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第一部:「森の王の誕生」
第3話「森辺の村と赤いリボン」
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小鳥の声が、森を揺らしていた。
風が木々の間を通り抜け、朝の霧を吹き払っていく。
一筋の光が、葉の隙間から差し込んでバルトの背中を撫でた。
彼の足取りはゆっくりと、しかし確実に深い森の奥へと向かっていた。
昨夜、フィンが言ったのだ。
「この先に、人間の村がある。“森辺の村”と呼ばれている。
村は森の恵みに依存していて、時々魔物の襲撃を受ける。
近頃、その被害がひどくなっているらしい。」
バルトはその言葉に反応を見せた。
人間。
そう聞いたとき、胸の奥に焼きついたあの光景がよみがえった。
(あの少女……笑っていた……。そして、泣いていた……。)
自分が命をかけて守った、地球の少女。
赤いリボン。泣き顔。そして最後に見た、微笑み。
それが、忘れられなかった。
「……お前、人間に興味があるのか?」
フィンにそう聞かれたが、バルトは答えなかった。
いや、答えられなかった。
ただ一歩ずつ、森の奥へと進んでいった。
*
森の気配が変わったのは、昼を過ぎた頃だった。
木々の間から、微かに焚き火の匂いが混じってくる。
人工物の気配。獣の世界には存在しない、焦げた木と煙の混ざった匂い。
(……村の気配。)
バルトは足音をさらに静かにした。
彼の体躯に似合わぬ慎重さで、草を踏まず、風に紛れて進んでいく。
やがて木々の切れ目から、小さな畑と柵が見えた。
そして、その奥に、いくつかの茅葺き屋根の家々。
森辺の村だった。
──そのときだった。
「きゃっ!」
乾いた悲鳴が、森の奥から上がった。
続けて、荒々しい唸り声。獣のようでありながら、どこか人語の残響を引きずったような、不気味な声だった。
(魔物──!)
バルトは走った。
太い木をなぎ倒す勢いで、地面を蹴り、音を立てずに茂みを突き進む。
声のする方には、小さな草地があった。
その中央で、少女が転倒していた。
そして彼女の前には、一体の魔物──犬のような体に人間の顔が縫い付けられたような、異形のクリーチャーがいた。
少女の髪は、栗色だった。
ツインテールに結ばれ、その先には、赤いリボンが揺れていた。
(……!)
バルトの中で何かが爆ぜた。
咆哮。
風を裂くような轟きが、森全体を震わせた。
魔物が振り返るよりも早く、バルトの巨体が地面を蹴り、宙を飛んだ。
そのまま魔物の胴を前脚で叩き伏せ、地面に沈める。
鈍い音とともに、骨が砕け、肉が裂けた。
少女は、呆然とその光景を見つめていた。
バルトはゆっくりと振り返った。
少女と目が合う。
その瞳には恐怖があった。
しかし──同時に、それとは違う何かがあった。
少女は、震えながらも身を起こし、後ずさりしなかった。
そして、そっとバルトの顔を見つめた。
「……たすけて、くれたの?」
その言葉の意味は、バルトにはわからなかった。
だが、その声の震え、その瞳の奥の揺らぎは、理解できた。
恐れている。けれど、それでも、逃げようとしていない。
バルトは一歩前に出た。
少女は少しだけ肩をすくめたが、動かなかった。
バルトは地面に伏せ、前脚をそっと伸ばし──折れた草の葉を、彼女の方へ押しやった。
それは、威嚇でも攻撃でもなかった。
ただの、小さな“贈り物”だった。
少女は、目を見開いた。
そして、おそるおそる、草の葉を受け取った。
「……あなた……お話できないんだね。」
バルトは静かに頷いた。
少女の声の調子が、少しずつ変わっていくのが分かった。
最初は怯えていた。
けれど、今は違う。
恐怖の中に、理解しようとする気持ちが混ざっている。
(言葉が通じなくても、伝わるものはある……)
彼はゆっくりと立ち上がった。
そして、少女に背を向け、森の奥を見つめた。
「帰れ」と命令するように。
「もう大丈夫」と伝えるように。
少女は、彼の背中を見て、小さくつぶやいた。
「……ありがとう。」
バルトは振り返らなかった。
その言葉は、理解できなかった。
でも──胸の奥に、温かい火が灯った気がした。
風が、赤いリボンを揺らした。
それは、かつての少女がつけていたものと、まったく同じ色だった。
(守りたかった命。今度も──守れるかもしれない。)
バルトは静かに森へと戻っていった。
その後ろ姿を、少女はじっと見送っていた。
