放課後、君は海を見ていた(アオハル・シリーズ)

naomikoryo

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第4話:秘密の青いノート

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放課後の図書室には、時計の針の音しか響いていなかった。

窓際の席に座った雪野千紘は、開いたままのノートに視線を落としながら、心ここにあらずな様子だった。
数式も文字もまったく頭に入ってこない。ノートの罫線が、まるで波打つ水平線にさえ見えてしまう。

思い出すのは昨日のこと。

写真を拾ってくれた彼の指先の温度。
言葉少なに見せた、あのまっすぐで優しい眼差し。

“ああ、私はこの人のことをもっと知りたいと思ってるんだな”――
そんな風に気づいてから、颯真の存在が胸の奥に居座って離れなくなった。

けれど、彼はきっとまだ、自分のことを“ただのクラスメイトの一人”くらいにしか思っていない。

それがもどかしくて、でも少しだけ嬉しくて。
そんな複雑な感情が、自分でも持て余すほど膨らんでいた。

「……あの人は、何を見てるんだろう」

口に出してみても、返ってくる答えはない。

でも、知りたい。
彼の心の奥にあるものを。
彼が黙って見つめ続けている“海”の、その意味を。

その日も、海へ向かった。
千紘の歩幅は、少しだけいつもより速かった。

堤防には、やはり颯真がいた。

制服のまま、膝を立てて座っている。
手には、なにか青いノートのようなものがあった。

彼女が声をかける前に、颯真はそれを閉じ、リュックに滑り込ませた。

「……こんにちは」

「うん」

言葉は少ないけれど、それがもう日常のように自然で、千紘の頬は少し緩んだ。

ふたりはいつものように並んで座った。

風の音と波の音のなかで、何も語らなくても許される沈黙。

でも、その日はどうしても、あの青いノートのことが気になった。

「さっき見てたの、ノート?」

「うん。……まあ、そんなもん」

「勉強用じゃなさそうだったけど」

「……まあな」

いつもより少しだけ言葉が多い。
それだけで千紘の胸は跳ねた。

「……中、見せてくれる?」

冗談のように言ったけれど、本心だった。

颯真は一瞬、ぴくりと反応して、それから無言でリュックを引き寄せた。

「……ちょっとだけなら」

「えっ、本当にいいの?」

「……変なこと描いてても、引くなよ」

千紘が頷くと、彼は青いノートを開いた。

中には、びっしりと鉛筆で描かれたスケッチが並んでいた。

どれも、見慣れた風景。
この町の海、堤防、空、光。

そして――その中にあった、ひときわ丁寧に描かれた小さな男の子の後ろ姿。

「この子……」

「晴人。俺の弟」

千紘は息をのんだ。

「……あの時、助けられなかった。だから、今でも描き続けてる。忘れないために」

颯真の声は、風よりも低く、小さく揺れていた。

「記憶はいつか薄れる。でも、描いていれば思い出せる。あいつが笑ってた顔とか、波を怖がってた声とか」

「……あなたは、優しいね」

「……そんなことない。優しい人間だったら、弟を守れてたはずだ」

千紘は思わず、手を伸ばしてノートのページをそっと押さえた。

紙に刻まれた線のひとつひとつが、颯真の痛みの軌跡だった。

「ねえ、颯真くん。私、ずっとあなたのこと、知りたいって思ってた。写真を拾ってくれたときも、今日ノートを見せてくれたときも、あなたがどんなふうに人を想ってるか、少しずつわかってきて」

言葉が震える。
でも、止められなかった。

「もっと知りたいって思ってたのに、今、思ったの。私、あなたを……好きなんだって」

沈黙が流れた。

波が岩に砕ける音が、やけに大きく聞こえた。

颯真は、ゆっくりと千紘を見た。
その瞳には、驚きと、戸惑いと、そしてほんのわずかな光が宿っていた。

「……俺は、誰かと関わる資格なんてないって思ってた」

「そんなこと、ないよ」

「でも、君が……そう言ってくれるなら。俺も……君を、少しずつ見てみたいと思う」

それは、はっきりとした“好き”ではなかったかもしれない。
でも、千紘にはそれで十分だった。

“閉じられた扉が、少しだけ開いた”
そんな手応えがあった。

ふたりの距離は、まだわずか数十センチ。

けれど、心の距離は、確実に縮まっていた。

千紘は微笑んだ。

この人を、これからもっと好きになっていく。
その確信が、胸の奥でふわりと花開いたようだった。

その夜、千紘はノートの隅に、そっと一文を書き留めた。

「誰かを好きになるって、
 その人の悲しみを、すこし分けてもらうことだと思った。」

ページを閉じるとき、彼の描いた海の絵が浮かんできた。
あの日の空と、風と、彼の目に映っていた“痛み”。

でも今は、それだけじゃない。

その海の先には、きっと――あたたかい未来がある。
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