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第10話:『窓際の彼女と、いつもの明日』
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疫病神との激闘から、一ヶ月が過ぎた。
町を覆っていた灰色の靄は、跡形もなく消え去り、まるで梅雨明けの空のように、澄み渡った青空が広がっている。
商店街には再び人々の笑い声が溢れ、活気が戻ってきた。
いや、以前よりも、もっと力強い活力が、町全体に満ちているようだった。
そして、駄菓子屋「ふくや」は、あの戦いの後、いつの間にか町のちょっとしたパワースポット的な扱いを受けるようになっていた。
「あそこの店に行くと、ちょっと元気が出る」
「変だけど、面白い神様がいるらしい」
そんな噂が広まり、店は連日、多くの客で賑わっていた。
「はい、百円くじ一回ね!」「ラムネお待ちどうさま!」
カウンターの中で、福永こがねは、かつての自分が嘘のように、生き生きとした表情で店を切り盛りしていた。
もう、東京での失意の日々を思い出すこともない。
ここが、彼女の新しい戦場であり、かけがえのない居場所になっていた。
「こがねさん、こちらの在庫整理、終わりましたよ!」
店の隅で、なぜか甲斐甲斐しく段ボールを片付けているのは、恵比寿 光だ。
彼は神社の仕事の合間を縫っては、こうして店にやってきて、何かと理由をつけて手伝いをしていく。
「また来たのか、暇な福の神め。神社の仕事はどうした」
「君に言われたくないね、万年ニートの貧乏神! 君こそ、少しは手伝ったらどうだ!」
ソファの定位置で漫画を読んでいた薄氷と、光の間で、いつものように子供っぽい口喧嘩が始まる。
それも、今や「ふくや」の名物BGMのようなものだった。
薄氷は、あの日以来、少しだけ変わった。
いや、変わったというより、本来の彼が、少しずつ表に出てくるようになった、と言うべきか。
彼の周りで起こる不運は、相変わらずだ。
しかし、その質は、どこか優しくなっていた。
客が店の前で転ぶが、そのおかげで、失くしたと思っていたピアスが見つかる。
店の古いレジが壊れてしまうが、そのせいで始まったアナログなそろばんでの会計が、逆に「レトロで面白い」と客にウケる。
彼の不運は、まるで人生のスパイスのように、人々の日常に、ちょっとした驚きと、結果としての微笑みをもたらすようになっていた。
何より、彼の表情が、豊かになった。
子供たちと話す時には、呆れたような、それでいて穏やかな眼差しを向ける。
こがねと話す時には、そのサファイアの瞳に、確かな信頼の色が宿るようになった。
◆◇◆
その日の夕暮れ。
閉店後の店の縁側で、こがねと薄氷は、並んで夕涼みをしていた。
ひぐらしの鳴く声が、茜色の空に響いている。
「……ねえ」
こがねが、ぽつりと切り出した。
「あんた、もう、どこかへ行ったりしないでしょうね」
その問いに、薄氷は、少しだけ黙り込んだ。
そして、遠くの山を見つめながら、静かに答える。
「……さあな。我は貧乏神だ。本質は変わらぬ。一つの場所に長くいれば、いずれ、その土地の運気を吸い尽くすことになるやもしれぬ」
その言葉に、こがねの胸が、ちくりと痛んだ。
また、いなくなってしまうかもしれない。
そんな不安が、心をよぎる。
そんなこがねの表情を、薄氷は横目で見て、ふっと、息を吐くように続けた。
「だが……」
「ここのポテチは、まだ食い飽きぬ」
それは、あまりに彼らしい、不器用で、遠回しな言葉だった。
でも、こがねには、その言葉に込められた意味が、痛いほど伝わってきた。
『ここに、いたい』と、彼は言っているのだ。
「……そっか」
こがねは、たまらなく嬉しくなって、破顔した。
「なら、しょうがないわね! 私が、あんたが一生かかっても食べきれないくらい、ポテチ仕入れといてあげる!」
「それは、少し……いや、かなり魅力的だな」
二人の間で、穏やかな笑いがこぼれる。
東京には、もう戻らないだろう。
あの六畳一間のアパートも、華やかなオフィス街も、もうこがねにとっては遠い世界の出来事だ。
この駄菓子屋が、ポンコツな神様と、騒がしい子供たちと、時々来るお節介な福の神がいる、この場所こそが。
福永こがねの、本当の居場所になったのだ。
そして、薄氷もまた。何百年という、孤独で、長すぎた時間の中で、初めて心から安らげる場所を見つけたのだ。
「お二人さん! 何を良い雰囲気になってるんですか! 僕を仲間外れにするなんて、許しませんよ!」
そこへ、神社の仕事を終えた光が、案の定、割り込んでくる。
「うわ、来た」「来たわね」
薄氷とこがねの声が、綺麗にハモった。
窓際の席では、子供たちが宿題を広げながら、新発売の駄菓子を品定めしている。
カウンターの奥では、こがねが、呆れたように、でも幸せそうに、それを見守っている。
ソファでは、薄氷が漫画を読み、その隣では、光が神社の書類をこっそりサボって、その漫画を覗き込んでいる。
人生どん底だった、窓際の彼女。
孤独だった、ポンコツ神様。
彼らが紡ぐ、騒がしくて、相変わらず貧乏で、でも、どうしようもなく温かい日常。
特別なことなんて、もう何も起こらないかもしれない。
