社宅の神さまは、恋愛不感症

naomikoryo

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第2話:朝ごはん、神レベル

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朝。目覚ましの音が鳴る前に、葵は目を覚ました。

 昨夜は引越しの疲れで泥のように眠ってしまったが、不思議と寝覚めは良かった。
 知らない天井、知らない匂い。けれど、静かで、思ったより落ち着く。

 (……うん。悪くないかも、この部屋)

 そう思ってふと立ち上がった瞬間――。

 「……あ」

 足元に積み上げられた段ボールにつまずいて、思い切り転ぶ。
 バサッという音とともに、昨日整理しきれなかった書類や文具が床に散らばった。

 「……ぐぬぬ」

 引越し直後の“あるある”だと自分に言い聞かせながら、葵はしゃがみ込んで荷物を拾い始めた。
 そんな朝。ふと、隣室から香ばしい匂いが漂ってくる。

 (……え? なんか、めっちゃ良い匂いするんだけど)

 鼻をくすぐるのは、だしの効いた味噌汁の匂いと、焦げ目が美しい焼き魚…のような。
 さらに、ほのかに炊きたてごはんの香りまで混じっていて、思わず腹の虫が鳴った。

 「……まさか、あの“神さま”?」

 そう考えた瞬間、インターホンが鳴った。
 出ると、案の定、昨日の隣人――瀬名樹が立っていた。

 「おはようございます」

 「おはようございます……って、どうしたんですか?」

 彼の手には、ラップで丁寧に包まれたおにぎりと、タッパー入りの味噌汁。
 そして、銀色に輝くホイルの中には、塩サバと思しき焼き魚が。

 「昨日、手伝ったお礼に。朝ごはんを作りすぎたので、おすそわけです」

 「す、すご……えっ、こんなの自分で作ったんですか?」

 「はい。冷蔵庫の在庫整理も兼ねて」

 表情を一切変えず、瀬名は静かに差し出した。
 葵は恐縮しつつも、お腹の音には抗えず、ありがたく受け取る。

 「じゃ、じゃあ……いただきます!」

     ***

 数分後、自室のテーブルにて。

 「……なにこれ、うまっ……!」

 一口、二口と食べ進めるうちに、葵は思わず声を漏らした。
 味噌汁は赤味噌ベースに煮干しと昆布のだしがしっかり効いており、具にはワカメと大根、豆腐が入っている。
 おにぎりは昆布と梅、しかも海苔がパリパリ。
 焼き魚は脂がのっていて、箸で身がほろりと崩れる完璧な焼き加減。

 「……え、なに? 旅館の朝ごはん……?」

 どう考えても男の一人暮らしが出すレベルではない。
 何より感動したのは、全体に共通する「清潔感」と「やさしさ」のようなものだった。

 (この人、絶対ただ者じゃない)

 「あれ?でも…手伝ったお礼??」

 そう思った矢先、再びインターホンが鳴った。
 ドアを開けると、西園寺さんが缶コーヒー片手に立っていた。

 「おっはよう、雨宮ちゃん。朝からいい匂いしてたわよ~。もしかして、もらった?」

 「えっ、あ、はい。おすそ分けで……」

 「うわー、初日から瀬名くんの朝ごはんもらえるなんて、ツイてるわね。私、半年住んでて一回ももらったことないのに~」

 「そ、そうなんですか?」

 「うん。彼、ほんとに感情が薄いっていうか、人付き合いもほとんどしないの。社宅の掃除当番とかは完璧なんだけど、誰かと食事したりは絶対しないタイプ」

 「……え?」

 その一言に、葵の手が止まる。
 さっきの朝ごはんが、なんだか特別なものだったような気がしてくる。

 「でもね、生活力はガチ。掃除も洗濯も炊事も、まるで“プロ主夫”って感じ」

 「……たしかに、それは実感しました……」

 「ただし! 感情表現はゼロ! あれで彼女いない歴=年齢って噂だし、会社の飲み会も全部断るし、ほんっと恋愛に関しては“不感症”っていうか……逆に不器用すぎてかわいいとこもあるんだけどね~」

 西園寺さんは言いたい放題言って、また缶コーヒー片手に去っていった。

     ***

 その日の夜。
 社宅内の共有スペースで洗濯物を干していた葵は、再び瀬名と顔を合わせた。

 「今朝は、ごちそうさまでした。めちゃくちゃおいしかったです!」

 「それは、よかったです」

 今日も表情は変わらない。けれど、一瞬だけ視線が合って、ほんの少しだけ――目元が和らいだ気がした。

 「……よかったら、今度は私も、なにかお礼しますね。得意じゃないけど、料理とか」

 「……無理はしないでください」

 「えっ?」

 「あなたは、料理に慣れていない動きをしていた。利き手の使い方、調味料の配置、鍋の数。だから、無理は禁物です」

 「……観察眼が怖いんですけど!!」

 思わず突っ込むと、彼は少しだけ肩を揺らした。もしかして、笑ったのか……?
 その真意はわからないが、葵の胸にはほんのり温かいものが広がっていた。

 (たぶん、この人は感情がないんじゃない。表し方が、わからないだけ)

 そう思った瞬間、ふと浮かんだ言葉を、葵は心の中で繰り返す。

 “社宅の神さま”――たしかにこの人は完璧だ。でも、それは“神”なんかじゃなくて。
 ただ、不器用で、感情の伝え方を知らないだけの、人間なんじゃないかと。

 その夜。
 部屋に戻った葵は、手帳に一言だけ書いた。

 《神さまと、少し仲良くなれた日。朝ごはん、最高だった。》

つづく
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