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第十六話『悪魔との取引』
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時也は、名刺に記された番号を震える指で回した。
受話器の向こうで何度か無機質なコール音が響いた後、意外なほど早く、落ち着いた男の声が聞こえてきた。
「…有栖川だ。一体、何の用だね。こんな時間に、私にかけるなんて。よほどの緊急事態と見たが?」
その声は、かつて時也を嘲笑し、突き放した有栖川玲のものだった。
冷徹な声音の奥に、わずかな好奇心が混じっているように時也には感じられた。
「有栖川さん…寂滅会について、お伺いしたいことがあります。桐生院咲耶という術者について、何かご存知ですか?」
時也は単刀直入に尋ねた。
回りくどい言い方は、この男には通じないだろうと直感したからだ。
沈黙が数秒続いた後、有栖川は面白そうに鼻で笑った。
「ほう…寂滅会に、桐生院咲耶、か。随分と厄介なものに手を出したものだね、月詠堂の若主人。言っておくが、情報はタダではない。特に、私の手にかかれば、その価値は金銭では測り知れないものとなる。」
時也は喉の奥がひりつくのを感じた。
予想はしていたが、やはりこの男は一筋縄ではいかない。
「代償は…何でもします。月詠堂の、そして僕自身の全てをかけても、大切なものを守りたいんです。」
時也の言葉に、有栖川は再び沈黙した。
今度は先ほどよりも長く、時也は冷や汗が背中を伝うのを感じた。
「面白い…実に面白い。君からそこまでの言葉を引き出すとは、その『大切なもの』とやらも、見かけによらず、よほど重いものらしい。」
有栖川はそう言うと、不意に声を潜めた。
「よかろう。情報を提供しよう。だが、その代償は、私が後日指定する。君が私に、決して逆らえないような…そんな『依頼』を、準備しておこう。それまで、君は私に、一つ大きな借りを作ったということだ。」
「…分かりました。」
時也は迷うことなく答えた。
月詠堂を守るためならば、どんな代償でも払う覚悟だった。
「では、教えて差し上げよう。桐生院咲耶…彼女は、寂滅会の幹部の中でも新参者だが、その実力は折り紙付きだ。特に、彼女が使うのは『呪詛返し』。相手の術を読み解き、それを増幅させて相手に返すという、厄介極まりない能力を持っている。」
有栖川の声は、まるで全てを見透かしているかのように淡々としていた。
「そして…彼女の過去、か。生まれた場所は、東北地方のとある寂れた村。幼い頃に両親を亡くし、寂滅会に引き取られたと聞いている。彼女には、唯一、大切にしていたものがあったはずだ。それは…」
有栖川はそこで一度言葉を区切ると、意味深に囁いた。
「…とある『お守り』だ。」
時也は、その言葉に思わず息を呑んだ。
お守り…それが、咲耶の心を動かす「曰く付きの品」なのだろうか。
「だが、それがどういうものかまでは、私も知らん。そして、その情報はあくまで君への『利子』だ。本命の依頼は、改めて連絡しよう。それまでは…月詠堂が、無事でいることを祈るのだな。」
そう言い残し、有栖川は一方的に電話を切った。
時也は受話器をゆっくりと置いた。
悪魔と取引をしてしまった。
しかし、今は後悔している暇はない。
◆◇◆
翌朝、時也は昨夜の有栖川玲との会話を、佐伯とあやかしたちに打ち明けた。
予想通り、皆の表情は一様に険しくなった。
「有栖川玲だと? 時也、お前は正気か!? あの男は、関われば最後、骨の髄までしゃぶり尽くされるぞ!」
玄翁が憤慨し、卓を叩いた。
琥珀もまた、眉をひそめている。
「あたしも、あの男は信用できないね。何を企んでいるか分からないし、何か裏があるに決まってる。寂滅会だけじゃなくて、今度は有栖川玲にも目をつけられるなんて…」
あやかしたちは、それぞれの不安と不満を口にした。
しかし、佐伯は静かに皆の話を聞いていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「皆の言う通り、有栖川玲は危険な男だ。彼に借りを作るのは、確かに愚策と言えるだろう。しかし…」
佐伯は時也の目を見据えた。
「現状、我々に他に打つ手があるのか? 寂滅会という強大な敵に対し、我々だけでは対抗しきれないことは、先日の襲撃で明らかになった。彼がどんな目的で動いているにせよ、今、我々が最も必要としている『情報』を持っているのは、彼だけだ。」
佐伯の言葉に、あやかしたちは押し黙った。
誰も反論できない。
それは、皆が心の奥底で感じていた現実だった。
「時也様、あなたが下した決断を、私がとやかく言うつもりはありません。ですが、一つだけ覚えておきなさい。有栖川玲は、決して我々の味方ではない。彼の言葉を鵜呑みにせず、常に裏を読み、警戒を怠ってはならない。」
佐伯はそう忠告すると、時也に有栖川玲から得た情報について尋ねた。
「桐生院咲耶…東北の寂れた村出身、幼い頃に両親を亡くし、寂滅会に引き取られた。そして、大切にしていた『お守り』…」
時也が有栖川玲から聞いた情報を伝えると、佐伯は顎に手を当てて考え込んだ。
「なるほど…『お守り』か。それが本当に、彼女の封じられた記憶を呼び覚ます鍵となる品ならば、我々はそのお守りを手に入れる必要がある。まずは、その村について調べてみましょう。有栖川玲からの情報が、どこまで真実なのかも、我々自身で確認せねばなりますまい。」
佐伯の言葉に、時也は深く頷いた。
悪魔との取引は始まったばかりだ。
