双星の記憶(そうせいのきおく)

naomikoryo

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序章:「鏡の向こうの自分」

第三話:「鏡の声、もうひとりの僕」

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翌日から、剛は鏡を見れなくなった。

 正確には、“見るのが怖くなった”のだ。

 部屋の片隅に立てかけられた姿見。その表面に映るのは、いつもと同じ自分の顔――のはずだった。
 だが、一昨日の夜の、あの一瞬が脳裏から離れない。

 笑っていた。自分の顔で、自分じゃない何かが。
 微笑んでいた。あまりにも自然に、自分を観察するように。

 「気のせいだ」そう自分に言い聞かせても、胸の奥のざわめきは消えなかった。
 心の奥に指を突っ込まれるような感覚。まるで誰かに“見られていた”ような……。
 

 「おい、剛。聞いてる?」

 目の前で指を鳴らされ、剛はビクッと肩を跳ねさせた。

 昼休み、教室の隅の机。いつものようにオタク仲間とつるんでいたはずなのに、いつの間にか会話から抜け落ちていた。

 「……あ、ごめん、ぼーっとしてた」

 「いや、いいけどさ。最近変じゃね? お前。顔色悪いし、寝不足か?」

 佐野と中井の二人が心配そうに覗き込んでくる。
 その視線が逆に痛かった。

 「……大丈夫。ちょっと変な夢見たくらい」

 「あー、怖いやつ? 幽霊とか?」

 「うん……まぁ、そんな感じ」

 本当は夢じゃない。でも、夢ってことにしておいた。自分でもどう説明すればいいか分からなかったから。
 

 その日の午後、体育の授業で上級生に軽く押されて、グラウンドの隅で転んだ。泥にまみれた体操服。誰も手を貸してくれない。
 空は晴れていたのに、剛の視界は灰色だった。

 「なんで、こんな毎日なんだろう」

 小さな声で呟いても、風が掻き消していく。
 世界は残酷なくらい静かで、そして誰も、自分を見ていない。
 

 夜。
 風呂を終えて部屋に戻った剛は、鏡に背を向けるようにしてベッドに倒れ込んだ。

 今日も、何も良いことはなかった。
 自分がいない方が、世界はもっとスムーズに回るんじゃないか。
 そんな考えが頭をかすめる。

 だけど、それと同時に――ふと、浮かぶイメージがあった。

 あの“もうひとりの僕”だ。
 

 あれから、何度も夢に現れた。
 暗い石造りの廊下。壁に揺れる松明の炎。古い城のような場所。
 そして、その中心で、鏡の前に立つ青年――まるでRPGの主人公みたいな、異世界の勇者のような服装をした、自分そっくりの男。

 彼は、じっと剛を見ていた。
 言葉は交わさない。けれど、その目は、何かを訴えているようで――。
 

「……会ってみたいな」

 口からぽろっと零れたその言葉に、自分で驚いた。

 なんで、そんなことを思ったんだろう。
 でも、どこかで感じていた。

 あの男は、俺を知っている。

 そして、もしかしたら――俺の代わりになってくれるかもしれない。
 

 思わず、体が動いた。
 ベッドから起き上がり、そっと鏡の前に立つ。

 鏡の中には、自分の顔。
 けれど、その目は――ほんの僅かに、動いたように見えた。

「……誰、なの?」

 小さな声で問いかけた。
 沈黙。返事はない。だが、鏡面がふいに波打ったように揺れた。

「……!」

 思わず一歩、後ずさる。

 鏡の奥に、光が走った。青白い、幻のような光。
 そして、聞こえた。
 

 「西条剛……」
 

 自分の名前だった。
 はっきりと、確かに、男の声で。低く、穏やかで、どこか優しい声だった。

「……誰? 僕の名前、なんで――」
 

 「俺は、タケル。異なる世界に生きる者……君の願い、聞こえたんだ」
 

 剛の口から、息が漏れる。
 手が震えた。足も、わずかに力が抜けていた。

「……夢じゃ、ないの?」
 

 「夢ではない。君がこの世界に疲れていること、君が“ここじゃないどこか”を望んでいること、全部……鏡を通して、見えていた」
 

 鏡の奥、今は霧のようなものが渦巻いていた。
 その中から、あの男――タケルと名乗る青年の輪郭が、浮かび上がる。

 剛とそっくりな顔。けれど、彼の目は、あまりにも強く、深く、そしてどこか……悲しかった。
 

「君に、頼みがある」

 タケルの声は、静かに部屋に響いた。

「この世界を、少しの間、君に任せたい。そして、君の世界に……俺を行かせてほしい」

「……入れ替わるってこと?」

「そうだ。君が望むなら。無理にとは言わない。でも、君の世界には俺が必要で、俺の世界には、君のような“普通の人間”が必要なんだ」
 

 剛は混乱していた。
 でも、それ以上に――心の奥で、何かがうずいていた。

 目立たなくていい。誰かを助ける力なんていらない。
 だけど、「自分にしかできないこと」があるのだとしたら。
 それが、ここじゃない世界にあるのだとしたら――。
 

「……それって、本当に……できるの?」
 

 タケルは頷いた。

「予言の鏡が開かれた今なら、できる。俺たちは、顔も魂の波長も、限りなく近い。“同一存在”として認識されている。だから、入れ替わることが可能なんだ」
 

 信じられない話だった。
 だけど、なぜか、剛はこの“タケル”という人物を信じてみたいと思った。

 自分と同じ顔で、自分とはまったく違う眼差しを持つその青年は、
 確かに“何かを終えた”人間のように見えた。
 

「僕は……」

 口に出しかけて、言葉が詰まる。

「僕は……変わりたい。けど……怖いんだ」

「大丈夫だ。俺も、怖い。でも、だからこそ……一緒に変わろう」
 

 鏡の奥、タケルが手を伸ばす。
 まるで、それに呼応するかのように、剛の手も自然と伸びていた。

 指先が、鏡に触れる――その瞬間。


 空気が一変した。
 部屋の灯りがゆらぎ、鏡の中の霧が一気に渦を巻く。
 光の奔流が、剛の体を包み込む。

 思考が、音が、感覚が、遠ざかっていく。
 

 そして、彼は――鏡の向こうへと、落ちていった。
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