ベア・キングダム

naomikoryo

文字の大きさ
8 / 27
第一部:「森の王の誕生」

第5話「誓いの縄張り」

しおりを挟む
陽が西へ傾きはじめ、森が金色に染まり始めたころ。
バルトは、ひとつの丘の上に立っていた。
足元には、木々の合間から見下ろせる静かな谷。
そこには小川が流れ、草の香りが風に乗って広がっていた。

フィンがその隣に立ち、森の奥を見渡す。

「……ここを“縄張り”にするのか?」

バルトは、無言で頷いた。
その眼差しは真剣で、静かだった。

(ここは、誰も争っていない。獣も、魔物も、人間の手も届いていない。)

数日前から森を歩き、気配を読み、地形を確かめた。
斜面に囲まれ、見晴らしがよく、水もある。
外敵が来ても気配がわかる。
逃げ道も、隠れ場所もある。

なにより──ここには、まだ「痛み」の匂いがない。

「だが、なぜ今ここに“拠点”を作る?
敵も味方も、お前の存在を探して動き始めたところだぞ?」

バルトは、草の上に座り込んだ。
大きな前脚で土を押さえ、木の枝を集める。
地面に並べて、楕円形の囲いをつくる。

そして、その中に、小さな点をひとつ刻む。

(ここは、中心だ。始まりの場所にする。)

「……守りたいってことか。」

フィンは鼻を鳴らしたが、どこか安心したようにも見えた。

「それが、お前のやり方か。攻めるでも逃げるでもなく、“構える”。
……まるで、自然そのものだな。」

バルトは、かすかに目を細めた。

(自然は、暴れるだけじゃない。護る力だってある。)

彼は、再び立ち上がり、周囲を見回した。
この土地に、何を建てるわけではない。
だが、ここに「秩序」が生まれる。
それはきっと、噂となって広がる。

その証拠に──

「……おい、見ろ。」

フィンが、尾を振って指し示した先に、影が動いた。
小さな二対の目が、木陰からこちらを見ていた。

それは、一匹のアライグマだった。
だが、その背中には、まだ目も開かない赤ん坊が乗っていた。

怯えながら、しかし逃げることなく、バルトたちを見つめている。

(……来た。)

バルトは、そっと地面に伏せた。
威圧せず、拒絶せず、ただ静かに存在を示す。

アライグマは、慎重に一歩ずつ足を踏み出し──
谷の縁にたどり着いた。

続いて、別の気配。
草陰から小さなテンが顔を出し、距離を取りながら丘を登ってくる。

そして──空を舞う影。
一羽のフクロウが、枝にとまり、低く「ホゥ」と鳴いた。

(……みんな、見ている。)

傷を負った者。居場所を失った者。群れを追われた者。
彼らが、言葉ではなく“噂”に導かれて集まりはじめた。

「これが、王の“始まり”か?」

フィンの声に、バルトは振り返らない。
だが、前を見据えたまま、ゆっくりと首を上げた。

咆哮はしない。
ただ、存在そのものを持って、ここが“守る場所”であることを示す。

「……分かった。ならば俺は、その“境界”を守ろう。」

フィンが谷の反対側へ歩き、斜面に印を残す。
古の獣たちが使ったという、縄張りの誓印だった。

──その夜。
谷には静かな焚き火のような空気が満ちていた。
動物たちは警戒しながらも、少しずつ距離を詰め、谷に体を横たえる。

バルトは、谷の真ん中に寝そべり、静かに目を閉じた。
かつて、檻の中で聴いた子どもたちの笑い声。
拍手の音。
少女の泣き顔。

(もう……誰も泣かせたくない。)

明日、何が起きるかは分からない。
魔物が襲ってくるかもしれない。
人間の軍が踏み込んでくるかもしれない。

だが──

(それでも、ここはぼくの“ステージ”だ。)

森の風が、バルトの体を包んでいた。

そして、誰も気づかない空の高みで。
微かに光る何かが、バルトの上に降り注いでいた。

──それは、創造神アウラの残した微かな“導き”だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

神様の忘れ物

mizuno sei
ファンタジー
 仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。  わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。

【完結】転生したら最強の魔法使いでした~元ブラック企業OLの異世界無双~

きゅちゃん
ファンタジー
過労死寸前のブラック企業OL・田中美咲(28歳)が、残業中に倒れて異世界に転生。転生先では「セリア・アルクライト」という名前で、なんと世界最強クラスの魔法使いとして生まれ変わる。 前世で我慢し続けた鬱憤を晴らすかのように、理不尽な権力者たちを魔法でバッサバッサと成敗し、困っている人々を助けていく。持ち前の社会人経験と常識、そして圧倒的な魔法力で、この世界の様々な問題を解決していく痛快ストーリー。

異世界転生した時に心を失くした私は貧民生まれです

ぐるぐる
ファンタジー
前世日本人の私は剣と魔法の世界に転生した。 転生した時に感情を欠落したのか、生まれた時から心が全く動かない。 前世の記憶を頼りに善悪等を判断。 貧民街の狭くて汚くて臭い家……家とはいえないほったて小屋に、生まれた時から住んでいる。 2人の兄と、私と、弟と母。 母親はいつも心ここにあらず、父親は所在不明。 ある日母親が死んで父親のへそくりを発見したことで、兄弟4人引っ越しを決意する。 前世の記憶と知識、魔法を駆使して少しずつでも確実にお金を貯めていく。

俺に王太子の側近なんて無理です!

クレハ
ファンタジー
5歳の時公爵家の家の庭にある木から落ちて前世の記憶を思い出した俺。 そう、ここは剣と魔法の世界! 友達の呪いを解くために悪魔召喚をしたりその友達の側近になったりして大忙し。 ハイスペックなちゃらんぽらんな人間を演じる俺の奮闘記、ここに開幕。

処理中です...