21 / 25
第二十一話『回帰』
しおりを挟む
月詠堂は、沈黙していた。
風が通り抜けるたび、焼け焦げた木材がぱきりと音を立てる。
かつて陳列されていた硝子棚は瓦礫の下に沈み、徳利も壺も、全てが土に還ろうとしていた。
月詠時也は、ひとり静かに崩れた玄関の前に立っていた。
(この場所で、何人の声を聞いたんだろう)
(どれほどの“後悔”を受け取り、どれだけの“記憶”を昇華してきたのか)
焦げ跡に立ち尽くす彼の肩に、ふわりと何かが触れた。
「……時也」
琥珀だった。
いつものように煙管を唇に咥えたまま、けれどその表情は曇っていた。
「全部、やられたわね」
「ああ」
「燃やされたの? それとも、崩されたの?」
「両方だろうな」
時也は短く返すと、ゆっくりと店内へ足を踏み入れた。
木屑が舞い上がり、すすけた空気が肺を刺す。
足元に、白磁の破片が転がっていた。
白磁の君が、いつも抱えていた徳利だ。
(……すまない)
「こっちよ」
琥珀が低く声をかける。
裏手の壁際に、白磁の君がちょこんと座っていた。
真っ白な小袖は土で薄黒くなり、顔にも煤がついている。
それでも彼女は、静かに微笑んだ。
「……たいじょぶ」
時也が近づこうとすると、彼女は首を横に振った。
「……咲耶さん……の、ところ、行かなきゃ……」
その声はかすれていたが、確かな意志が宿っていた。
◆◇◆
月詠堂の奥、封印された地下室が崩壊の衝撃で半壊していた。
けれど、そこにあった“記録の箱”だけは、奇跡的に無事だった。
時也はその箱を開き、古びた帳面を一冊一冊読み返していた。
「……これだ」
声が漏れた。
一冊の帳面に、祖父・月詠弦一の文字でこう記されていた。
『記憶の器は、心を“受け入れる場所”であるべし。
受け取る覚悟なき者に、それを扱う資格はない。』
『心を喰らう者に立ち向かうには、理屈ではなく、選び取る意志が必要だ』
「……これは」
琥珀が覗き込んでくる。
「お祖父様は、“記憶を保存する”だけじゃなく、“心を宿す器”を造ろうとしていた」
「白磁の君、ってこと?」
「きっと、そうだ。……でも、まだ未完成だった。
あの子は、“記憶の器”として目覚めきってない」
「じゃあ、起こしてあげなきゃね。咲耶を、救うためにも」
琥珀の声に、時也は頷いた。
◆◇◆
その夜、避難先としていた廃倉庫にて。
白磁の君は、時也の傍に座っていた。
膝を抱え、静かに月を見上げている。
「……とりもどす、の?」
「もちろん」
「咲耶……さん、も?」
「……ああ」
時也は静かに答えた。
「咲耶さんは、あの時……本当は、助けを求めてたんだ。
けれど、自分ではそれに気づけなかった」
「ひとり、で……いた」
「そう。……だから、今度は、ひとりにはさせない」
白磁の君は、月を見つめたままぽつりと呟く。
「……おんなじ、だね」
「え?」
「わたしも、ひとり、だったから」
時也は言葉を失った。
火事の夜、瓦礫の下から身を起こし、彼の羽織の裾を握っていたあの手の震えが、今も脳裏に焼き付いている。
(“記憶の器”にとって、咲耶は……)
「行こう」
彼は立ち上がる。
「咲耶さんを救うために」
白磁の君が、そっと彼の手を取る。
「……いっしょに、行く」
小さな掌が、確かにそこにあった。
◆◇◆
翌朝、月詠堂に仮設の結界が張られた。
玄翁が呪符を打ち込み、琥珀があやかしの気配を薄める。
「これで、三日は持つわ。あとは咲耶を連れ戻すだけね」
「玄翁、頼めるか」
時也の言葉に、老人は腕を組んで唸った。
「ワシに通れる道なら、通してやらんこともない。……ただし」
「ただし?」
「今度のことは、“覚悟”がいるぞ。助けるだけじゃ足りん。
その子を抱えて、生きる覚悟がな」
時也は、深く頷いた。
「わかってます。俺は、咲耶さんを“ここに”連れて帰る。それだけです」
「……なら、行け」
玄翁は短くそう言うと、肩に槌を担ぎ上げた。
琥珀がふっと笑う。
「よく言った。あたし、あんたのそういうところ、ちょっと好きよ」
「……ちょっとでいいです」
「ちょっとでいいの」
白磁の君が、懐から小さな鈴を取り出す。
「この子も、つれてく」
それは、あの日拾われた、あやかしの“記憶”を封じた鈴。
今は、咲耶のものか、白磁の君のものか、それすらもう、区別はない。
ただひとつ、確かなこと。
――彼女たちは、帰る場所を求めている。
その場所を、守るのが時也の役目だった。
風が通り抜けるたび、焼け焦げた木材がぱきりと音を立てる。
かつて陳列されていた硝子棚は瓦礫の下に沈み、徳利も壺も、全てが土に還ろうとしていた。
月詠時也は、ひとり静かに崩れた玄関の前に立っていた。
(この場所で、何人の声を聞いたんだろう)
(どれほどの“後悔”を受け取り、どれだけの“記憶”を昇華してきたのか)
焦げ跡に立ち尽くす彼の肩に、ふわりと何かが触れた。
「……時也」
琥珀だった。
いつものように煙管を唇に咥えたまま、けれどその表情は曇っていた。
「全部、やられたわね」
「ああ」
「燃やされたの? それとも、崩されたの?」
「両方だろうな」
