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第14話「二重の影」
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翌朝、目覚めた瞬間から、神崎陽一の胸には強い決意があった。
今までは“疑い”だった。
だが今は、“確信”があった。
小田切——白石美緒の元恋人にして、部下であり、最も身近にいる“裏切り者”。
そして、全ての異変の根の部分にその影が潜んでいると、陽一はようやく気づいた。
遅すぎたかもしれない。
だが今からでも、全てを“暴く”ことはできる。
朝のオフィスはいつもと同じだった。
空気は張り詰めておらず、誰もが当たり前のように席につき、モニターに向かい、書類を手にしていた。
だが、陽一の視界に映るこの空間が、突然“作り物”のように感じられた。
表面だけ整えられた舞台装置。
その裏で、誰かが別の顔を持ち、別の計画を動かしている。
小田切悠介は、いつものように柔らかな表情で挨拶してきた。
「おはようございます、部長。昨日はご連絡もらってたのにすみません、対応遅れてしまって」
声は穏やかで、笑顔に陰りはない。
だが陽一の心には、もはやその仮面は通じなかった。
「いいさ。……ちょっと後で話せるか?」
「もちろんです。午前中なら空いてますよ」
「じゃあ、十一時に第二会議室で」
小田切は軽く頷いた。
その動作のひとつひとつが、今は芝居にしか見えなかった。
まるで“答え合わせ”の最終幕に向けて、本人すら気づかぬまま舞台に上がっているように見えた。
陽一は自席に戻ると、すぐに社内のセキュリティ管理部に連絡を入れた。
彼の権限では閲覧できない監視カメラの映像、サーバアクセスの詳細ログ、それに——小田切の入退室記録。
すべて、確認のために。
彼には今、“確認”以外の選択肢はなかった。
疑うことはもう終わっている。
残るのは、“証明”だけだった。
十時四十五分。
陽一は第二会議室に入室し、扉を閉めた。
しんとした無人の空間に、窓から日が差し込んでいた。
会議用の長テーブルに手をつき、呼吸を整える。
背中の内側に微かな違和感があった。
それは昨日の夜から感じていた“視線”に似ていた。
あの部屋から持ち出してきたような、生きている気配。
数分後、小田切が現れた。
ノックの音もなく、静かにドアを開けて入ってくる。
その足取りは落ち着いていて、彼はいつものように陽一の対面に座った。
「で、話って何ですか?」
陽一は言葉を選ばずに切り出した。
「お前、まだ俺を騙し続けるつもりか」
小田切の表情が、一瞬だけ固まった。
それは、間違いなく“動揺”だった。
だがすぐに、いつもの表情に戻る。
「どういう意味です?」
「美緒のことも、お前が俺の部屋に仕掛けた“異変”のことも。全部、俺は知ってる。お前が指示した部下もいたんだろう。サーバのアクセス記録も、深夜に不審な操作があったのも、もう全部調べはついてる」
小田切は眉をひそめ、苦笑を浮かべた。
「それ……何かの勘違いじゃないですか? 僕が部長にそんなことする理由、何ひとつないですよね?」
「理由ならある。“財産”だ」
沈黙。
その言葉が、部屋の空気を切り裂いた。
陽一はゆっくりと続ける。
「俺には兄弟もいない。両親も他界してる。田舎には山林と畑がある。固定資産評価額でも、かなりの値段がついてる。……それを狙うとしたら、俺の死が一番手っ取り早い」
「……まさか」
「そして、お前は美緒の元恋人だ。彼女が俺に近づいたのも、お前の助言か。あるいは、お前が“裏切られて”、勝手に暴走してるのか。どちらでも構わない。だが、ここまで来て黙ってるなら……俺は警察に話す」
小田切は、ついに黙り込んだ。
表情は変わらない。
だが、その目の奥から“仮面”が剥がれていくのが見えた。
言葉が、静かに漏れた。
「……おかしいな。部長って、もっと鈍感な人だと思ってた」
陽一は息を飲んだ。
小田切の声色は、それまでとはまったく違っていた。
低く、感情を抑え込んだ声。
そこには、憎しみのような熱があった。
