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本章:杉田敦史ルート
Ep3:さよならの前に
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―「あの頃の私を忘れても、今の私は消えないから」
2人が静かに並んで座っていたソファは、まるで時が止まったようだった。
ティーカップはいつの間にか空になり、紅茶の香りは空気に溶けて消えていた。
暖かな光の中で、由真は脚を組み替え、ほんの少しだけ遠くを見るような目をしていた。
「ねぇ、敦史くん」
由真の声は、さっきより少しだけかすれていた。
敦史は小さくうなずく。
「“桂木由真”っていう名前、覚えててくれて、ありがとう」
「……当たり前だろ。忘れたことなんて、一度もなかった」
「ふふ、そうだよね。敦史くん、そういう人だもん」
由真の目が細くなり、唇がわずかに震えた。
「でも……私ね、今日ここに来るまで、すごく迷ってたんだ」
「……なんで?」
由真はゆっくりと立ち上がり、ベッドに歩いていく。
その歩幅はゆっくりで、まるで“自分に言い聞かせるような”動きだった。
「私、敦史くんの中にある“由真”に会うのが、ちょっと怖かったの」
ベッドに腰掛け、指を絡ませるように手を握る。
「きっとね、あの頃の私のこと、きれいに覚えててくれてるって思ってた。
あったかくて、優しくて、ちょっと泣き虫で――でも、全部“いいとこ”だけ」
敦史は何も言えなかった。
図星だった。
「私ね、ずっと苦しかった。
自分が、敦史くんの記憶の中で“止まってる”って気づいた時、嬉しかったけど、同時に寂しかったの。
だって、私が生きてきた時間は、その先にずっとあったから」
その目に、涙が浮かんでいた。
でも、涙は流さなかった。
「本当はね……“今の私”を見てほしかった。
でも、“今の私”って、きっと敦史くんをがっかりさせるんじゃないかって、怖くて……」
敦史は、立ち上がり、由真の前に立った。
言葉を、慎重に選ぶ。だけど、嘘はつけなかった。
「……俺、正直に言うと――
最初、由真が変わったことに戸惑った。
でも、それは俺が“変わってないでほしい”って、勝手に願ってただけなんだよな。
そんなの、由真にとってはすごく失礼なことだった」
由真が、ふと顔を上げる。
「……今の由真は、昔よりずっと綺麗で、ちょっと意地悪で、でも……ちゃんと自分で立っててさ。
俺、たぶん、昔よりもっと――」
喉の奥まで出かかった言葉を、彼は飲み込んだ。
でも、由真はそれで十分だったらしい。
目を伏せて、少し照れたように笑った。
「ふふ……敦史くん、そういうとこ、変わらないね。
ちゃんと見てくれてる。私がいちばん見てほしかった場所を」
そのときだった。
――カチリ。
電子ロックが外れる音が、部屋の四隅から響いた。
カチリ、カチリ、カチリ……と、機械的な音が静かに、だが確かに告げる。
この部屋から出ていい。
由真との“逢瀬”が、一定の結果に至ったという証。
だが、敦史は動かなかった。
由真もまた、立ち上がろうとはしなかった。
ただ、見つめ合うだけの時間が流れる。
「ねぇ、敦史くん」
由真の声が震える。今度は、本当に涙が目に浮かんでいた。
「このあと、どんな人に会っても……どんな風に心が動いても……
“今の私”を、ちゃんと覚えててくれる?」
敦史は、頷いた。即答だった。
「忘れるわけないよ。……ここに来て、一番最初に会ったのが由真で、本当によかった」
由真の目から、ぽたりと涙が一粒だけこぼれた。
でも、彼女は笑っていた。強く、そして綺麗に。
「そっか。……じゃあ、私はもう、大丈夫」
ベッドを立ち、敦史の手をそっと取る。
その手の温もりは、あの頃よりもずっとあたたかかった。
「行ってらっしゃい、敦史くん。迷わないで。
きっと、君なら――ちゃんと、自分の答えを見つけられるから」
ドアに手をかけた敦史が、もう一度だけ振り返ると、
由真は、両手を背中で組んで、小さく首をかしげていた。
「……あ、あと一つだけ」
「ん?」
「次に会うときは、“抱いてもいい”って言えるくらいの男になっててね」
その言葉に、敦史は耳まで真っ赤になった。
