真夜中のリグレット ~あやかし骨董店と記憶の器~

naomikoryo

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第十二話『最後の伝言』

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その日、月詠堂の古びた引き戸を開けて入ってきたのは、いかにも現代的な、若い女性だった。
大きな布製のリュックを背負い、少し俯きがちに店内を見回す姿は、この骨董店に満ちる古い時間の匂いとは、どこか馴染まない。

「あの…」

高橋結奈と名乗ったその大学生は、おずおずと、時也の前に一つの品物を差し出した。
それは、月詠堂に持ち込まれる品としては、あまりに異質だった。
画面が蜘蛛の巣のように割れ、電源も入らない、初代モデルの古いスマートフォン。

「これを、見ていただくことは…できますか」

結奈は、時也に事情を話し始めた。
これは、一年前に交通事故で亡くなった、彼女の姉・莉子の遺品であること。
そして、亡くなる直前、電話で些細なことで喧嘩をしてしまい、それが最後の会話になってしまったこと。

「売り言葉に買い言葉で、ひどいことを言ってしまって…。謝れないまま、姉は逝ってしまいました」

結奈の白い指が、スマートフォンのひび割れた画面を、そっと撫でる。

「このスマホに、姉からのメッセージが残っているような気がして、捨てられないんです。留守電かもしれないし、下書きのメールかもしれない…。でも、もう電源も入らないし、どこの修理屋さんに行っても、古すぎて直せないって…」

藁にもすがるような思いで、ネットで見つけた怪しげな噂を頼りに、彼女はこの月詠堂を訪れたのだった。

◆◇◆

時也は、黙ってそのスマートフォンを受け取った。
ずしりと重い。
それは、物理的な重さだけではなかった。
彼がそのプラスチックの塊に触れると、これまでの骨董品とは質の違う、しかし、確かに強い念が、指先から伝わってきた。
それは、呪いや怨念ではない。
ただひたすらに、フラストレーションと、後悔と、そして「伝えたい」という焦燥感が、同じ場所をぐるぐると、出口なく回り続けているような、閉じたループの感情だった。

「…なるほど」

傍らで見ていた店のあやかしたちは、その無機質な見た目に、あまり興味を示さない。

「ふん。こんなプラスチックの板に、魂など宿るものか」
玄翁は、そう吐き捨ててそっぽを向く。
白磁の君も、これまでの品々とは全く違う念の質に戸惑っているのか、時也の袖の後ろに隠れたままだ。
しかし、琥珀だけは、煙管を持つ手を止め、結奈のほうをじっと見ていた。

「…伝えられなかった想い、かい。いつの世も、そいつが一番、厄介なものだねぇ」

その呟きは、時也にだけ聞こえていた。

◆◇◆

時也は、結奈に茶を勧め、彼女がそれを口にする間、店の奥で、スマートフォンの記憶に意識を深く沈めていった。

そこに視えたのは、古い歴史や、壮大な風景ではない。
SNSのタイムライン、友人たちとの他愛もないチャットの履歴、カフェで撮られたパンケーキの写真、旅行先でのたくさんの自撮り。
極めて現代的で、賑やかで、そして、どこまでも断片的な記憶のコラージュ。

時也は、その無数の記憶の断片をかき分け、持ち主である姉・莉子の、最後の瞬間に辿り着いた。
――駅のホーム。
雑踏。電車の接近を告げるアナウンス。
彼女は、妹の結奈と電話で喧嘩した後、すぐにそれを後悔していた。
『どうしてあんな言い方しちゃったんだろう』
その自責の念が、時也に痛いほど伝わってくる。
そして、彼女は、事故に遭う直前、駅のホームの喧騒の中で、結奈の留守番電話に、謝罪のメッセージを吹き込んでいたのだ。

『――結奈? ごめん、さっきは言い過ぎた。私が悪かったから、許して。また、明日、ちゃんと話そう。じゃあね』

しかし、彼女が、そのメッセージを送信するために、画面のボタンを押す直前。背後から来た電車に気づくのが、一瞬、遅れた。驚いたように振り返る顔。それが、彼女の最後の記憶だった。
スマホに宿っていた想いの正体。それは、この「送信されることのなかった最後の伝言」が、持ち主を失った後も、一年間、ずっと、出口のない回路をループし続けていたものだった。

◆◇◆

時也は、ゆっくりと目を開けると、不安そうに自分を見つめる結奈に向き直った。
そして、静かに、丁寧に、姉の最後の言葉を、彼女がホームの喧騒の中で吹き込んだ時と全く同じイントネーションで、口に出して伝えた。

「――結奈? ごめん、さっきは言い過ぎた。私が悪かったから、許して。また、明日、ちゃんと話そう。じゃあね」

時也は、ただ言葉を繰り返したのではない。
その言葉に込められた、姉の、不器用で、でも、どこまでも深い愛情。
そして、すぐに後悔した、その優しい気持ち。
その全てを結奈の心に、そっと届けた。

一年間、ずっと聞きたかった。
そして、聞くのが、怖かった姉の言葉。
それを聞いた瞬間、結奈の瞳から、堰を切ったように、大粒の涙が溢れ出した。
それは、一年間、彼女の胸に重くのしかかっていた、罪悪感という名の氷が、ようやく溶け出した、浄化の涙だった。

結奈の涙と共に、スマホに宿っていたループする想いが、その役目を終えたかのように、すっと消えていくのが時也には分かった。
それはもう、ただの電子部品の塊に戻ったのだ。

◆◇◆

後日。
吹っ切れたように、晴れやかな顔で月詠堂を再訪した結奈は、あのスマートフォンを、時也に預けたい、と申し出る。
「もう、大丈夫なので。メッセージは、ちゃんと、ここに届きましたから」
彼女は、そう言って、自分の胸を、そっと指差した。

時也は、静かになったスマートフォンを、店の古い棚に、そっと飾った。
琥珀が、その隣で、ふう、と紫の煙を吐きながら呟いた。

「いつの世も、どんな品物でも、人の後悔ってやつは、結局、同じ顔をしてるんだねぇ」

時也は、その言葉に、静かに頷くのだった。
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