しかし、一歩ずつでも前に進むしかない。
月詠堂と、そこに集う大切な家族を守るために。
受話器の向こうで何度か無機質なコール音が響いた後、意外なほど早く、落ち着いた男の声が聞こえてきた。
「…有栖川だ。一体、何の用だね。こんな時間に、私にかけるなんて。よほどの緊急事態と見たが?」
その声は、かつて時也を嘲笑し、突き放した有栖川玲のものだった。
冷徹な声音の奥に、わずかな好奇心が混じっているように時也には感じられた。
「有栖川さん…寂滅会について、お伺いしたいことがあります。桐生院咲耶という術者について、何かご存知ですか?」
時也は単刀直入に尋ねた。
回りくどい言い方は、この男には通じないだろうと直感したからだ。
沈黙が数秒続いた後、有栖川は面白そうに鼻で笑った。
「ほう…寂滅会に、桐生院咲耶、か。随分と厄介なものに手を出したものだね、月詠堂の若主人。言っておくが、情報はタダではない。特に、私の手にかかれば、その価値は金銭では測り知れないものとなる。」
時也は喉の奥がひりつくのを感じた。
予想はしていたが、やはりこの男は一筋縄ではいかない。
「代償は…何でもします。月詠堂の、そして僕自身の全てをかけても、大切なものを守りたいんです。」
時也の言葉に、有栖川は再び沈黙した。
今度は先ほどよりも長く、時也は冷や汗が背中を伝うのを感じた。
「面白い…実に面白い。君からそこまでの言葉を引き出すとは、その『大切なもの』とやらも、見かけによらず、よほど重いものらしい。」
有栖川はそう言うと、不意に声を潜めた。
「よかろう。情報を提供しよう。だが、その代償は、私が後日指定する。君が私に、決して逆らえないような…そんな『依頼』を、準備しておこう。それまで、君は私に、一つ大きな借りを作ったということだ。」
「…分かりました。」
時也は迷うことなく答えた。
月詠堂を守るためならば、どんな代償でも払う覚悟だった。
「では、教えて差し上げよう。桐生院咲耶…彼女は、寂滅会の幹部の中でも新参者だが、その実力は折り紙付きだ。特に、彼女が使うのは『呪詛返し』。相手の術を読み解き、それを増幅させて相手に返すという、厄介極まりない能力を持っている。」
有栖川の声は、まるで全てを見透かしているかのように淡々としていた。
「そして…彼女の過去、か。生まれた場所は、東北地方のとある寂れた村。幼い頃に両親を亡くし、寂滅会に引き取られたと聞いている。彼女には、唯一、大切にしていたものがあったはずだ。それは…」
有栖川はそこで一度言葉を区切ると、意味深に囁いた。
「…とある『お守り』だ。」
時也は、その言葉に思わず息を呑んだ。
お守り…それが、咲耶の心を動かす「曰く付きの品」なのだろうか。
「だが、それがどういうものかまでは、私も知らん。そして、その情報はあくまで君への『利子』だ。本命の依頼は、改めて連絡しよう。それまでは…月詠堂が、無事でいることを祈るのだな。」
そう言い残し、有栖川は一方的に電話を切った。
時也は受話器をゆっくりと置いた。
悪魔と取引をしてしまった。
しかし、今は後悔している暇はない。
◆◇◆
翌朝、時也は昨夜の有栖川玲との会話を、佐伯とあやかしたちに打ち明けた。
予想通り、皆の表情は一様に険しくなった。
「有栖川玲だと? 時也、お前は正気か!? あの男は、関われば最後、骨の髄までしゃぶり尽くされるぞ!」
玄翁が憤慨し、卓を叩いた。
琥珀もまた、眉をひそめている。
「あたしも、あの男は信用できないね。何を企んでいるか分からないし、何か裏があるに決まってる。寂滅会だけじゃなくて、今度は有栖川玲にも目をつけられるなんて…」
あやかしたちは、それぞれの不安と不満を口にした。
しかし、佐伯は静かに皆の話を聞いていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「皆の言う通り、有栖川玲は危険な男だ。彼に借りを作るのは、確かに愚策と言えるだろう。しかし…」
佐伯は時也の目を見据えた。
「現状、我々に他に打つ手があるのか? 寂滅会という強大な敵に対し、我々だけでは対抗しきれないことは、先日の襲撃で明らかになった。彼がどんな目的で動いているにせよ、今、我々が最も必要としている『情報』を持っているのは、彼だけだ。」
佐伯の言葉に、あやかしたちは押し黙った。
誰も反論できない。
それは、皆が心の奥底で感じていた現実だった。
「時也様、あなたが下した決断を、私がとやかく言うつもりはありません。ですが、一つだけ覚えておきなさい。有栖川玲は、決して我々の味方ではない。彼の言葉を鵜呑みにせず、常に裏を読み、警戒を怠ってはならない。」
佐伯はそう忠告すると、時也に有栖川玲から得た情報について尋ねた。
「桐生院咲耶…東北の寂れた村出身、幼い頃に両親を亡くし、寂滅会に引き取られた。そして、大切にしていた『お守り』…」
時也が有栖川玲から聞いた情報を伝えると、佐伯は顎に手を当てて考え込んだ。
「なるほど…『お守り』か。それが本当に、彼女の封じられた記憶を呼び覚ます鍵となる品ならば、我々はそのお守りを手に入れる必要がある。まずは、その村について調べてみましょう。有栖川玲からの情報が、どこまで真実なのかも、我々自身で確認せねばなりますまい。」
佐伯の言葉に、時也は深く頷いた。
悪魔との取引は始まったばかりだ。
しかし、一歩ずつでも前に進むしかない。
月詠堂と、そこに集う大切な家族を守るために。
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