15 / 15
番外編:「はじめてのデートは、静かに」
しおりを挟む
付き合い始めて、3週間。
日常はあまり変わらない。社宅の廊下で会えば「おはよう」と言い、203号室では夕飯を並んで食べる。
“付き合ってる”という実感は、正直まだ薄い。
でも、ある日突然、瀬名がこう言った。
「外に出かけてみたいです。……“あなたと”」
デート、だった。
***
春から初夏へと変わる日曜日。
瀬名と並んで歩く商店街は、やけに色濃く見えた。
カフェ、雑貨屋、風に揺れる看板。どれもいつもより、鮮やかだった。
「……人、多いですね」
「ふふ、休日だもん。大丈夫ですか?」
「問題ありません。ただし、“手をつなぐ”のは、今は難易度が高いです」
「えっ、なにその報告形式」
「緊張が勝ってしまうということです」
葵は思わず笑った。
手はつながない。けれど、並んで歩くだけで充分だった。
***
最初に立ち寄ったのは、小さな文具店だった。
店内には季節ごとの便箋やカードが並び、葵が何気なく見ていたレターセットに、瀬名がぽつりと声をかけた。
「……こういうの、もらったことありません」
「手紙? 書いたことは?」
「ないです。……でも、もしもらえたら、かなりうれしいかもしれません」
「じゃあ……いつか、書いてあげようかな」
その一言に、瀬名の目がほんの少しだけ、和らいだように見えた。
***
昼食は、葵が以前から気になっていたカフェへ。
落ち着いた内装と、少し高めのランチプレート。
「……おしゃれすぎたかも」
「いえ。あなたが行きたいと言った場所なら、僕はどこでも満足です」
「また、そういうことをさらっと……」
「事実です」
「うん、知ってるけど、照れるんです」
やがて運ばれてきた料理を前に、瀬名はふと手を止めた。
「葵さん。これが、たぶん僕にとって、“人生初デート”です」
「……うん。わたしも、こんなに“静かで心地よい”デートは初めて」
「……それは、褒め言葉ですか?」
「もちろん」
微笑むふたりの間に、しずかな午後の陽射しが差し込んだ。
***
帰り道。
商店街の端にあるベンチに腰掛けて、缶コーヒーを飲みながら瀬名がぽつりと呟いた。
「今日の記録は、メモします。……初デート、成功」
「メモってるんですか?」
「はい。帰ったらまとめて記録します。“あなたの隣で、心拍が緩やかに整う時間だった”と」
「なんか、詩的っぽくてびっくり」
「感情のメモには、定義以外の語彙も必要だと最近気づきました」
「それ、めちゃくちゃ“恋してる人”の発言ですからね?」
「……そうですか」
瀬名は、少しだけ照れたように、コーヒーの缶を口元へ運んだ。
***
夜。203号室。
デートの報告を誰にするでもなく、ふたりは並んで夕飯を食べていた。
変わったこともあれば、変わらないこともある。
だけど、今日の外出を経て、“心の距離”はまた少し近づいた気がした。
「……今日は、ありがとう」
葵がそう言うと、瀬名はしばらく黙ってから答えた。
「こちらこそ、ありがとうございます。
“あなたといると、世界が静かでやさしくなる”――
そのことに、今日あらためて気づきました」
その言葉に、葵の胸がじんわり温かくなった。
(この人となら、どんな景色でもきっと、少しだけ特別に見える)
おわり。
日常はあまり変わらない。社宅の廊下で会えば「おはよう」と言い、203号室では夕飯を並んで食べる。
“付き合ってる”という実感は、正直まだ薄い。
でも、ある日突然、瀬名がこう言った。
「外に出かけてみたいです。……“あなたと”」
デート、だった。
***
春から初夏へと変わる日曜日。
瀬名と並んで歩く商店街は、やけに色濃く見えた。
カフェ、雑貨屋、風に揺れる看板。どれもいつもより、鮮やかだった。
「……人、多いですね」
「ふふ、休日だもん。大丈夫ですか?」
「問題ありません。ただし、“手をつなぐ”のは、今は難易度が高いです」
「えっ、なにその報告形式」
「緊張が勝ってしまうということです」
葵は思わず笑った。
手はつながない。けれど、並んで歩くだけで充分だった。
***
最初に立ち寄ったのは、小さな文具店だった。
店内には季節ごとの便箋やカードが並び、葵が何気なく見ていたレターセットに、瀬名がぽつりと声をかけた。
「……こういうの、もらったことありません」
「手紙? 書いたことは?」
「ないです。……でも、もしもらえたら、かなりうれしいかもしれません」
「じゃあ……いつか、書いてあげようかな」
その一言に、瀬名の目がほんの少しだけ、和らいだように見えた。
***
昼食は、葵が以前から気になっていたカフェへ。
落ち着いた内装と、少し高めのランチプレート。
「……おしゃれすぎたかも」
「いえ。あなたが行きたいと言った場所なら、僕はどこでも満足です」
「また、そういうことをさらっと……」
「事実です」
「うん、知ってるけど、照れるんです」
やがて運ばれてきた料理を前に、瀬名はふと手を止めた。
「葵さん。これが、たぶん僕にとって、“人生初デート”です」
「……うん。わたしも、こんなに“静かで心地よい”デートは初めて」
「……それは、褒め言葉ですか?」
「もちろん」
微笑むふたりの間に、しずかな午後の陽射しが差し込んだ。
***
帰り道。
