社宅の神さまは、恋愛不感症

naomikoryo

文字の大きさ
1 / 15

第1話:ようこそ、ボロ社宅へ

しおりを挟む
引越し業者のトラックが社宅の前に止まったのは、春まだ浅い、三月の終わり。
 雨宮葵はダンボールの山に囲まれながら、社宅の外観を見上げて、心の中でひっそりとため息をついた。

 「……いや、聞いてたけど、これは想像以上に年季入ってるなあ」

 築四十年越えの三階建て、社宅という名の木造アパート。通称「桜川社宅」。
 新天地での生活に胸をときめかせていたはずが、いざ目の前にすると、テンションが一気に冷え込む。

 だが、引越し先に贅沢は言えない。転職した会社の福利厚生で安く住めるという点は魅力だった。
 駅から徒歩七分、コンビニも近く、なにより社宅住まいなら、会社の人間関係にも早く馴染めるかもしれない──そんな淡い期待を抱いて、引越しを決めたのだ。

 「……ま、住めば都、って言うしね!」

 自分に言い聞かせるように呟いて、葵は一つ目のダンボールを抱えた。
 すると、後ろから静かに声がかかる。

 「すみません、手伝います」

 驚いて振り返ると、そこには見慣れない青年が立っていた。
 黒いジャージに身を包み、長身痩せ型。表情は極端なほどに薄く、感情の気配がない。

 「……あ、ありがとうございます。えっと、どちら様?」

 「隣の部屋に住んでます。瀬名といいます」

 「隣って、203号室の……?」

 「はい。雨宮さんですよね」

 「わ、もう名前まで……」

 「引越し予定者リストに載ってました。管理人から聞いています」

 淡々とそう答える彼──瀬名樹(せな・いつき)は、葵の予想を超えるほど手際よく、ダンボールを次々と部屋に運んでくれた。
 まるでプログラムされたロボットのような動き。無駄がなく、迷いもない。

 「……すごい、引越し業者より早いかも」

 ぽつりと漏らすと、瀬名は一瞬だけ首をかしげた。

 「引越し作業は合理性が重要ですから」

 その表情はまったく崩れない。まばたきすら最小限だ。
 でも、なぜか怖いという印象はなかった。ただ、極端に“人間味”が少ない──そんな感じだった。

 「社宅の神さま、って呼ばれてるの、もしかして瀬名さんですか?」

 ふと、会社の先輩から聞いた噂を思い出して尋ねてみる。
 彼は一瞬だけ間をおき、静かにうなずいた。

 「……たまに、そう呼ばれています」

 「すごいですね。神さまって」

 「悪趣味なあだ名だと思いますが」

 「え? 全然そんなこと……」

 「何かあったら、声をかけてください。それでは」

 それだけ言って、瀬名は踵を返し、自分の部屋へと戻っていった。
 去り際まで静かで、音を立てることもなく──まるで風のようだった。

 (……なんか、すごい人と隣になっちゃったな)

 葵は小さく苦笑しながら、自室の鍵を開けた。

     ***

 新しい部屋は思ったより広かった。古さは否めないが、清掃は行き届いている。
 どことなく昭和の香りが残る室内。畳敷きの六畳間と、キッチン、風呂、トイレ。
 冷蔵庫と洗濯機は自前だが、エアコンと給湯器は備え付けだ。

 「……まあ、住めないことはないかな」

 ざっと掃除を終え、必要最低限の家具を配置して、ようやく一息ついた頃──

 「ピンポーン」

 インターホンの音に葵が出ると、そこには小柄な女性が立っていた。

 「あら~、こんにちは! 新しく越してきた雨宮さん?」

 「はい、そうですけど……」

 「私は西園寺奈津、202号室よ。総務課だから、仕事でも顔合わせるかもね」

 ふわりと柔らかく笑う彼女は、控えめなメイクにベージュのカーディガンという、どこか“お姉さん”感のある人だった。

 「これ、引越し祝いにどうぞ。社宅内ルールのまとめメモも入れてあるから」

 「ありがとうございます……!」

 差し出されたのは、ラップに包まれた手作りクッキーと、手書きの社宅マニュアル。
 手の込んだ字で「社宅での心得」「管理人さんの機嫌の取り方」「ゴミ出しスケジュール」などが書かれていて、思わず笑ってしまう。

 「……これ、すごいですね」

 「まあ、みんな最初は戸惑うからね。あ、瀬名くんにはもう会った?」

 「はい、お隣の方ですよね。手伝ってくれて」

 「ふふ、でしょ? 彼、神レベルに家事できるから、住人から“社宅の神さま”って呼ばれてるのよ」

 「本当に、そんな感じでした……」

 「でもねー、ちょっと変わってるのよ。恋愛とか、ぜ~んぜん興味ないっぽいし。たまにロボットなのかと思う」

 「はは……たしかに、ちょっとそんな感じでした」

 そんな他愛ない話を交わして、西園寺さんは帰っていった。
 ほんの十分ほどの会話だったが、葵の中にじわりと“安心”が広がった。

 (なんだかんだで、いい人たちが住んでるかも)

     ***

 その夜。
 カップ麺で簡単に夕食を済ませた葵は、段ボールの山に囲まれたまま布団を敷き、床に寝転んだ。
 部屋の壁越しには、時折、隣室から微かな物音が聞こえる。水を出す音。包丁のリズム。食器を片付ける響き。

 (……まだ起きてるんだ。夜もちゃんと自炊してるのか……)

 社宅という場所にまだ慣れない不安と、隣の住人が「生活のプロ」すぎることへの戸惑いが入り混じる。
 けれど、その生活音が、不思議と心地よかった。

 (わたしも、少しずつここに馴染んでいけるといいな……)

 天井を見つめながら、葵はそっと目を閉じた。

 新しい生活、新しい人間関係。
 そして、感情の見えない隣人との、奇妙な共同生活の始まりだった。

つづく
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。 「だって顔に大きな傷があるんだもん!」 体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。 実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。 寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。 スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。 ※フィクションです。 ※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

元カレは隣の席のエース

naomikoryo
ライト文芸
【♪♪♪本編、完結しました♪♪♪】 東京で燃え尽きたアラサー女子が、地元の市役所に転職。 新しい人生のはずが、配属先の隣の席にいたのは―― 十四年前、嘘をついて別れた“元カレ”だった。 冷たい態度、不器用な優しさ、すれ違う視線と未練の影。 過去を乗り越えられるのか、それとも……? 恋と再生の物語が、静かに、熱く、再び動き出す。 過去の痛みを抱えた二人が、地方の公務員として出会い直し、 心の距離を少しずつ埋めていく大人の再会ラブストーリー。

レオナルド先生創世記

ポルネス・フリューゲル
ファンタジー
ビッグバーンを皮切りに宇宙が誕生し、やがて展開された宇宙の背景をユーモアたっぷりにとてもこっけいなジャック・レオナルド氏のサプライズの幕開け、幕開け!

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。  タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。  しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。  剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。

処理中です...