真夜中のリグレット ~あやかし骨董店と記憶の器~

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第十一話『裏切り者の鎮魂歌(レクイエム)』

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時也が案内されたのは、都心に聳え立つ超高級ホテルの、最上階にあるペントハウスだった。
だが、そこに豪華な調度品はなく、さながら最新鋭のICUのように改造されていた。
無機質な電子音だけが、冷たく、正確に、時を刻んでいる。

部屋の中央に置かれたベッドに、老人――園田宗一郎が、数多の生命維持装置に繋がれて横たわっていた。
そして、そのベッドに覆いかぶさるようにして、黒い影が、憎悪の念を霧のように放ち続けていた。
園田に裏切られ、自ら命を絶った親友、香川の怨霊だった。
時也と、そして有栖川の目には、その姿がはっきりと見えている。

「さて、と」
有栖川は、まるでこれからオペでも始めるかのように、アタッシェケースから例の黒楽茶碗を取り出し、恭しくテーブルに置いた。

「ルールは簡単だ。浄化はするな。いいね? ただ、あの怨霊を、あの男から『引き剥がし』、この器に『移す』だけだ。もし失敗すれば、僕は帰る。君への貸しは、そのまま残る。成功を祈るよ」

その声には、微塵の同情も、ためらいもなかった。

◆◇◆

時也は、有栖川の言葉を無視し、静かにベッドへと近づいた。
そして、彼は、これまで試みたことのない、危険極まりない方法を選んだ。
片方の手を、かろうじて呼吸を続ける園田の額に。
そして、もう片方の手を、憎悪に揺らめく黒い影――香川の怨霊に、同時に触れた。
二つの魂の記憶を、同時に読み解く。
瞬間、相反する二つの記憶が、凄まじい濁流となって、時也の脳内に流れ込んできた。

――園田の記憶。 
裸一貫から、親友と共に会社を立ち上げた、若き日の野心と、輝かしい友情。
事業が拡大するにつれて、心の奥底で膨らんでいく、際限のない欲望。
そして、会社を独り占めするために、親友である香川を陥れた、あの雨の日の、裏切りの瞬間。
その罪悪感から逃れるように、仕事に没頭した空虚な日々。
そして今、死を目前にして、全てを後悔し、恐怖に苛まれる、哀れな魂の叫び。

――香川の記憶。 
唯一無二の親友に、ある日突然、全てを奪われた衝撃と絶望。
信じていた世界が、足元から崩れ落ちていく感覚。
家族も、財産も、誇りも失い、冷たい部屋で、孤独のうちに自ら命を絶った、あの日の記憶。
そして、園田への、どこまでも深く、どこまでもどす黒い、泥のような憎悪の念。

二つの魂は、憎悪と罪悪感を頑なな鎖として、互いを縛り付け、がんじがらめに絡み合い、互いを苛み、破滅へと向かう「死のスパイラル」に陥っていた。
香川の怨念が園田の命を蝕み、園田の罪悪感が香川の怨念の、絶好の餌となっていた。

◆◇◆

「何をぐずぐずしている! 感傷に浸るのはやめて、さっさと引き剥がせ!」

時也の顔色が青ざめていくのを見て、有栖川の苛立った声が飛んだ。
彼は、時也が自分の指示に従わず、余計な「共感」をしていることに気づき始めていた。
時也は彼を無視した。
この憎悪の連鎖を、力ずくで引き剥がせば、どちらかの魂が崩壊するか、あるいは、怨念がさらに強まるだけだ。
それでは意味がない。
彼は、二つの魂の記憶の、さらに奥深くへと、意識を潜らせた。
そして、たった一つだけ、まだ憎悪にも罪悪感にも汚されていない、共通の記憶の欠片を見つけ出した。

それは、まだ二人が貧しい学生だった頃。
古い、油臭いガレージで、なけなしの金で買った一杯のインスタントラーメンを分け合いながら、途方もなく大きな未来の夢を語り合い、腹を抱えて笑い合った、真夏の日の記憶だった。

時也は、残された霊力の全てを、この一点に集中させた。
怨念を浄化するのでもない。
器に封じ込めるのでもない。
ただ、この「幸福だった記憶」を、二つの魂に向かって、渾身の力で、一方的に「再生(ブロードキャスト)」した。

◆◇◆

その瞬間、二つの魂は、凄まじい拒絶反応を起こした。
部屋が、まるで地震のように揺れ、医療機器のモニターが一斉に異常な数値を叩き出して、けたたましいアラームを鳴らす。
時也の体も、凄まじい霊力の奔流に耐えきれず、口の端から、一筋の血を吐いた。

「面白い…! 引き剥がすんじゃない、共鳴させて、魂ごと相殺させる気か!」
有栖川が、初めて、心の底からの驚きと興奮が入り混じった声を上げた。

時也が再生した、幸福な記憶。
憎悪と罪悪感に染まった二つの魂は、そのあまりに眩しい光を前にして、一瞬、動きを止めた。
そして、怨霊と化した香川と、死の淵にいる園田は、憎しみ合う今の姿ではなく、あの夏の日のガレージで、馬鹿みたいに笑い合っていた、若き日の自分たちの姿で、互いを見つめ合った。

園田の唇が、かすかに、ほとんど聞き取れないほど小さく、動いた。
「……ごめん」

その言葉を聞いた香川の怨霊は、彼を許しはしなかった。
だが、その魂を縛り付けていた、復讐という名の憎悪の鎖が、ふっと、音もなく解けていくのが、時也には視えた。

彼は、もう復讐を望んではいなかった。
ただ、あの日に帰りたかった。
ただ、それだけなのだ。

二つの魂は、互いに引き寄せられるように、ゆっくりと一つになった。
そして、やがて、無数の、温かい光の粒子となって、静かに消えていった。
憎しみを乗り越えた、二人だけの、あまりにも悲しい「鎮魂」。

部屋には、静寂だけが残された。
黒楽茶碗は、空っぽのまま、テーブルの上で冷たく佇んでいる。
有栖川は、一瞬、全てを台無しにされた子供のように、猛烈に不機嫌な顔をしたが、やがて、堰を切ったように、声を上げて笑い出した。

「…はは、はははは! 最高だ! なんて面白いんだ! 僕の依頼を完全に無視し、最も非効率で、最も感傷的で、最も予測不可能なやり方で、結果的に『怨念を取り除いた』! …いいだろう。貸しは、チャラだ」

彼は、壁に手をつき、消耗しきった時也に、新しい、極上の玩具を見るような目を向けた。
「君は、僕のコレクションのどんなゴーストよりも、面白いよ、月詠時也」

そう言うと、彼は、心底満足げに、一人で部屋を去っていった。

時也は、静寂を取り戻した部屋で、生命維持装置の電子音が止まった、空のベッドを見つめていた。
勝利感など、微塵もなかった。
ただ、二つの魂が最期に分ち合った、あまりに悲しく、そして、あまりに美しい友情の記憶だけが、彼の胸に、重く、深く、残っていた。
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