「そうだよ。俺だよ。何が悪い。あんた、何も知らずに、人の気持ちも知らずに、ただ運だけで上に行った。ずっと……ずっと見てたんだ。あんたの部下でいることが、どれだけ耐えがたいか分かるか? 美緒だって、本当は——」
「黙れ」
陽一の声が震えた。
その震えには、怒りもあったが、もっと深いものがあった。
恐怖。
自分が知ってしまった現実への、底知れない恐怖だった。
「お前は何人使った。田島か? 奈々もか?」
「奈々……? あいつはただの道化だよ。自分で写真撮って喜んでるだけの哀れな女。何も知らないし、何もさせてない。あいつだけは……本気で部長に惚れてる。だから余計に笑えるよな」
陽一は、背筋が凍るのを感じた。
人間が抱える“憎しみ”という感情が、これほど深く黒いとは。
それは幽霊よりも恐ろしく、理解不能だった。
「……お前、俺の部屋のことも知ってたな。事故物件だって、最初から調べてた」
「まあな。でもそれも都合が良かっただけだよ。ほら、火事とか、死体とか、呪いとか。そういう“背景”があると、人は勝手に崩れていく。自分から恐怖を作り出す。そうなると操作は簡単だ」
「だから、指輪を隠したのか。写真立てを倒したのも。……全部、お前の仕業か」
「そうだよ。やっと当たりだ。褒めてやるよ、部長」
その時、部屋の電灯が一瞬だけ明滅した。
陽一も、小田切も、わずかに顔を上げる。
そして、その刹那。
背後の窓に“誰か”が立っていた。
白い顔。
黒い髪。
焼けただれた輪郭。
陽一は立ち上がった。
小田切の表情が凍りついた。
「……今、見えたな?」
「な、何を——」
「“あれ”は、お前の範疇じゃない。お前が計算した恐怖は、“あれ”には通じない。お前が動かしたのは、ただの人間だ。だが、“あれ”は——別だ」
小田切の顔が蒼白になった。
目だけが、大きく見開かれていた。
「……まさか、ほんとうに……?」
その瞬間、窓ガラスがピシ、と音を立てた。
ふたりは振り返った。
ガラスの外には、もう誰もいなかった。
だが、ガラスにはくっきりと“手形”が残っていた。
五本指。
焦げたような黒い痕。
内側からではなく、外側から付けられたものだった。
陽一は震える手でスマートフォンを握った。
警察の番号に指を伸ばしかけたその時、メッセージが届いた。
奈々からだった。
《部長、今すぐ私の話を聞いてください。小田切だけじゃない。美緒さんも……彼女も全部知ってた。動画があるんです》
今までは“疑い”だった。
だが今は、“確信”があった。
小田切——白石美緒の元恋人にして、部下であり、最も身近にいる“裏切り者”。
そして、全ての異変の根の部分にその影が潜んでいると、陽一はようやく気づいた。
遅すぎたかもしれない。
だが今からでも、全てを“暴く”ことはできる。
朝のオフィスはいつもと同じだった。
空気は張り詰めておらず、誰もが当たり前のように席につき、モニターに向かい、書類を手にしていた。
だが、陽一の視界に映るこの空間が、突然“作り物”のように感じられた。
表面だけ整えられた舞台装置。
その裏で、誰かが別の顔を持ち、別の計画を動かしている。
小田切悠介は、いつものように柔らかな表情で挨拶してきた。
「おはようございます、部長。昨日はご連絡もらってたのにすみません、対応遅れてしまって」
声は穏やかで、笑顔に陰りはない。
だが陽一の心には、もはやその仮面は通じなかった。
「いいさ。……ちょっと後で話せるか?」
「もちろんです。午前中なら空いてますよ」
「じゃあ、十一時に第二会議室で」
小田切は軽く頷いた。
その動作のひとつひとつが、今は芝居にしか見えなかった。
まるで“答え合わせ”の最終幕に向けて、本人すら気づかぬまま舞台に上がっているように見えた。
陽一は自席に戻ると、すぐに社内のセキュリティ管理部に連絡を入れた。
彼の権限では閲覧できない監視カメラの映像、サーバアクセスの詳細ログ、それに——小田切の入退室記録。
すべて、確認のために。
彼には今、“確認”以外の選択肢はなかった。
疑うことはもう終わっている。
残るのは、“証明”だけだった。
十時四十五分。
陽一は第二会議室に入室し、扉を閉めた。
しんとした無人の空間に、窓から日が差し込んでいた。
会議用の長テーブルに手をつき、呼吸を整える。
背中の内側に微かな違和感があった。