由真はイタズラっぽく笑った。
そして、ドアが静かに開かれる。
その向こうには、次の試練が、待っていた。
2人が静かに並んで座っていたソファは、まるで時が止まったようだった。
ティーカップはいつの間にか空になり、紅茶の香りは空気に溶けて消えていた。
暖かな光の中で、由真は脚を組み替え、ほんの少しだけ遠くを見るような目をしていた。
「ねぇ、敦史くん」
由真の声は、さっきより少しだけかすれていた。
敦史は小さくうなずく。
「“桂木由真”っていう名前、覚えててくれて、ありがとう」
「……当たり前だろ。忘れたことなんて、一度もなかった」
「ふふ、そうだよね。敦史くん、そういう人だもん」
由真の目が細くなり、唇がわずかに震えた。
「でも……私ね、今日ここに来るまで、すごく迷ってたんだ」
「……なんで?」
由真はゆっくりと立ち上がり、ベッドに歩いていく。
その歩幅はゆっくりで、まるで“自分に言い聞かせるような”動きだった。
「私、敦史くんの中にある“由真”に会うのが、ちょっと怖かったの」
ベッドに腰掛け、指を絡ませるように手を握る。
「きっとね、あの頃の私のこと、きれいに覚えててくれてるって思ってた。
あったかくて、優しくて、ちょっと泣き虫で――でも、全部“いいとこ”だけ」
敦史は何も言えなかった。
図星だった。
「私ね、ずっと苦しかった。
自分が、敦史くんの記憶の中で“止まってる”って気づいた時、嬉しかったけど、同時に寂しかったの。
だって、私が生きてきた時間は、その先にずっとあったから」
その目に、涙が浮かんでいた。
でも、涙は流さなかった。
「本当はね……“今の私”を見てほしかった。
でも、“今の私”って、きっと敦史くんをがっかりさせるんじゃないかって、怖くて……」
敦史は、立ち上がり、由真の前に立った。
言葉を、慎重に選ぶ。だけど、嘘はつけなかった。
「……俺、正直に言うと――
最初、由真が変わったことに戸惑った。
でも、それは俺が“変わってないでほしい”って、勝手に願ってただけなんだよな。
そんなの、由真にとってはすごく失礼なことだった」
由真が、ふと顔を上げる。
「……今の由真は、昔よりずっと綺麗で、ちょっと意地悪で、でも……ちゃんと自分で立っててさ。
俺、たぶん、昔よりもっと――」
喉の奥まで出かかった言葉を、彼は飲み込んだ。
でも、由真はそれで十分だったらしい。
目を伏せて、少し照れたように笑った。
「ふふ……敦史くん、そういうとこ、変わらないね。
ちゃんと見てくれてる。私がいちばん見てほしかった場所を」
そのときだった。
――カチリ。
電子ロックが外れる音が、部屋の四隅から響いた。
カチリ、カチリ、カチリ……と、機械的な音が静かに、だが確かに告げる。
この部屋から出ていい。
由真との“逢瀬”が、一定の結果に至ったという証。
だが、敦史は動かなかった。
由真もまた、立ち上がろうとはしなかった。
ただ、見つめ合うだけの時間が流れる。
「ねぇ、敦史くん」
由真の声が震える。今度は、本当に涙が目に浮かんでいた。
「このあと、どんな人に会っても……どんな風に心が動いても……
“今の私”を、ちゃんと覚えててくれる?」
敦史は、頷いた。即答だった。
「忘れるわけないよ。……ここに来て、一番最初に会ったのが由真で、本当によかった」
由真の目から、ぽたりと涙が一粒だけこぼれた。
でも、彼女は笑っていた。強く、そして綺麗に。
「そっか。……じゃあ、私はもう、大丈夫」
ベッドを立ち、敦史の手をそっと取る。
その手の温もりは、あの頃よりもずっとあたたかかった。
「行ってらっしゃい、敦史くん。迷わないで。
きっと、君なら――ちゃんと、自分の答えを見つけられるから」
ドアに手をかけた敦史が、もう一度だけ振り返ると、
由真は、両手を背中で組んで、小さく首をかしげていた。
「……あ、あと一つだけ」
「ん?」
「次に会うときは、“抱いてもいい”って言えるくらいの男になっててね」
その言葉に、敦史は耳まで真っ赤になった。
由真はイタズラっぽく笑った。
そして、ドアが静かに開かれる。
その向こうには、次の試練が、待っていた。
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