五寸釘零子は、呪いを受け入れない2

naomikoryo

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零話:始まりは、いつも静かだった

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 最初は、誰も気に留めなかった。

 学校という場所では、
 多少の異変は「よくあること」として処理される。

 黒板に残った消し忘れ。
 誰もいない廊下の足音。
 夜間警備員の見間違い。

 それらは、忙しさの中で、簡単に流されていく。

 



 

 異変の最初の記録は、数学準備室だった。

 相良朱音は、その日、テスト範囲の確認をしていた。

 机の上には、プリントの束。
 ホワイトボードには、チョークで書いた数式。

 

 ふと、違和感を覚えた。

 

(……さっき、これ書いたっけ?)

 

 黒板の隅に、見覚えのない式があった。

 

x = √(-1)

 

 あり得ない。
 授業では扱っていない。
 そもそも、この学校では、まだ教えない。

 

 朱音は、チョークを取り、消した。

 

 ――キィ。

 

 音が、残る。

 消したはずの場所に、
 薄く、同じ式が浮かび上がった。

 

「……?」

 

 一瞬、背中が冷えた。

 だが、朱音は深く考えなかった。

(疲れてるのかな)

 

 その日は、それで終わった。

 



 

 二日後。

 今度は、生徒からだった。

「先生……」

 1年生の女子が、放課後に職員室を訪ねてきた。

 

「旧校舎の階段、
 降りても降りても、
 同じ踊り場に戻るんです」

 

 朱音は、笑って受け流そうとした。

「それ、疲れてるだけじゃない?」

「……私もそう思ったんです」

 

 だが、生徒の目は真剣だった。

 

「でも、
 後ろから、数を数える声がしたんです」

 



 

 その日を境に、報告が増え始めた。

 

 体育館裏で、足音が増える。
 音楽室で、誰も弾いていないピアノが鳴る。
 旧校舎の図書室の扉が、朝になると少しだけ開いている。

 

 どれも、決定的ではない。

 だが――
 繋げると、ひとつの方向を向いている。

 

 朱音は、校内の見取り図を机に広げた。

 

(……全部、旧校舎)

 



 

 職員会議は、荒れた。

「生徒の思い込みです」
「SNSの影響でしょう」
「オカルト話を広げるのは危険です」

 

 朱音は、黙って聞いていた。

 だが、最後に、口を開いた。

 

「……“何もない”と言い切るには、
 重なりすぎています」

 

 教頭が眉をひそめる。

「相良先生。
 あなたは数学教師でしょう」

「だからです」

 

 朱音は、はっきりと言った。

 

「偶然が、
 ここまで規則正しく並ぶことはありません」

 

 空気が、張りつめた。

 



 

 会議後。

 朱音は、ひとり職員室に残った。

 

(……どうする)

 

 頭に浮かぶ顔が、ひとつだけあった。

 

 山奥の神社。
 前髪で顔を隠した、奇妙な巫女。

 超天然で、
 呪いの話になると、
 別人のように変わる女性。

 

(……頼るべきじゃない)

(でも)

 

 朱音は、スマートフォンを握りしめた。

 

 そのとき。

 校内放送が、誤作動を起こした。

 

『――次は……』

 

 ノイズ。

 

『……まだ……足りない……』

 

 放送は、すぐに切れた。

 

 だが、朱音は確かに聞いた。

 



 

 夜。

 朱音は、自宅で一通のメールを見返していた。

 過去に保存してあった、
 五寸釘零子からの、短い返信。

 

「また必要になったら、呼んでくださいねぇ」

 

 朱音は、目を閉じた。

 

(……来た)

 

 それは、恐怖ではなかった。

 確信だった。

 

(これは、
 私たちの手を離れてる)

 

 朱音は、連絡先を開く。

 躊躇いは、もうなかった。

 

「……お願いします」

 

 送信。

 

 その瞬間。

 窓の外で、旧校舎の方角に、
 小さく、灯りが点いた。

 

 まるで――
 呼ばれるのを、待っていたかのように。

 

 

(ここから、始まる)

(呪いも、救いも)
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