交差点の約束、屋敷の夜に咲く ~突然始まる婿決定戦???~

naomikoryo

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本章:杉田敦史ルート

Ep8:さよならの先に、本当の言葉がある

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―「あなたが“誰か”を本当に想えたとき――その物語は完成するの」
 鍵の開く音がしてから、もう10分は経っていた。
 敦史はまだその場を動けずにいた。

 

 隣に座る美園真衣は、ティーカップを両手で包みながら、時折ふっと息を吐くように笑っていた。
 沈黙は、居心地の悪いものではなかった。むしろ、互いが言葉を急がずにいられるような、そんな穏やかな時間だった。

 

 「……行かなくていいの?」

 

 真衣がようやく口を開いた。
 それは責めるでも、誘うでもない。ただの確認のような、柔らかい声。

 

 「うん、まだ……少しだけ、ここにいたいんです」

 

 敦史は素直に言った。

 もう、彼は“隠す言葉”を選ばないようにしていた。
 真衣と話しているうちに、“誰かに届く言葉”には“自分の声”が必要なのだと知ったから。

 

 「……そっか。じゃあ、もうちょっとだけ、付き合ってあげる」

 

 真衣は照明の光を反射する本の表紙を撫でながら、穏やかな目で敦史を見つめた。

 

 「ねぇ、杉田くん」

 

 「……“敦史”で、いいですよ」

 

 「……そうだったわね。ふふ、ごめんなさい。じゃあ――敦史くん」

 

 彼の名前を呼ぶ時、彼女はほんの少し照れているようだった。

 

 「あなた、いつか本を書くと思う?」

 

 「……え?」

 

 「昔、“将来小説家になりたい”って図書室で話してたの、覚えてる」

 

 「うわ……そんなこと、言ってましたっけ……」

 

 敦史は赤面しながらも苦笑した。
 確かに言った。けれど、それはどこか夢のような、手に取れない憧れだった。

 

 「うん、言ってたわ。“自分の物語を、自分の言葉で語れる人になりたい”って。
  あの時のあなた、すごくキラキラしてた」

 

 「……そうでしたか?」

 

 「ええ、でも今のあなたも……昔より少しだけ、ちゃんと“語れる人”になってる」

 

 その言葉に、敦史の胸がじんわりと熱くなる。

 

 真衣は、そっと立ち上がる。
 細身の身体を包むブラウスの袖を直し、長い髪を片方の肩に流した。

 

 「ねぇ、敦史くん。
  あなたがいつか本当に“誰か”を、心の底から想えるようになった時――その物語は、きっと書けるようになるわ」

 

 「……誰かを、想う?」

 

 「うん。今のあなたは、まだ“誰にでも優しくしよう”としてる。
  でもそれって、時に“誰も選ばない”ってことになる」

 

 彼女の言葉は、鋭くも温かかった。

 

 「誰か一人に対してだけでも、
  本気でぶつかって、迷って、悩んで、傷ついて――それでも、その人のために何かを選べたら。
  あなたの物語は、もう始まってるって言えるの」

 

 敦史は、黙って彼女を見つめた。

 真衣の瞳は、まっすぐだった。
 ただ優しいのではなく、自分と向き合って生きてきた人の目だった。

 

 (俺は、まだ何も選べてない。
  ここに来てから、いろんな人と話して、感じて……
  でも、誰の手もまだ、しっかりと握れていない)

 

 「……真衣さん」

 

 「うん?」

 

 「ここで……“あなたを選ばない”って言うのは、間違ってますか?」

 

 真衣はふっと微笑んだ。

 

 「それが、“あなたの物語の選択”なら――間違いなんかじゃないわ。
  むしろ私は、それをちゃんと伝えに来てくれたことが、何より嬉しいの」

 

 彼女の指先が、そっと敦史の胸元に触れる。

 

 「でも……少しだけ、悔しいな。
  もうちょっとだけ、あなたと話してみたかった。そう思えるくらいには、楽しかったから」

 

 「……俺もです。
  真衣さんと話して、自分の中の“言葉”をちゃんと拾い上げられた気がします。
  ……ありがとう」

 

 真衣はそっと頷き、背を向けた。

 部屋のドアの方へ歩き出す。
 その背中が、どこかとても小さく見えた。

 

 「じゃあね、敦史くん。
  あなたの“物語”が、ちゃんと最後まで書かれるように、祈ってる」

 

 彼女がドアノブに手をかけたその時。

 

 「――待って!」

 

 敦史は思わず声を上げていた。

 真衣は、振り返る。

 

 「……やっぱり、名前で呼ばせてください」

 

 「え?」

 

 「じゃないと、“誰か”じゃなくて、“あなた”だったことが、ちゃんと伝えられない気がして」

 

 敦史は一歩近づくと、しっかりと彼女を見据えて言った。

 

 「……ありがとう、真衣さん。
  俺はあなたの言葉をずっと忘れません。
  自分の物語を、誰かにちゃんと届くように、ちゃんと書いていきます」

 

 その瞬間、真衣の目が、少し潤んだ。

 

 「……じゃあ、その本が完成したら、私にも一冊ちょうだいね」

 

 「もちろんです。絶対に」

 

 ふたりは、言葉を交わすように微笑んだ。
 それは、恋でも未練でもなく、確かに“心が通じ合った”者同士の微笑みだった。

 

 ドアが開かれ、真衣の姿が消える。

 

 部屋には、紅茶の香りだけが、静かに残っていた。
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