社宅の神さまは、恋愛不感症

naomikoryo

文字の大きさ
10 / 15

第10話:嫉妬、という名前の感情

しおりを挟む
 「雨宮さん、やっぱり話しやすいなあ。なんか、落ち着くっていうか」

 昼休み、社内の給湯室で、営業部の新名(にいな)くんがコーヒーを淹れながら笑った。

 彼は人懐っこくて、空気を読むのが上手な若手社員。
 社内でも“癒し系イケメン”として密かにファンが多い。

 「いやいや、そんな大したこと言ってないですって」

 「いやいやいや、たぶん葵さんって、“相談され体質”ですよ。聞き上手っていうか」

 「……あ、ちょっと分かるかもそれ」

 まるでふつうの、よくある職場の一場面。
 笑顔で返すだけの、特別でもなんでもない会話――のはずだった。

 だけど、その場面を、ひとつ向こうのフロアから見ていた男がいた。

     ***

 瀬名は、コピー機横の書類棚で資料を探していた。
 ふと視線を上げたとき、曇りガラス越しに、葵の笑う横顔が見えた。

 その隣にいたのが誰かは、声と姿で分かった。
 営業部の新名。愛想のよい男。
 誰にでも親しく接し、距離を詰めるのがうまい。

 (……なぜ、こんなに気になる?)

 曇ったガラスの向こう、葵の笑顔が、思った以上に胸に響いた。

 ――違和感。
 ――落ち着かない。
 ――目を背けたくなる。

 この感情はなんだ。
 なぜ、自分は今、葵の横に立っている“彼”に対して――これほどまでに、不快を覚えているのか。

     ***

 その夜。社宅の階段で偶然顔を合わせた。

 「瀬名さん、お疲れさまです」

 「……雨宮さん」

 短く言葉を返した後、瀬名は階段を降りようとする葵をふいに呼び止めた。

 「さきほど、営業部の……新名さんと話していましたね」

 「え? ……はい、まぁ。よく話しかけられるので」

 「……楽しそうでした」

 「え、えっと……普通の世間話ですよ?」

 なぜ、瀬名がそんなことを気にするのか。
 その理由を問おうとしたが、彼は目を伏せていた。

 「……なぜだか、今日一日、ずっと思考にノイズが走っていました」

 「ノイズ……?」

 「論理的に整理できない感情です。
 あなたが、別の誰かと笑い合っている姿を見て以来、胸の奥がざわつくような感覚が続いています」

 瀬名の言葉は相変わらず丁寧で、理屈っぽい。
 でも、その裏にある“揺れ”を、葵は確かに感じ取っていた。

 (それ、たぶん……)

 「それ、“嫉妬”じゃないですか?」

 そう言いかけたけれど、ぎりぎりのところで飲み込んだ。

 彼はまだその名前を知らない。
 だけど、その気持ちは――確かに、そこにある。

     ***

 「瀬名さん」

 階段を下りかけたところで、葵が振り返る。

 「わたし、別に……誰とでも笑いますよ」

 「……そうですか」

 「でも、“あなたと話す時”の笑い方は、ちょっとだけ特別かもしれません」

 瀬名は驚いたように目を見開いた。
 けれどその意味までは、まだ理解できていないようだった。

 「……どうして、ですか?」

 「それは、そっちで考えてください」

 笑ってそう言い、葵は軽やかに階段を下りていった。

     ***

 その夜、瀬名は203号室のリビングでノートパソコンを開いたまま、ペンを握っていた。
 開かれたページには、タイトルが記されている。

 《恋愛感情とは何か――主観的兆候の検討》

 その下に、こう書かれていた。

 《胸の奥が熱くなる/視線を逸らしたくなる/排他性を感じる/誰かの行動に心が反応する》
 《……“嫉妬”という名前の可能性がある。要調査》

     ***

 一方そのころ。葵はベッドに寝転がりながら、スマホのメモを開いていた。

 《瀬名さんは、まだ“好き”に気づいてない》
 《でも、あの顔……あの声。たぶん、もうすぐ気づく》
 《そしたら、たぶん、世界がひっくり返る》

つづく
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。 「だって顔に大きな傷があるんだもん!」 体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。 実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。 寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。 スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。 ※フィクションです。 ※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

元カレは隣の席のエース

naomikoryo
ライト文芸
【♪♪♪本編、完結しました♪♪♪】 東京で燃え尽きたアラサー女子が、地元の市役所に転職。 新しい人生のはずが、配属先の隣の席にいたのは―― 十四年前、嘘をついて別れた“元カレ”だった。 冷たい態度、不器用な優しさ、すれ違う視線と未練の影。 過去を乗り越えられるのか、それとも……? 恋と再生の物語が、静かに、熱く、再び動き出す。 過去の痛みを抱えた二人が、地方の公務員として出会い直し、 心の距離を少しずつ埋めていく大人の再会ラブストーリー。

レオナルド先生創世記

ポルネス・フリューゲル
ファンタジー
ビッグバーンを皮切りに宇宙が誕生し、やがて展開された宇宙の背景をユーモアたっぷりにとてもこっけいなジャック・レオナルド氏のサプライズの幕開け、幕開け!

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。  タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。  しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。  剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。

処理中です...