五寸釘零子は、呪いを受け入れない2

naomikoryo

文字の大きさ
1 / 19

零話:始まりは、いつも静かだった

しおりを挟む
 最初は、誰も気に留めなかった。

 学校という場所では、
 多少の異変は「よくあること」として処理される。

 黒板に残った消し忘れ。
 誰もいない廊下の足音。
 夜間警備員の見間違い。

 それらは、忙しさの中で、簡単に流されていく。

 



 

 異変の最初の記録は、数学準備室だった。

 相良朱音は、その日、テスト範囲の確認をしていた。

 机の上には、プリントの束。
 ホワイトボードには、チョークで書いた数式。

 

 ふと、違和感を覚えた。

 

(……さっき、これ書いたっけ?)

 

 黒板の隅に、見覚えのない式があった。

 

x = √(-1)

 

 あり得ない。
 授業では扱っていない。
 そもそも、この学校では、まだ教えない。

 

 朱音は、チョークを取り、消した。

 

 ――キィ。

 

 音が、残る。

 消したはずの場所に、
 薄く、同じ式が浮かび上がった。

 

「……?」

 

 一瞬、背中が冷えた。

 だが、朱音は深く考えなかった。

(疲れてるのかな)

 

 その日は、それで終わった。

 



 

 二日後。

 今度は、生徒からだった。

「先生……」

 1年生の女子が、放課後に職員室を訪ねてきた。

 

「旧校舎の階段、
 降りても降りても、
 同じ踊り場に戻るんです」

 

 朱音は、笑って受け流そうとした。

「それ、疲れてるだけじゃない?」

「……私もそう思ったんです」

 

 だが、生徒の目は真剣だった。

 

「でも、
 後ろから、数を数える声がしたんです」

 



 

 その日を境に、報告が増え始めた。

 

 体育館裏で、足音が増える。
 音楽室で、誰も弾いていないピアノが鳴る。
 旧校舎の図書室の扉が、朝になると少しだけ開いている。

 

 どれも、決定的ではない。

 だが――
 繋げると、ひとつの方向を向いている。

 

 朱音は、校内の見取り図を机に広げた。

 

(……全部、旧校舎)

 



 

 職員会議は、荒れた。

「生徒の思い込みです」
「SNSの影響でしょう」
「オカルト話を広げるのは危険です」

 

 朱音は、黙って聞いていた。

 だが、最後に、口を開いた。

 

「……“何もない”と言い切るには、
 重なりすぎています」

 

 教頭が眉をひそめる。

「相良先生。
 あなたは数学教師でしょう」

「だからです」

 

 朱音は、はっきりと言った。

 

「偶然が、
 ここまで規則正しく並ぶことはありません」

 

 空気が、張りつめた。

 



 

 会議後。

 朱音は、ひとり職員室に残った。

 

(……どうする)

 

 頭に浮かぶ顔が、ひとつだけあった。

 

 山奥の神社。
 前髪で顔を隠した、奇妙な巫女。

 超天然で、
 呪いの話になると、
 別人のように変わる女性。

 

(……頼るべきじゃない)

(でも)

 

 朱音は、スマートフォンを握りしめた。

 

 そのとき。

 校内放送が、誤作動を起こした。

 

『――次は……』

 

 ノイズ。

 

『……まだ……足りない……』

 

 放送は、すぐに切れた。

 

 だが、朱音は確かに聞いた。

 



 

 夜。

 朱音は、自宅で一通のメールを見返していた。

 過去に保存してあった、
 五寸釘零子からの、短い返信。

 

「また必要になったら、呼んでくださいねぇ」

 

 朱音は、目を閉じた。

 

(……来た)

 

 それは、恐怖ではなかった。

 確信だった。

 

(これは、
 私たちの手を離れてる)

 

 朱音は、連絡先を開く。

 躊躇いは、もうなかった。

 

「……お願いします」

 

 送信。

 

 その瞬間。

 窓の外で、旧校舎の方角に、
 小さく、灯りが点いた。

 

 まるで――
 呼ばれるのを、待っていたかのように。

 

 

(ここから、始まる)

(呪いも、救いも)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

雪嶺後宮と、狼王の花嫁

由香
キャラ文芸
後宮に降る雪は、呪いではなく嘆きだった。 巫女として献上された少女セツナは、 封じられた狼王の“花嫁”としての前世を思い出す。 人と妖、政と信仰の狭間で、 彼女が選ぶのは従属ではなく均衡。 雪嶺を舞台に描く、異種婚姻×後宮伝承譚。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

親同士の決め事でしょう?

泉花ゆき
恋愛
伯爵令嬢であるリリアーナは学園で知り合った侯爵令息のアルフレッドから婚約を申し込まれる。 リリアーナは婚約を喜んで受け、家族からも祝福された。 長期休みの日、彼の招待で侯爵家へ向かう。 するとそこには家族ぐるみで仲良くしているらしいカレンという女がいた。 「あなたがアルの婚約者?へえー、こんな子が好みだったんだあ」 「いや……これは親同士が決めたことで……」 (……ん?あなたからプロポーズされてここへ来たんだけど……) アルフレッドの、自称一番仲のいい友達であるカレンを前にして、だんだんと疑問が溜まってきたころ。 誰よりもこの婚約を不服に思うリリアーナの弟が、公爵令息を連れて姉へと紹介しにくる。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

【完結】ジュリアはバツイチ人生を謳歌する

ariya
恋愛
エレン王国の名門貴族・アグリア伯爵家に嫁いだジュリア・アグリア(旧姓ベルティー)。 夫のアベル・アグリア伯爵は、騎士として王妃の護衛任務に没頭し、結婚翌日からほぼ別居状態。 社交界のパーティーでは妻のエスコートを代理人に任せ、父の葬儀にも顔を出さず、事務的な会話と手紙のやり取りだけの日々が続く。 ジュリアは8年間の冷遇に耐え抜いたが、ある朝の食事中、静かに切り出す。 「私たち、離婚しましょう」 アベルは絶句するが、ジュリアは淡々と不満を告げる。 どれも自分のしでかしたことにアベルは頭を抱える。 彼女はすでに離婚届と慰謝料の用意を済ませ、夫の仕事に理解を示さなかった「有責妻」として後腐れなく別れるつもりだった。 アベルは内心で反発しつつも、ジュリアの決意の固さに渋々サイン。 こうしてジュリア・アグリアは、伯爵夫人としての全てを置き去りにし、バツイチ人生を開始する。

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

抱きしめて

麻実
恋愛
夫の長期に亘る不倫に 女としての自信を失った妻は、新しい出会いに飛び込んでいく。

【1話完結】あなたの恋人は毎夜わたしのベッドで寝てますよ。

ariya
ファンタジー
ソフィア・ラテットは、婚約者アレックスから疎まれていた。 彼の傍らには、いつも愛らしい恋人リリアンヌ。 婚約者の立場として注意しても、アレックスは聞く耳を持たない。 そして迎えた学園卒業パーティー。 ソフィアは公衆の面前で婚約破棄を言い渡される。 ガッツポーズを決めるリリアンヌ。 そのままアレックスに飛び込むかと思いきや―― 彼女が抱きついた先は、ソフィアだった。

処理中です...