それは昨日の夜から感じていた“視線”に似ていた。
あの部屋から持ち出してきたような、生きている気配。
数分後、小田切が現れた。
ノックの音もなく、静かにドアを開けて入ってくる。
その足取りは落ち着いていて、彼はいつものように陽一の対面に座った。
「で、話って何ですか?」
陽一は言葉を選ばずに切り出した。
「お前、まだ俺を騙し続けるつもりか」
小田切の表情が、一瞬だけ固まった。
それは、間違いなく“動揺”だった。
だがすぐに、いつもの表情に戻る。
「どういう意味です?」
「美緒のことも、お前が俺の部屋に仕掛けた“異変”のことも。全部、俺は知ってる。お前が指示した部下もいたんだろう。サーバのアクセス記録も、深夜に不審な操作があったのも、もう全部調べはついてる」
小田切は眉をひそめ、苦笑を浮かべた。
「それ……何かの勘違いじゃないですか? 僕が部長にそんなことする理由、何ひとつないですよね?」
「理由ならある。“財産”だ」
沈黙。
その言葉が、部屋の空気を切り裂いた。
陽一はゆっくりと続ける。
「俺には兄弟もいない。両親も他界してる。田舎には山林と畑がある。固定資産評価額でも、かなりの値段がついてる。……それを狙うとしたら、俺の死が一番手っ取り早い」
「……まさか」
「そして、お前は美緒の元恋人だ。彼女が俺に近づいたのも、お前の助言か。あるいは、お前が“裏切られて”、勝手に暴走してるのか。どちらでも構わない。だが、ここまで来て黙ってるなら……俺は警察に話す」
小田切は、ついに黙り込んだ。
表情は変わらない。
だが、その目の奥から“仮面”が剥がれていくのが見えた。
言葉が、静かに漏れた。
「……おかしいな。部長って、もっと鈍感な人だと思ってた」
陽一は息を飲んだ。
小田切の声色は、それまでとはまったく違っていた。
低く、感情を抑え込んだ声。
そこには、憎しみのような熱があった。
「そうだよ。俺だよ。何が悪い。あんた、何も知らずに、人の気持ちも知らずに、ただ運だけで上に行った。ずっと……ずっと見てたんだ。あんたの部下でいることが、どれだけ耐えがたいか分かるか? 美緒だって、本当は——」
「黙れ」
陽一の声が震えた。
その震えには、怒りもあったが、もっと深いものがあった。
恐怖。
自分が知ってしまった現実への、底知れない恐怖だった。
「お前は何人使った。田島か? 奈々もか?」
「奈々……? あいつはただの道化だよ。自分で写真撮って喜んでるだけの哀れな女。何も知らないし、何もさせてない。あいつだけは……本気で部長に惚れてる。だから余計に笑えるよな」
陽一は、背筋が凍るのを感じた。
人間が抱える“憎しみ”という感情が、これほど深く黒いとは。
それは幽霊よりも恐ろしく、理解不能だった。
「……お前、俺の部屋のことも知ってたな。事故物件だって、最初から調べてた」
「まあな。でもそれも都合が良かっただけだよ。ほら、火事とか、死体とか、呪いとか。そういう“背景”があると、人は勝手に崩れていく。自分から恐怖を作り出す。そうなると操作は簡単だ」
「だから、指輪を隠したのか。写真立てを倒したのも。……全部、お前の仕業か」
「そうだよ。やっと当たりだ。褒めてやるよ、部長」
その時、部屋の電灯が一瞬だけ明滅した。
陽一も、小田切も、わずかに顔を上げる。
そして、その刹那。
背後の窓に“誰か”が立っていた。
白い顔。
黒い髪。
焼けただれた輪郭。
陽一は立ち上がった。
小田切の表情が凍りついた。
「……今、見えたな?」
「な、何を——」
「“あれ”は、お前の範疇じゃない。お前が計算した恐怖は、“あれ”には通じない。お前が動かしたのは、ただの人間だ。だが、“あれ”は——別だ」
小田切の顔が蒼白になった。
目だけが、大きく見開かれていた。
「……まさか、ほんとうに……?」
その瞬間、窓ガラスがピシ、と音を立てた。
ふたりは振り返った。
ガラスの外には、もう誰もいなかった。
だが、ガラスにはくっきりと“手形”が残っていた。
五本指。
焦げたような黒い痕。
内側からではなく、外側から付けられたものだった。
陽一は震える手でスマートフォンを握った。
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