それでも、この愛おしい日々は、これからもずっと、続いていく。
穏やかで、ありふれた、「いつもの明日」へと。
【了】
町を覆っていた灰色の靄は、跡形もなく消え去り、まるで梅雨明けの空のように、澄み渡った青空が広がっている。
商店街には再び人々の笑い声が溢れ、活気が戻ってきた。
いや、以前よりも、もっと力強い活力が、町全体に満ちているようだった。
そして、駄菓子屋「ふくや」は、あの戦いの後、いつの間にか町のちょっとしたパワースポット的な扱いを受けるようになっていた。
「あそこの店に行くと、ちょっと元気が出る」
「変だけど、面白い神様がいるらしい」
そんな噂が広まり、店は連日、多くの客で賑わっていた。
「はい、百円くじ一回ね!」「ラムネお待ちどうさま!」
カウンターの中で、福永こがねは、かつての自分が嘘のように、生き生きとした表情で店を切り盛りしていた。
もう、東京での失意の日々を思い出すこともない。
ここが、彼女の新しい戦場であり、かけがえのない居場所になっていた。
「こがねさん、こちらの在庫整理、終わりましたよ!」
店の隅で、なぜか甲斐甲斐しく段ボールを片付けているのは、恵比寿 光だ。
彼は神社の仕事の合間を縫っては、こうして店にやってきて、何かと理由をつけて手伝いをしていく。
「また来たのか、暇な福の神め。神社の仕事はどうした」
「君に言われたくないね、万年ニートの貧乏神! 君こそ、少しは手伝ったらどうだ!」
ソファの定位置で漫画を読んでいた薄氷と、光の間で、いつものように子供っぽい口喧嘩が始まる。
それも、今や「ふくや」の名物BGMのようなものだった。
薄氷は、あの日以来、少しだけ変わった。
いや、変わったというより、本来の彼が、少しずつ表に出てくるようになった、と言うべきか。
彼の周りで起こる不運は、相変わらずだ。
しかし、その質は、どこか優しくなっていた。
客が店の前で転ぶが、そのおかげで、失くしたと思っていたピアスが見つかる。
店の古いレジが壊れてしまうが、そのせいで始まったアナログなそろばんでの会計が、逆に「レトロで面白い」と客にウケる。
彼の不運は、まるで人生のスパイスのように、人々の日常に、ちょっとした驚きと、結果としての微笑みをもたらすようになっていた。
何より、彼の表情が、豊かになった。
子供たちと話す時には、呆れたような、それでいて穏やかな眼差しを向ける。
こがねと話す時には、そのサファイアの瞳に、確かな信頼の色が宿るようになった。
◆◇◆
その日の夕暮れ。
閉店後の店の縁側で、こがねと薄氷は、並んで夕涼みをしていた。
ひぐらしの鳴く声が、茜色の空に響いている。
「……ねえ」
こがねが、ぽつりと切り出した。
「あんた、もう、どこかへ行ったりしないでしょうね」
その問いに、薄氷は、少しだけ黙り込んだ。
そして、遠くの山を見つめながら、静かに答える。
「……さあな。我は貧乏神だ。本質は変わらぬ。一つの場所に長くいれば、いずれ、その土地の運気を吸い尽くすことになるやもしれぬ」
その言葉に、こがねの胸が、ちくりと痛んだ。
また、いなくなってしまうかもしれない。
そんな不安が、心をよぎる。
そんなこがねの表情を、薄氷は横目で見て、ふっと、息を吐くように続けた。
「だが……」
「ここのポテチは、まだ食い飽きぬ」
それは、あまりに彼らしい、不器用で、遠回しな言葉だった。
でも、こがねには、その言葉に込められた意味が、痛いほど伝わってきた。
『ここに、いたい』と、彼は言っているのだ。
「……そっか」
こがねは、たまらなく嬉しくなって、破顔した。
「なら、しょうがないわね! 私が、あんたが一生かかっても食べきれないくらい、ポテチ仕入れといてあげる!」
「それは、少し……いや、かなり魅力的だな」
二人の間で、穏やかな笑いがこぼれる。
東京には、もう戻らないだろう。
あの六畳一間のアパートも、華やかなオフィス街も、もうこがねにとっては遠い世界の出来事だ。
この駄菓子屋が、ポンコツな神様と、騒がしい子供たちと、時々来るお節介な福の神がいる、この場所こそが。
福永こがねの、本当の居場所になったのだ。
そして、薄氷もまた。何百年という、孤独で、長すぎた時間の中で、初めて心から安らげる場所を見つけたのだ。
「お二人さん! 何を良い雰囲気になってるんですか! 僕を仲間外れにするなんて、許しませんよ!」
そこへ、神社の仕事を終えた光が、案の定、割り込んでくる。
「うわ、来た」「来たわね」
薄氷とこがねの声が、綺麗にハモった。
窓際の席では、子供たちが宿題を広げながら、新発売の駄菓子を品定めしている。
カウンターの奥では、こがねが、呆れたように、でも幸せそうに、それを見守っている。
ソファでは、薄氷が漫画を読み、その隣では、光が神社の書類をこっそりサボって、その漫画を覗き込んでいる。
人生どん底だった、窓際の彼女。
孤独だった、ポンコツ神様。
彼らが紡ぐ、騒がしくて、相変わらず貧乏で、でも、どうしようもなく温かい日常。
特別なことなんて、もう何も起こらないかもしれない。
それでも、この愛おしい日々は、これからもずっと、続いていく。
穏やかで、ありふれた、「いつもの明日」へと。
【了】
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