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第10話:嫉妬、という名前の感情
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「雨宮さん、やっぱり話しやすいなあ。なんか、落ち着くっていうか」
昼休み、社内の給湯室で、営業部の新名(にいな)くんがコーヒーを淹れながら笑った。
彼は人懐っこくて、空気を読むのが上手な若手社員。
社内でも“癒し系イケメン”として密かにファンが多い。
「いやいや、そんな大したこと言ってないですって」
「いやいやいや、たぶん葵さんって、“相談され体質”ですよ。聞き上手っていうか」
「……あ、ちょっと分かるかもそれ」
まるでふつうの、よくある職場の一場面。
笑顔で返すだけの、特別でもなんでもない会話――のはずだった。
だけど、その場面を、ひとつ向こうのフロアから見ていた男がいた。
***
瀬名は、コピー機横の書類棚で資料を探していた。
ふと視線を上げたとき、曇りガラス越しに、葵の笑う横顔が見えた。
その隣にいたのが誰かは、声と姿で分かった。
営業部の新名。愛想のよい男。
誰にでも親しく接し、距離を詰めるのがうまい。
(……なぜ、こんなに気になる?)
曇ったガラスの向こう、葵の笑顔が、思った以上に胸に響いた。
――違和感。
――落ち着かない。
――目を背けたくなる。
この感情はなんだ。
なぜ、自分は今、葵の横に立っている“彼”に対して――これほどまでに、不快を覚えているのか。
***
その夜。社宅の階段で偶然顔を合わせた。
「瀬名さん、お疲れさまです」
「……雨宮さん」
短く言葉を返した後、瀬名は階段を降りようとする葵をふいに呼び止めた。
「さきほど、営業部の……新名さんと話していましたね」
「え? ……はい、まぁ。よく話しかけられるので」
「……楽しそうでした」
「え、えっと……普通の世間話ですよ?」
なぜ、瀬名がそんなことを気にするのか。
その理由を問おうとしたが、彼は目を伏せていた。
「……なぜだか、今日一日、ずっと思考にノイズが走っていました」
「ノイズ……?」
「論理的に整理できない感情です。
あなたが、別の誰かと笑い合っている姿を見て以来、胸の奥がざわつくような感覚が続いています」
瀬名の言葉は相変わらず丁寧で、理屈っぽい。
でも、その裏にある“揺れ”を、葵は確かに感じ取っていた。
(それ、たぶん……)
「それ、“嫉妬”じゃないですか?」
そう言いかけたけれど、ぎりぎりのところで飲み込んだ。
彼はまだその名前を知らない。
だけど、その気持ちは――確かに、そこにある。
***
「瀬名さん」
階段を下りかけたところで、葵が振り返る。
「わたし、別に……誰とでも笑いますよ」
「……そうですか」
「でも、“あなたと話す時”の笑い方は、ちょっとだけ特別かもしれません」
瀬名は驚いたように目を見開いた。
けれどその意味までは、まだ理解できていないようだった。
「……どうして、ですか?」
「それは、そっちで考えてください」
笑ってそう言い、葵は軽やかに階段を下りていった。
***
その夜、瀬名は203号室のリビングでノートパソコンを開いたまま、ペンを握っていた。
開かれたページには、タイトルが記されている。
《恋愛感情とは何か――主観的兆候の検討》
その下に、こう書かれていた。
《胸の奥が熱くなる/視線を逸らしたくなる/排他性を感じる/誰かの行動に心が反応する》
《……“嫉妬”という名前の可能性がある。要調査》
***
一方そのころ。葵はベッドに寝転がりながら、スマホのメモを開いていた。
《瀬名さんは、まだ“好き”に気づいてない》
《でも、あの顔……あの声。たぶん、もうすぐ気づく》
《そしたら、たぶん、世界がひっくり返る》
つづく
昼休み、社内の給湯室で、営業部の新名(にいな)くんがコーヒーを淹れながら笑った。
彼は人懐っこくて、空気を読むのが上手な若手社員。
社内でも“癒し系イケメン”として密かにファンが多い。
「いやいや、そんな大したこと言ってないですって」
「いやいやいや、たぶん葵さんって、“相談され体質”ですよ。聞き上手っていうか」
「……あ、ちょっと分かるかもそれ」
まるでふつうの、よくある職場の一場面。
笑顔で返すだけの、特別でもなんでもない会話――のはずだった。
だけど、その場面を、ひとつ向こうのフロアから見ていた男がいた。
***
瀬名は、コピー機横の書類棚で資料を探していた。
ふと視線を上げたとき、曇りガラス越しに、葵の笑う横顔が見えた。
その隣にいたのが誰かは、声と姿で分かった。
営業部の新名。愛想のよい男。
誰にでも親しく接し、距離を詰めるのがうまい。
(……なぜ、こんなに気になる?)
曇ったガラスの向こう、葵の笑顔が、思った以上に胸に響いた。
――違和感。
――落ち着かない。
――目を背けたくなる。
この感情はなんだ。
なぜ、自分は今、葵の横に立っている“彼”に対して――これほどまでに、不快を覚えているのか。
***
その夜。社宅の階段で偶然顔を合わせた。
「瀬名さん、お疲れさまです」
「……雨宮さん」
短く言葉を返した後、瀬名は階段を降りようとする葵をふいに呼び止めた。
「さきほど、営業部の……新名さんと話していましたね」
「え? ……はい、まぁ。よく話しかけられるので」
「……楽しそうでした」
「え、えっと……普通の世間話ですよ?」
なぜ、瀬名がそんなことを気にするのか。
その理由を問おうとしたが、彼は目を伏せていた。
「……なぜだか、今日一日、ずっと思考にノイズが走っていました」
「ノイズ……?」
「論理的に整理できない感情です。
あなたが、別の誰かと笑い合っている姿を見て以来、胸の奥がざわつくような感覚が続いています」
瀬名の言葉は相変わらず丁寧で、理屈っぽい。
でも、その裏にある“揺れ”を、葵は確かに感じ取っていた。
(それ、たぶん……)
「それ、“嫉妬”じゃないですか?」
そう言いかけたけれど、ぎりぎりのところで飲み込んだ。
彼はまだその名前を知らない。
だけど、その気持ちは――確かに、そこにある。
***
「瀬名さん」
階段を下りかけたところで、葵が振り返る。
「わたし、別に……誰とでも笑いますよ」
「……そうですか」
「でも、“あなたと話す時”の笑い方は、ちょっとだけ特別かもしれません」
瀬名は驚いたように目を見開いた。
けれどその意味までは、まだ理解できていないようだった。
「……どうして、ですか?」
「それは、そっちで考えてください」
笑ってそう言い、葵は軽やかに階段を下りていった。
***
その夜、瀬名は203号室のリビングでノートパソコンを開いたまま、ペンを握っていた。
開かれたページには、タイトルが記されている。
《恋愛感情とは何か――主観的兆候の検討》
その下に、こう書かれていた。
《胸の奥が熱くなる/視線を逸らしたくなる/排他性を感じる/誰かの行動に心が反応する》
《……“嫉妬”という名前の可能性がある。要調査》
***
一方そのころ。葵はベッドに寝転がりながら、スマホのメモを開いていた。
《瀬名さんは、まだ“好き”に気づいてない》
《でも、あの顔……あの声。たぶん、もうすぐ気づく》
《そしたら、たぶん、世界がひっくり返る》
つづく
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