時也は短く返すと、ゆっくりと店内へ足を踏み入れた。
木屑が舞い上がり、すすけた空気が肺を刺す。
足元に、白磁の破片が転がっていた。
白磁の君が、いつも抱えていた徳利だ。
(……すまない)
「こっちよ」
琥珀が低く声をかける。
裏手の壁際に、白磁の君がちょこんと座っていた。
真っ白な小袖は土で薄黒くなり、顔にも煤がついている。
それでも彼女は、静かに微笑んだ。
「……たいじょぶ」
時也が近づこうとすると、彼女は首を横に振った。
「……咲耶さん……の、ところ、行かなきゃ……」
その声はかすれていたが、確かな意志が宿っていた。
◆◇◆
月詠堂の奥、封印された地下室が崩壊の衝撃で半壊していた。
けれど、そこにあった“記録の箱”だけは、奇跡的に無事だった。
時也はその箱を開き、古びた帳面を一冊一冊読み返していた。
「……これだ」
声が漏れた。
一冊の帳面に、祖父・月詠弦一の文字でこう記されていた。
『記憶の器は、心を“受け入れる場所”であるべし。
受け取る覚悟なき者に、それを扱う資格はない。』
『心を喰らう者に立ち向かうには、理屈ではなく、選び取る意志が必要だ』
「……これは」
琥珀が覗き込んでくる。
「お祖父様は、“記憶を保存する”だけじゃなく、“心を宿す器”を造ろうとしていた」
「白磁の君、ってこと?」
「きっと、そうだ。……でも、まだ未完成だった。
あの子は、“記憶の器”として目覚めきってない」
「じゃあ、起こしてあげなきゃね。咲耶を、救うためにも」
琥珀の声に、時也は頷いた。
◆◇◆
その夜、避難先としていた廃倉庫にて。
白磁の君は、時也の傍に座っていた。
膝を抱え、静かに月を見上げている。
「……とりもどす、の?」
「もちろん」
「咲耶……さん、も?」
「……ああ」
時也は静かに答えた。
「咲耶さんは、あの時……本当は、助けを求めてたんだ。
けれど、自分ではそれに気づけなかった」
「ひとり、で……いた」
「そう。……だから、今度は、ひとりにはさせない」
白磁の君は、月を見つめたままぽつりと呟く。
「……おんなじ、だね」
「え?」
「わたしも、ひとり、だったから」
時也は言葉を失った。
火事の夜、瓦礫の下から身を起こし、彼の羽織の裾を握っていたあの手の震えが、今も脳裏に焼き付いている。
(“記憶の器”にとって、咲耶は……)
「行こう」
彼は立ち上がる。
「咲耶さんを救うために」
白磁の君が、そっと彼の手を取る。
「……いっしょに、行く」
小さな掌が、確かにそこにあった。
◆◇◆
翌朝、月詠堂に仮設の結界が張られた。
玄翁が呪符を打ち込み、琥珀があやかしの気配を薄める。
「これで、三日は持つわ。あとは咲耶を連れ戻すだけね」
「玄翁、頼めるか」
時也の言葉に、老人は腕を組んで唸った。
「ワシに通れる道なら、通してやらんこともない。……ただし」
「ただし?」
「今度のことは、“覚悟”がいるぞ。助けるだけじゃ足りん。
その子を抱えて、生きる覚悟がな」
時也は、深く頷いた。
「わかってます。俺は、咲耶さんを“ここに”連れて帰る。それだけです」
「……なら、行け」
玄翁は短くそう言うと、肩に槌を担ぎ上げた。
琥珀がふっと笑う。
「よく言った。あたし、あんたのそういうところ、ちょっと好きよ」
「……ちょっとでいいです」
「ちょっとでいいの」
白磁の君が、懐から小さな鈴を取り出す。
「この子も、つれてく」
それは、あの日拾われた、あやかしの“記憶”を封じた鈴。
今は、咲耶のものか、白磁の君のものか、それすらもう、区別はない。
ただひとつ、確かなこと。
――彼女たちは、帰る場所を求めている。
その場所を、守るのが時也の役目だった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
人間嫌いの狐王に、契約妻として嫁いだら溺愛が止まりません
由香
ファンタジー
人間嫌いで知られる狐族の王・玄耀に、“契約上の妻”として嫁いだ少女・紗夜。
「感情は不要。契約が終われば離縁だ」
そう告げられたはずなのに、共に暮らすうち、冷酷な王は彼女だけに甘さを隠さなくなっていく。
やがて結ばれる“番”の契約、そして王妃宣言――。
契約結婚から始まる、人外王の溺愛が止まらない和風あやかし恋愛譚。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
【完結】あやかし団地 管理人見習い日誌
双月ねむる
キャラ文芸
就活全滅で「自分には社会性がない」と思い込む凛は、遠縁の親戚に紹介され、昭和レトロな巨大団地・さくらヶ丘第一団地の『管理人見習い』として住み込みで働くことに。しかしその団地には、中庭の「靴鳴らし」、エレベーター表示盤に棲む狐など、団地限定あやかし達が当たり前のように暮らしていた。
最初は逃げ腰の凛だったが、すねた空き部屋や、ベランダの風鈴が告げるSOSなど、人とあやかしのトラブルに巻き込まれながら、少しずつ『共同体』に関わる勇気を取り戻していく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる