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番外編①『葛城誠二の告白』
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これを誰が読むことになるのか、正直わからない。
警察か。
沙織さんか。
あるいは、誰の目にも触れないまま、山の火の中で焼き尽くされるのかもしれない。
だがそれでも、俺はこれを書かずにはいられなかった。
もう、ここで終わると決めたからだ。
すべてを。
──俺の名前は、葛城誠二。
元は、そこそこのIT企業の経営者だった。
若くして立ち上げ、ある程度の成功を収め、少なくとも外から見れば順調だったと思う。
だが、それも過去の話だ。
あの日を境に、すべてが狂った。
事故が起きたのは、あの年の10月。
高広と一緒に、取引先との会食に出ていた。
接待の席だったが、俺は途中で抜け、先にタクシーで帰ろうとしていた。
高広が、「少しだけなら大丈夫」と言って、自分の車で帰ると言ったのが、最後の判断ミスだった。
──正直に言おう。
俺は止めた。
酒が回ってるのは、誰の目にも明らかだった。
だけど、高広は笑ってこう言った。
「俺はもうすぐ結婚するんだぞ。
こんなとこで潰れてるわけにいかないだろ。
心配すんなって」
そう言って、助手席の俺を乗せて、運転を始めた。
そのまま、会社の近くの交差点で、赤信号を無視して飛び出した。
そして──人を撥ねた。
ドン、という音が今でも耳に残っている。
人が、車のボンネットに跳ね上がる音だった。
高広は、ブレーキを踏むこともできず、そのまま反射的にハンドルを切った。
次の瞬間には、ガードレールにぶつかっていた。
煙が上がるエンジン。
砕けたガラス。
破れたエアバッグの向こうで、高広はシートに突っ伏していた。
運転席のドアを開けると、彼の顔は血でぐしゃぐしゃだった。
胸のあたりに、鋭い鉄片のような破片が刺さっていた。
息は、まだあった。
でも、目は焦点が合っていなかった。
「……さお……り……」
彼は、そう呟いた。
俺の名前ではなかった。
──なぜ、あの時、俺はすぐに救急車を呼ばなかったのか。
……いや、分かっていた。
すぐに呼んでいれば助かったかもしれない。
だが俺は、あることに気づいていた。
社の人間の誰かが、倒れている人を目撃したという連絡がすでに入っていたこと。
そして、その現場から数百メートルのところに防犯カメラがあること。
その車が、高広の車であること。
事故のあと、彼が運転席にいたと判断されれば、酒気帯び運転、ひき逃げ、業務上過失致死。
すべてが一気に崩れる。
何より──
彼には、婚約者がいた。
俺は、無我夢中だった。
体の向きを入れ替え、自分が運転席に座った。
彼を助手席に移した。
そして、そのまま病院まで車を走らせた。
それが、俺にできた唯一の償いだった。
彼の罪を、俺が被る。
それで、彼の名誉が守られ、沙織さんが彼を「まっすぐな人だった」と思えるなら、
それでいいと思った。
ただ、それだけだった。
だが、現実は、そんなに優しくはなかった。
彼は、病院に着く前に息を引き取った。
その時、俺はもう逃げるしかなかった。
病院の監視カメラに映っていたのは、運転席から出てきた俺の姿。
車は高広のもの。
事故現場に残された血痕は高広のものだけだった。
……つまり、俺がやったようにしか見えない。
俺は会社から姿を消した。
もちろん、倒産は時間の問題だった。
高広がいなくなったあとの空洞は、誰にも埋められなかった。
俺は、すべてを失い、名前を捨て、土地を転々とし、最後にはこの山の中に流れ着いた。
……そこからの7年は、何だったんだろうな。
正直、最初の数年は、自分が“良いこと”をしたような気さえしていた。
彼のために、俺は罪を背負ったんだ、と。
逃げながら、何とか生きていた。
けれど、いつからだろう。
夜に彼の声を聞くようになったのは。
夢に出てくるようになったのは。
「どうして……勝手に俺の人生を終わらせた?」
沙織さんの夢も見た。
血まみれで、俺を睨みつけていた。
「あなたが、高広を殺した」と叫んでいた。
(ちがう……俺は……守ったんだ……!)
でも、俺がしたのは“守る”ことじゃなかった。
操ったことだ。
彼の死を、勝手に“美談”に変えて、すべてを押しつけた。
本当に、彼が望んでいたことは、何だったんだろう。
そんなこと、もう彼に訊くことはできない。
もう、誰にも、何も、取り戻すことはできない。
──それでも、俺は、彼女には真実を知られたくなかった。
あのまま、葛城誠二がすべての悪として憎まれ、記憶に残るなら、
それで、彼の“過去”が美しいもののまま終わるなら、それでよかった。
でも、7年経って、彼女は来た。
あの目を、俺は今でも忘れない。
俺の正体を確信し、殺意と悲しみと、そしてどこか“正義”を宿した瞳。
それを見た時、俺は悟った。
(ああ、これはもう、終わらせなきゃいけない)
最初は、彼女をどうするつもりもなかった。
だが、あの幻影が現れた日から、何かが狂い始めた。
家の中に物が動いている。
声がする。
壁に文字がある。
彼女がやったのか。
それとも──俺の頭がおかしくなったのか。
最後に、火をつけた。
全てを焼き払いたかった。
高広の幻も、沙織の怨念も、自分の後悔も。
だが、彼女は逃げた。
そして……それで、いい。
俺は、誰かを殺した。
何人も、何度も。
逃げながら、恐怖と孤独に心が蝕まれ、人の声すら聞けなくなり、
ただ、闇の中で一人、自分の正しさを握りしめていた。
だが、そんなものは、ただの狂気だった。
今、こうして文字を書いている。
手が震えている。
だが、心は不思議と静かだ。
書きながら、初めて、本当のことを認められたような気がする。
沙織さん。
あなたは、間違っていなかった。
あなたが見た幻影が、たとえ幻だったとしても、
それはあなたの愛だったのだと思う。
高広。
ごめん。
本当に、すまなかった。
でも、もし許されるなら、俺の罪が、誰かの生きる理由になっていてほしい。
そう願っている。
ここで、俺の話は終わる。
これが、俺という男の、最後の告白だ。
誰に伝わらずともいい。
ただ、これを残すことで、俺はようやく、人間だった自分に戻れた気がする。
──葛城誠二
警察か。
沙織さんか。
あるいは、誰の目にも触れないまま、山の火の中で焼き尽くされるのかもしれない。
だがそれでも、俺はこれを書かずにはいられなかった。
もう、ここで終わると決めたからだ。
すべてを。
──俺の名前は、葛城誠二。
元は、そこそこのIT企業の経営者だった。
若くして立ち上げ、ある程度の成功を収め、少なくとも外から見れば順調だったと思う。
だが、それも過去の話だ。
あの日を境に、すべてが狂った。
事故が起きたのは、あの年の10月。
高広と一緒に、取引先との会食に出ていた。
接待の席だったが、俺は途中で抜け、先にタクシーで帰ろうとしていた。
高広が、「少しだけなら大丈夫」と言って、自分の車で帰ると言ったのが、最後の判断ミスだった。
──正直に言おう。
俺は止めた。
酒が回ってるのは、誰の目にも明らかだった。
だけど、高広は笑ってこう言った。
「俺はもうすぐ結婚するんだぞ。
こんなとこで潰れてるわけにいかないだろ。
心配すんなって」
そう言って、助手席の俺を乗せて、運転を始めた。
そのまま、会社の近くの交差点で、赤信号を無視して飛び出した。
そして──人を撥ねた。
ドン、という音が今でも耳に残っている。
人が、車のボンネットに跳ね上がる音だった。
高広は、ブレーキを踏むこともできず、そのまま反射的にハンドルを切った。
次の瞬間には、ガードレールにぶつかっていた。
煙が上がるエンジン。
砕けたガラス。
破れたエアバッグの向こうで、高広はシートに突っ伏していた。
運転席のドアを開けると、彼の顔は血でぐしゃぐしゃだった。
胸のあたりに、鋭い鉄片のような破片が刺さっていた。
息は、まだあった。
でも、目は焦点が合っていなかった。
「……さお……り……」
彼は、そう呟いた。
俺の名前ではなかった。
──なぜ、あの時、俺はすぐに救急車を呼ばなかったのか。
……いや、分かっていた。
すぐに呼んでいれば助かったかもしれない。
だが俺は、あることに気づいていた。
社の人間の誰かが、倒れている人を目撃したという連絡がすでに入っていたこと。
そして、その現場から数百メートルのところに防犯カメラがあること。
その車が、高広の車であること。
事故のあと、彼が運転席にいたと判断されれば、酒気帯び運転、ひき逃げ、業務上過失致死。
すべてが一気に崩れる。
何より──
彼には、婚約者がいた。
俺は、無我夢中だった。
体の向きを入れ替え、自分が運転席に座った。
彼を助手席に移した。
そして、そのまま病院まで車を走らせた。
それが、俺にできた唯一の償いだった。
彼の罪を、俺が被る。
それで、彼の名誉が守られ、沙織さんが彼を「まっすぐな人だった」と思えるなら、
それでいいと思った。
ただ、それだけだった。
だが、現実は、そんなに優しくはなかった。
彼は、病院に着く前に息を引き取った。
その時、俺はもう逃げるしかなかった。
病院の監視カメラに映っていたのは、運転席から出てきた俺の姿。
車は高広のもの。
事故現場に残された血痕は高広のものだけだった。
……つまり、俺がやったようにしか見えない。
俺は会社から姿を消した。
もちろん、倒産は時間の問題だった。
高広がいなくなったあとの空洞は、誰にも埋められなかった。
俺は、すべてを失い、名前を捨て、土地を転々とし、最後にはこの山の中に流れ着いた。
……そこからの7年は、何だったんだろうな。
正直、最初の数年は、自分が“良いこと”をしたような気さえしていた。
彼のために、俺は罪を背負ったんだ、と。
逃げながら、何とか生きていた。
けれど、いつからだろう。
夜に彼の声を聞くようになったのは。
夢に出てくるようになったのは。
「どうして……勝手に俺の人生を終わらせた?」
沙織さんの夢も見た。
血まみれで、俺を睨みつけていた。
「あなたが、高広を殺した」と叫んでいた。
(ちがう……俺は……守ったんだ……!)
でも、俺がしたのは“守る”ことじゃなかった。
操ったことだ。
彼の死を、勝手に“美談”に変えて、すべてを押しつけた。
本当に、彼が望んでいたことは、何だったんだろう。
そんなこと、もう彼に訊くことはできない。
もう、誰にも、何も、取り戻すことはできない。
──それでも、俺は、彼女には真実を知られたくなかった。
あのまま、葛城誠二がすべての悪として憎まれ、記憶に残るなら、
それで、彼の“過去”が美しいもののまま終わるなら、それでよかった。
でも、7年経って、彼女は来た。
あの目を、俺は今でも忘れない。
俺の正体を確信し、殺意と悲しみと、そしてどこか“正義”を宿した瞳。
それを見た時、俺は悟った。
(ああ、これはもう、終わらせなきゃいけない)
最初は、彼女をどうするつもりもなかった。
だが、あの幻影が現れた日から、何かが狂い始めた。
家の中に物が動いている。
声がする。
壁に文字がある。
彼女がやったのか。
それとも──俺の頭がおかしくなったのか。
最後に、火をつけた。
全てを焼き払いたかった。
高広の幻も、沙織の怨念も、自分の後悔も。
だが、彼女は逃げた。
そして……それで、いい。
俺は、誰かを殺した。
何人も、何度も。
逃げながら、恐怖と孤独に心が蝕まれ、人の声すら聞けなくなり、
ただ、闇の中で一人、自分の正しさを握りしめていた。
だが、そんなものは、ただの狂気だった。
今、こうして文字を書いている。
手が震えている。
だが、心は不思議と静かだ。
書きながら、初めて、本当のことを認められたような気がする。
沙織さん。
あなたは、間違っていなかった。
あなたが見た幻影が、たとえ幻だったとしても、
それはあなたの愛だったのだと思う。
高広。
ごめん。
本当に、すまなかった。
でも、もし許されるなら、俺の罪が、誰かの生きる理由になっていてほしい。
そう願っている。
ここで、俺の話は終わる。
これが、俺という男の、最後の告白だ。
誰に伝わらずともいい。
ただ、これを残すことで、俺はようやく、人間だった自分に戻れた気がする。
──葛城誠二
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