真夜中のリグレット ~あやかし骨董店と記憶の器~

naomikoryo

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第十四話『招かれざる浄滅者』

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「どうやら、私が思っていたよりも、嗅ぎつけるのが早かったようだ」
佐伯の険しい声と同時に、時也は、店の外から放たれる、冷たく、研ぎ澄まされた敵意を、肌で感じていた。
それは、これまで対峙してきた、どんなあやかしの念とも違う、訓練された人間だけが放つ、明確な殺意だった。

だが、次の瞬間、起こったのは、予想だにしない「静かなる襲撃」だった。
ぱん、ぱん、ぱん! と、乾いた音が連続して響き渡る。
店の引き戸や、窓ガラスに、外側から、白い札(ふだ)が、凄まじい速さで次々と貼り付けられていく。
その瞬間、だった。

「うっ…!」
「あつっ…! 何だ、こりゃあ…!」

今まで静かにしていた琥珀と玄翁が、同時に、悲痛な声を上げた。
顕現したその姿が、陽炎のように激しく揺らめき、まるで強酸を浴びせられたかのように、その輪郭がじりじりと焼けるような痛みを訴えている。
白磁の君は、既に言葉も発せず、時也の背後で小さく蹲っていた。

札は、あやかしの存在そのものを成り立たせている「念」を、強制的に、そして暴力的に浄化し、消滅させるためのものだった。
月詠堂の、長い年月をかけて培われてきた、物と魂が織りなす穏やかな空気そのものが、内側から破壊され始めていた。

◆◇◆

「ひどい…!」

時也は、あやかしたちの苦しむ声に、思わず叫んだ。
彼と佐伯が、意を決して店の外に飛び出すと、そこに立っていたのは、一人の若い女性だった。
現代的に、そして機能的にデザインされた巫女装束のような、白と緋色の服。
長く結い上げた黒髪。
そして、その手に、残った最後の札を一枚、携えている。
彼女――桐生院咲耶は、最後の札を月詠堂の扉に貼り付けると、まるで汚物でも見るかのように、冷たい目で店を見上げ、そして言い放った。

「ここは、人の世の理を乱す『歪み』の巣。これより、浄滅を開始します」
「待ちなさい、お嬢さん」

佐伯が、彼女と時也の間に割って入った。
「君は、寂滅会の者だろう。我々は、君たちが考えるような邪な術師ではない。ここの主は、魂の救済を…」
「魂?」

咲耶は、その言葉を、せせら笑うかのように遮った。

「物の怪に成り果てた時点で、それはもはや救うべき魂ではない。ただ、世界に害をなすだけの『染み』です。染みは、取り除くか、消し去る以外にありません」

彼女の思想は、まるで教典を暗唱するかのように、絶対的で、揺らぎなく、そして、一切の対話の余地はなかった。

時也は、彼女が貼った札に、そっと触れてみた。
その術者の記憶を、その心の奥底にあるものを、読み解こうとするために。
しかし、それは、これまでのように、簡単にはいかなかった。

彼女の精神は、強固な信念と、幼い頃からの厳しい修行によって、鉄壁の要塞のように閉ざされている。
時也がかろうじて垣間見たのは、薄暗い道場で、「情けは弱さ」「あやかしは全て悪」と、繰り返し、繰り返し、徹底的に教え込まれ、感情を殺す訓練をさせられてきた、彼女の、あまりに孤独で、色のない過去の断片だけだった。

◆◇◆

咲耶は、月詠堂全体に漂う、様々なあやかしの気配を、不快そうに感じ取っていた。
彼女の真の狙いは、この「巣」の根源――彼女が「元凶(ボス)」と判断した、最も強い霊力を放つ存在だった。
皮肉なことに、それは、澱との戦いの後、浄化されて今は聖性を帯びて静かに佇む、あの地蔵像だった。

「最も濃い歪みは、あの石仏。あれを滅すれば、この巣は自壊する」

咲耶はそう判断すると、両の指で複雑な印を結んだ。
その指先に、凝縮された霊力が、青白い炎となって宿る。
浄化の炎。
魂ごと、その存在を消し炭にする、寂滅会が奥義とする術の一つ。

「させるか!」

今まで札の力で苦しんでいた玄翁が、最後の力を振り絞って顕現し、店の引き戸の前で、その頑強な体をもって、盾となった。
琥珀も、幻術で咲耶の足元に幻の沼を生み出し、その視界を惑わそうとする。
だが、鍛え上げられた術者である彼女には、小手先の技はほとんど通用しなかった。

「――滅」

咲耶の、氷のように冷たい声と共に、浄化の炎が、一直線に月詠堂に向かって放たれた。

◆◇◆

玄翁の張った、職人の意地とも言うべき障壁が、浄化の炎を防ぐ。
だが、完全に威力を殺しきることはできず、炎の一部が店内へと飛び火した。
その小さな炎の一つが、店の片隅に、忘れ去られたように置かれていた、古びた子供用の木馬に、ぽつりと燃え移った。
それは、時也の祖父が、昔、病で子供を亡くした親から、「供養してほしい」と引き取った品だった。
強い念が宿っているわけではない。
あやかしと呼ぶほどの力もない。
ただ、病気の我が子が、いつか元気になって、この木馬で遊んでくれることを願った親の、ささやかで、温かい祈りの記憶の残滓(ざんし)が、微かに宿っているだけ。

だが、浄化の炎に焼かれ、その、あまりに弱く、ささやかな記憶が、断末魔の叫びも上げられずに消滅する、その瞬間。
時也は、その「痛み」を、まるで自分の心臓を抉られるかのように、鮮明に感じ取った。

「――やめろッ! それにだって、物語があったんだ!」

時也は、思わず叫んでいた。
それは、理屈ではなかった。
ただ、魂からの、叫びだった。

その叫びに、咲耶の動きが、初めて、ぴたりと止まった。
彼女の、白と黒だけで構成された、絶対的な正義の世界では、理解ができなかったのだ。
滅するべき「悪」でもなんでもない、ただ、そこに在っただけの、「弱く、ささやかな記憶」が消えることに、なぜこの男が、これほどまでに心を痛めるのか。
それは、彼女が、寂滅会で、真っ先に切り捨てるように、悪として教え込まれてきた、「情」そのものだったからだ。

その、ほんの一瞬の躊躇が、勝敗を分けた。

「――今だ!」

佐伯が、その隙を突き、あらかじめ準備していた防衛の結界術を、声を張り上げて発動させる。
月詠堂全体が、淡い琥珀色の光に包まれ、壁や窓に貼られていた札が、一斉にその力を失い、はらり、はらりと、無力な紙切れとなって剥がれ落ちていった。

「…っ!」

咲耶は、結界に弾かれ、大きく後方に飛び退いた。
彼女は、苦しげに、そして、初めて、当惑の色を浮かべた顔で時也を睨みつけると、「歪みは、必ず、正す…」という言葉を残し、雨の中にその姿を消した。

店は、一時的に守られた。
しかし、時也も、佐伯も、そして、ようやく痛みから解放されたあやかしたちも、理解していた。
彼女は必ず、また来る。
そして時也は、自らの信念を、対話の通じない相手に、どうすれば届けられるのか、という、これまでで最も困難な問いに、向き合うことになるのだった。
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