やがて森の影に消えた彼の残り香に、少女は手を合わせて、小さく笑った。
「……また、会えるよね。」
風が木々の間を通り抜け、朝の霧を吹き払っていく。
一筋の光が、葉の隙間から差し込んでバルトの背中を撫でた。
彼の足取りはゆっくりと、しかし確実に深い森の奥へと向かっていた。
昨夜、フィンが言ったのだ。
「この先に、人間の村がある。“森辺の村”と呼ばれている。
村は森の恵みに依存していて、時々魔物の襲撃を受ける。
近頃、その被害がひどくなっているらしい。」
バルトはその言葉に反応を見せた。
人間。
そう聞いたとき、胸の奥に焼きついたあの光景がよみがえった。
(あの少女……笑っていた……。そして、泣いていた……。)
自分が命をかけて守った、地球の少女。
赤いリボン。泣き顔。そして最後に見た、微笑み。
それが、忘れられなかった。
「……お前、人間に興味があるのか?」
フィンにそう聞かれたが、バルトは答えなかった。
いや、答えられなかった。
ただ一歩ずつ、森の奥へと進んでいった。
*
森の気配が変わったのは、昼を過ぎた頃だった。
木々の間から、微かに焚き火の匂いが混じってくる。
人工物の気配。獣の世界には存在しない、焦げた木と煙の混ざった匂い。
(……村の気配。)
バルトは足音をさらに静かにした。
彼の体躯に似合わぬ慎重さで、草を踏まず、風に紛れて進んでいく。
やがて木々の切れ目から、小さな畑と柵が見えた。
そして、その奥に、いくつかの茅葺き屋根の家々。
森辺の村だった。
──そのときだった。
「きゃっ!」
乾いた悲鳴が、森の奥から上がった。
続けて、荒々しい唸り声。獣のようでありながら、どこか人語の残響を引きずったような、不気味な声だった。
(魔物──!)
バルトは走った。
太い木をなぎ倒す勢いで、地面を蹴り、音を立てずに茂みを突き進む。
声のする方には、小さな草地があった。
その中央で、少女が転倒していた。
そして彼女の前には、一体の魔物──犬のような体に人間の顔が縫い付けられたような、異形のクリーチャーがいた。
少女の髪は、栗色だった。
ツインテールに結ばれ、その先には、赤いリボンが揺れていた。
(……!)
バルトの中で何かが爆ぜた。
咆哮。
風を裂くような轟きが、森全体を震わせた。
魔物が振り返るよりも早く、バルトの巨体が地面を蹴り、宙を飛んだ。
そのまま魔物の胴を前脚で叩き伏せ、地面に沈める。
鈍い音とともに、骨が砕け、肉が裂けた。
少女は、呆然とその光景を見つめていた。
バルトはゆっくりと振り返った。
少女と目が合う。
その瞳には恐怖があった。
しかし──同時に、それとは違う何かがあった。
少女は、震えながらも身を起こし、後ずさりしなかった。
そして、そっとバルトの顔を見つめた。
「……たすけて、くれたの?」
その言葉の意味は、バルトにはわからなかった。
だが、その声の震え、その瞳の奥の揺らぎは、理解できた。
恐れている。けれど、それでも、逃げようとしていない。
バルトは一歩前に出た。
少女は少しだけ肩をすくめたが、動かなかった。
バルトは地面に伏せ、前脚をそっと伸ばし──折れた草の葉を、彼女の方へ押しやった。
それは、威嚇でも攻撃でもなかった。
ただの、小さな“贈り物”だった。
少女は、目を見開いた。
そして、おそるおそる、草の葉を受け取った。
「……あなた……お話できないんだね。」
バルトは静かに頷いた。
少女の声の調子が、少しずつ変わっていくのが分かった。
最初は怯えていた。
けれど、今は違う。
恐怖の中に、理解しようとする気持ちが混ざっている。
(言葉が通じなくても、伝わるものはある……)
彼はゆっくりと立ち上がった。
そして、少女に背を向け、森の奥を見つめた。
「帰れ」と命令するように。
「もう大丈夫」と伝えるように。
少女は、彼の背中を見て、小さくつぶやいた。
「……ありがとう。」
バルトは振り返らなかった。
その言葉は、理解できなかった。
でも──胸の奥に、温かい火が灯った気がした。
風が、赤いリボンを揺らした。
それは、かつての少女がつけていたものと、まったく同じ色だった。
(守りたかった命。今度も──守れるかもしれない。)
バルトは静かに森へと戻っていった。
その後ろ姿を、少女はじっと見送っていた。
やがて森の影に消えた彼の残り香に、少女は手を合わせて、小さく笑った。
「……また、会えるよね。」
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