商店街の端にあるベンチに腰掛けて、缶コーヒーを飲みながら瀬名がぽつりと呟いた。
「今日の記録は、メモします。……初デート、成功」
「メモってるんですか?」
「はい。帰ったらまとめて記録します。“あなたの隣で、心拍が緩やかに整う時間だった”と」
「なんか、詩的っぽくてびっくり」
「感情のメモには、定義以外の語彙も必要だと最近気づきました」
「それ、めちゃくちゃ“恋してる人”の発言ですからね?」
「……そうですか」
瀬名は、少しだけ照れたように、コーヒーの缶を口元へ運んだ。
***
夜。203号室。
デートの報告を誰にするでもなく、ふたりは並んで夕飯を食べていた。
変わったこともあれば、変わらないこともある。
だけど、今日の外出を経て、“心の距離”はまた少し近づいた気がした。
「……今日は、ありがとう」
葵がそう言うと、瀬名はしばらく黙ってから答えた。
「こちらこそ、ありがとうございます。
“あなたといると、世界が静かでやさしくなる”――
そのことに、今日あらためて気づきました」
その言葉に、葵の胸がじんわり温かくなった。
(この人となら、どんな景色でもきっと、少しだけ特別に見える)
おわり。
0
この作品は感想を受け付けておりません。
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
お茶をしましょう、若菜さん。〜強面自衛官、スイーツと君の笑顔を守ります〜
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
陸上自衛隊衛生科所属の安達四季陸曹長は、見た目がどうもヤのつく人ににていて怖い。
「だって顔に大きな傷があるんだもん!」
体力徽章もレンジャー徽章も持った看護官は、鬼神のように荒野を走る。
実は怖いのは顔だけで、本当はとても優しくて怒鳴ったりイライラしたりしない自衛官。
寺の住職になった方が良いのでは?そう思うくらいに懐が大きく、上官からも部下からも慕われ頼りにされている。
スイーツ大好き、奥さん大好きな安達陸曹長の若かりし日々を振り返るお話です。
※フィクションです。
※カクヨム、小説家になろうにも公開しています。
Husband's secret (夫の秘密)
設楽理沙
ライト文芸
果たして・・
秘密などあったのだろうか!
むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ
10秒~30秒?
何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。
❦ イラストはAI生成画像 自作
元カレは隣の席のエース
naomikoryo
ライト文芸
【♪♪♪本編、完結しました♪♪♪】
東京で燃え尽きたアラサー女子が、地元の市役所に転職。
新しい人生のはずが、配属先の隣の席にいたのは――
十四年前、嘘をついて別れた“元カレ”だった。
冷たい態度、不器用な優しさ、すれ違う視線と未練の影。
過去を乗り越えられるのか、それとも……?
恋と再生の物語が、静かに、熱く、再び動き出す。
過去の痛みを抱えた二人が、地方の公務員として出会い直し、
心の距離を少しずつ埋めていく大人の再会ラブストーリー。
レオナルド先生創世記
ポルネス・フリューゲル
ファンタジー
ビッグバーンを皮切りに宇宙が誕生し、やがて展開された宇宙の背景をユーモアたっぷりにとてもこっけいなジャック・レオナルド氏のサプライズの幕開け、幕開け!
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
一億円の花嫁
藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。
父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。
もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。
「きっと、素晴らしい旅になる」
ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが……
幸か不幸か!?
思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。
※エブリスタさまにも掲載
【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら
瀬々良木 清
ライト文芸
主人公・宮本剛は、都内で働くごく普通の営業系サラリーマン。いわゆる社畜。
タワーマンションの聖地・豊洲にあるオフィスへ通勤しながらも、自分の給料では絶対に買えない高級マンションたちを見上げながら、夢のない毎日を送っていた。
しかしある日、会社の近所で苦しそうにうずくまる女子高生・常磐理瀬と出会う。理瀬は女子高生ながら仮想通貨への投資で『億り人』となった天才少女だった。
剛の何百倍もの資産を持ち、しかし心はまだ未完成な女子高生である理瀬と、日に日に心が枯れてゆくと感じるアラサー社畜剛が織りなす、ちぐはぐなラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる