのようだった。
矢崎慎吾は、真夜中を過ぎても床に伏せることができず、入口近くの柱にもたれていた。
冷たい木の感触と、外から吹き込む風の音。
時折きしむ床の軋みが、誰かの足音のように響く。
(このままじゃ、みんな壊れる)
彼はそう思っていた。
火を囲んでうずくまる者、震える者、泣き続ける者、怒鳴り合う者。
昨夜の鐘、そして今夜の“迎え火”と島民たちの姿が、全員の理性を少しずつ削っていた。
「慎吾……ちょっと、来て」
落合涼子が、袖を引いた。
彼女の手は冷たく、何かを見つけた目だった。
「地下に通じる階段……あったの。あの仏壇の裏」
「地下? 本堂の?」
「でも、扉が閉じてる。板で打ち付けられてて、釘も打ってある」
「つまり……誰かが封じたってことだな」
涼子は頷いた。
「誰かが……“下に行かせないように”してる。つまり、何かがあるってこと」
慎吾は視線を巡らせた。
皆が疲弊し、言い争う気力すらなくなっている。
そして、その中に――
“あるべきはずの人間の姿”が、ないことに気づいた。
(あれ? 滝口は……?)
屈強で、少し軽率な体育会系の男、滝口 翼。
いつも目立っていた彼の存在が、今夜に限って“消えていた”。
*
──その頃。
夜の闇の中、ひとつの影が、本堂を離れて裏手に向かっていた。
口元には微笑のようなものが浮かび、肩にかけたタオルを握りしめている。
「くそ……トイレ行きたいのに、誰も付き合ってくれねえし。ビビりすぎだって」
滝口 翼。
寺の裏にある、簡易的な便所へと続く細道を歩いていた。
懐中電灯も、電池が切れている。
月明かりが雲に遮られ、視界はほとんどない。
「……ん?」
遠く、竹林の間に何かが動いた。
だが、彼はそれを“猫”か何かだと思って笑った。
「まじ勘弁してほしいぜ、ほんと……」
小便を済ませて戻ろうとしたとき、彼は違和感に気づいた。
後ろに――気配。
振り返る。
誰もいない。
「……は?」
一歩、踏み出す。
その瞬間、風が止んだ。
竹林の間に、一筋の光が走る。
それは、月か、違うか――わからない。
ふと、何かの“匂い”が鼻をかすめた。
生ぬるい、獣のような匂い。血のような、錆びたような。
「……誰か……いるのか……?」
竹の隙間に、白いものが浮かぶ。
それは和服の裾のようだった。
いや、それよりも――人間離れした、細く異様な形をしていた。
「な……んだ、よ……おい……」
滝口が、一歩引いたそのとき――
──“何か”が彼の背後から現れた。
ぐしゃっ……という音が、夜に溶ける。
竹林に戻った静寂。
しばらくして、何かが地面を引きずる音がした。
血の臭いだけが、微かに残された。
*
「……滝口がいない?」
慎吾の声に、数人が立ち上がる。
すでに夜明け近く、本堂内では動揺が広がっていた。
「夜中にどっか行ったとか? 一人で?」
「トイレだろ?それとも水汲みにでも? でも、一人で……」
「探す。涼子、圭吾、北條、貴子……頼む、四方を分担しよう」
「ええ。でも、慎吾――これで“二人目”じゃない?」
涼子の言葉に慎吾は反応した。
「……二人目?」
「昨日の夜、誰も覚えていない“海老名雅人”という名前。もしかしたら、彼も“消された”のよ」
「……消された、って……」
「この寺に近づく者は、贄になる。彼は、近づいていたんじゃない?」
沈黙が流れる。
そのとき、貴子が叫んだ。
「……井戸! 井戸の蓋が、開いてる!」
*
石組みの古井戸は、本堂の裏手にある。
昨日まで木蓋が閉じられていたそれが、今朝、無惨に開いていた。
全員が緊張しながら見つめる中、慎吾は懐中電灯を取り出し、井戸の縁を覗き込んだ。
「……!」
底に、水はない。
だがそこに――何かが見えた。
人。
ぐにゃりと曲がった体勢で、井戸の底に転がる肉の塊。
それは、滝口 翼だった。
目は見開かれ、口は閉じられている。
だが、胸の中央が深くえぐれていた。
犯人が何を使ったのかもわからない。
どうやって殺したのかも、痕跡がない。
そして、彼がどうして“そこにいたのか”も――誰も説明できなかった。
「神の……怒りだ……」
誰かが呟いた。
慎吾は立ち尽くしたまま、唇を噛みしめた。
(何かが……始まってしまった。絶対に止めなきゃいけないのに)
一人、また一人と、恐怖は確実に命を削っていく。
そして、このとき慎吾はまだ知らない。
滝口の死が、“因果の一端”であることを――
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