社宅の神さまは、恋愛不感症

naomikoryo

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第11話:瀬名くんは、恋がわからない

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 「恋愛感情とは、どのように自覚するものなんでしょうか」

 そう問われたのは、土曜の昼下がりだった。

 社宅の中庭に面したベンチに、瀬名と並んで座っていた葵は、手に持っていた缶コーヒーを落としそうになった。

 「……え、いま、なんて?」

 「……恋とは、何か、です」

 風もないのに、心にざわりと何かが揺れた。
 瀬名の顔は、いつものように感情を抑えたまま。けれど目の奥だけは、どこか真剣だった。

 「突然、どうしたんですか……?」

 「……ここ数日、自分の中に妙な反応が多くて。
 例えばあなたが誰かと親しくしていると、胸がざわついたり。
 あなたの笑顔を見た後に、それを思い返して頭の中が勝手に反復したり」

 「それ、もう、ほぼ……」

 「論理的には、“感情の一種”と推定できます。
 ただ、それが“恋”なのか“習慣化された親密性”なのか、まだ判別がつきません」

 (……ほんと、この人、恋するのにも論文書くんじゃないか)

 葵は苦笑して、そっと膝の上に手を置いた。

 「瀬名さん。恋って、“定義”じゃないですよ」

 「……?」

 「誰かの声が聞きたいとか、一緒にいたいとか。
 その人のこと考えると、胸の中がじわっとあったかくなる――
 そういう気持ちがあれば、それで十分なんです」

 瀬名は、しばらく黙っていた。
 缶コーヒーを見つめたまま、小さく呼吸を整える。

 「雨宮さん」

 「はい」

 「あなたと話すとき、他の人と違って、思考が柔らかくなります。
 たとえば言葉を選ぶときも、呼吸のタイミングも、自然とあなたに合わせようとしています」

 「……それって、もう“好き”なんじゃ?」

 「……まだ、判断は保留したい」

 「えっ、なんでっ」

 「この感情に“好き”というラベルを貼った瞬間、なにかが変わってしまう気がして」

 「……それ、怖いから?」

 瀬名は答えなかった。
 でもその沈黙が、まさに答えだった。

     ***

 その夜。203号室の玄関前。
 葵は手に持った小さな箱を渡した。

 「これ、差し入れです。焼き菓子。週末にひとりで黙々と焼くのが趣味なんですよ」

 「……ありがとうございます」

 箱を受け取りながら、瀬名が静かに言った。

 「今日の話……もう少しだけ、考えさせてください」

 「はい」

 「答えが出たら、そのときはちゃんと、言葉にします」

 「……うん、待ってます」

 葵は微笑んで、自分の部屋へと戻っていった。

 その背中を見送りながら、瀬名は箱のリボンを見つめる。
 “この人に向けて、自分が行動している”という事実が、胸の奥で不思議な熱を持ち続けていた。

     ***

 その夜、瀬名はスマホのメモに一行だけ書いた。

 《この感情は、たぶん“恋”だ》
 《でも、まだ確証が持てない》
 《――だから、確かめにいきたい》

     ***

 一方そのころ、葵はスマホのカレンダーにひとこと残した。

 《今日、神さまが“好き”の輪郭を探しにきた》
 《わたしは、それを手を引いて待つ係》

つづく
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