真夜中のリグレット ~あやかし骨董店と記憶の器~

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第十五話『嵐の前の軍議』

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桐生院咲耶が去った後の月詠堂は、これまでにないほど重苦しい静寂に包まれていた。
佐伯の張った結界が、淡い光で店内を満たし、外からの不穏な気配を遮断している。
札によって苦しめられていたあやかしたちも、ようやく落ち着きを取り戻し、それぞれの場所で静かに身を寄せ合っていた。
しかし、その安堵はどこか薄氷を踏むような危うさをはらんでおり、誰もが次の「嵐」が来ることを予感していた。

「この結界は、あくまで一時しのぎです。」

佐伯の声が、重い空気に響く。
時也は店の奥、帳場に座る佐伯を見つめた。
彼の表情はいつになく険しく、普段の飄々とした雰囲気は微塵も感じられない。

「彼女…寂滅会は、必ずまた来るでしょう。今度は、この結界ごと全てを消し去る、さらに強力な術を用意してくるはずです。」

佐伯の言葉は、月詠堂の面々に改めて現実を突きつける。
逃れる術はない。
正面から向き合うしかないのだ。

◆◇◆

その夜、月詠堂の奥にある大きな座卓を囲んで、時也、佐伯、そして顕現した琥珀、玄翁、白磁の君は向かい合っていた。
それは、さながら戦を前にした「軍議」のようだった。
一番先に口を開いたのは、やはり玄翁だった。
その表情には、まだ怒りの炎が燃え盛っている。

「奴らは我らを、ただ滅するべき害虫と見なしている。ならば、こちらも牙を剥くまでよ!力には、力で対抗する!」

玄翁は、座卓をドン、と叩き、徹底抗戦を主張した。
その目は、迷いなく敵を睨みつけている。
しかし、現実主義者の琥珀は、冷静にその意見を否定した。

「正面からやり合って、あたしたちに勝ち目があるのかい? 相手は、ああいうことの専門家なんだろう? 無策で突っ込んだって、返り討ちにあうだけだよ。」

琥珀は、もっと別のやり方、例えば敵の弱点を探るような、頭を使った戦いをすべきだと主張する。
感情的になる玄翁とは対照的に、彼女は常に最も効率的で合理的な道を模索していた。

そして、これまでこうした議論の場で口を開くことのなかった白磁の君が、か細い、しかしはっきりとした声で呟いた。

「あの人…聞いて、なかった…」

彼女が感じたのは、力の脅威以上に、対話が一切通じない、分厚い壁のような、相手の「確信」だった。
咲耶の瞳に宿っていた、一切の迷いのない絶対的な信念。
それは、何を語りかけても届かない、強固な壁となって白磁の君の心に突き刺さっていたのだ。
皆の意見を聞き終えた佐伯は、静かに、しかし有無を言わさぬ口調で口を開いた。

「琥珀殿の言う通り、力で対抗するのは得策ではない。そして、お嬢ちゃん(白磁の君)の言う通り、対話も通じないでしょう。ですが…」

佐伯は、時也の祖父が、かつて寂滅会の術者と対峙した時の話を語り始めた。
その話は、時也たちが想像もしなかった、意外な結末を秘めていた。

「時也様の祖父は、相手を打ち負かしたのではありません。『思い出させた』のです。」

佐伯の言葉に、時也は首を傾げた。
思い出させる? 
一体何を?

寂滅会の術者は、修行の過程で、自らの俗な感情や過去を切り捨てる。
それは、人間としての情や記憶を否定し、純粋な術の行使者となるための、彼らなりの苛烈な修行なのだと佐伯は言う。
しかし、それは消え去ったわけではない。
心の奥底に、固く固く封じられているだけなのだと。

時也の祖父は、その封じられた記憶を無理やり呼び覚ましたのだという。
相手の術者が幼い頃に大切にしていた「曰く付きの品」を見つけ出し、時也と同じ力を使ってその品に宿る、忘れ去られたはずの、しかし確かに存在した術者の「物語」。
それを突きつけたとき、術者は自らの人間性を取り戻し、戦意を喪失したのだ。

「咲耶という娘も、同じはずです。彼女の心を揺り動かすような、彼女自身の『物語』が宿った品を見つけ出し、それを突きつけることができれば…あるいは。」

佐伯の言葉は、一条の光のようにも、あるいは絶望的な宣告のようにも響いた。
それが唯一の、そして最も困難な道。
咲耶の過去を探り、彼女に縁のある品を見つけ出す。
しかし、どうやって? 
警察でもない、探偵でもない時也たちには、何の手段もない。
万策尽きたかと思われた、その時だった。

時也の脳裏に、一人の男の顔が浮かんだ。

◆◇◆

裏社会の情報に精通し、この世界の人間関係を、独自のネットワークで把握しているであろう男。
そして、寂滅会のような、自らの「ビジネス」の競合相手となりうる組織の動向を、調査していないはずがない男。

時也は、意を決して立ち上がると、帳場の引き出しの奥から、一枚のシンプルな名刺を取り出した。
そこには、スタイリッシュな『A』のロゴと、一本の電話番号だけが記されている。
それは、以前、有栖川玲が、時也を嘲笑うかのように置いていったものだった。

「…時也?」

佐伯が、いぶかしげに彼を見る。他のあやかしたちも、時也の突然の行動に、視線を集中させていた。

時也は、固い決意の表情で、その名刺を握りしめる。
一つの敵を退けるために、別の、最も厄介な敵に、頭を下げなければならない。
その屈辱的な行為は、しかし、月詠堂と、そこに集う「家族」を守るためには、避けては通れない道だった。

「少し…頼み事があるだけです。」

時也はそう言うと、店の黒電話の受話器を取り、震える指で名刺に書かれた番号をゆっくりと回し始めるのだった。
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