真夜中のリグレット ~あやかし骨董店と記憶の器~

naomikoryo

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第二十一話『回帰』

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月詠堂は、沈黙していた。

風が通り抜けるたび、焼け焦げた木材がぱきりと音を立てる。

かつて陳列されていた硝子棚は瓦礫の下に沈み、徳利も壺も、全てが土に還ろうとしていた。

月詠時也は、ひとり静かに崩れた玄関の前に立っていた。

(この場所で、何人の声を聞いたんだろう)

(どれほどの“後悔”を受け取り、どれだけの“記憶”を昇華してきたのか)

焦げ跡に立ち尽くす彼の肩に、ふわりと何かが触れた。

「……時也」

琥珀だった。

いつものように煙管を唇に咥えたまま、けれどその表情は曇っていた。

「全部、やられたわね」

「ああ」

「燃やされたの? それとも、崩されたの?」

「両方だろうな」

時也は短く返すと、ゆっくりと店内へ足を踏み入れた。

木屑が舞い上がり、すすけた空気が肺を刺す。

足元に、白磁の破片が転がっていた。

白磁の君が、いつも抱えていた徳利だ。

(……すまない)

「こっちよ」

琥珀が低く声をかける。

裏手の壁際に、白磁の君がちょこんと座っていた。

真っ白な小袖は土で薄黒くなり、顔にも煤がついている。

それでも彼女は、静かに微笑んだ。

「……たいじょぶ」

時也が近づこうとすると、彼女は首を横に振った。

「……咲耶さん……の、ところ、行かなきゃ……」

その声はかすれていたが、確かな意志が宿っていた。

◆◇◆

月詠堂の奥、封印された地下室が崩壊の衝撃で半壊していた。

けれど、そこにあった“記録の箱”だけは、奇跡的に無事だった。

時也はその箱を開き、古びた帳面を一冊一冊読み返していた。

「……これだ」

声が漏れた。

一冊の帳面に、祖父・月詠弦一の文字でこう記されていた。

『記憶の器は、心を“受け入れる場所”であるべし。
 受け取る覚悟なき者に、それを扱う資格はない。』

『心を喰らう者に立ち向かうには、理屈ではなく、選び取る意志が必要だ』

「……これは」

琥珀が覗き込んでくる。

「お祖父様は、“記憶を保存する”だけじゃなく、“心を宿す器”を造ろうとしていた」

「白磁の君、ってこと?」

「きっと、そうだ。……でも、まだ未完成だった。
 あの子は、“記憶の器”として目覚めきってない」

「じゃあ、起こしてあげなきゃね。咲耶を、救うためにも」

琥珀の声に、時也は頷いた。

◆◇◆

その夜、避難先としていた廃倉庫にて。

白磁の君は、時也の傍に座っていた。

膝を抱え、静かに月を見上げている。

「……とりもどす、の?」

「もちろん」

「咲耶……さん、も?」

「……ああ」

時也は静かに答えた。

「咲耶さんは、あの時……本当は、助けを求めてたんだ。
 けれど、自分ではそれに気づけなかった」

「ひとり、で……いた」

「そう。……だから、今度は、ひとりにはさせない」

白磁の君は、月を見つめたままぽつりと呟く。

「……おんなじ、だね」

「え?」

「わたしも、ひとり、だったから」

時也は言葉を失った。

火事の夜、瓦礫の下から身を起こし、彼の羽織の裾を握っていたあの手の震えが、今も脳裏に焼き付いている。

(“記憶の器”にとって、咲耶は……)

「行こう」

彼は立ち上がる。

「咲耶さんを救うために」

白磁の君が、そっと彼の手を取る。

「……いっしょに、行く」

小さな掌が、確かにそこにあった。

◆◇◆

翌朝、月詠堂に仮設の結界が張られた。

玄翁が呪符を打ち込み、琥珀があやかしの気配を薄める。

「これで、三日は持つわ。あとは咲耶を連れ戻すだけね」

「玄翁、頼めるか」

時也の言葉に、老人は腕を組んで唸った。

「ワシに通れる道なら、通してやらんこともない。……ただし」

「ただし?」

「今度のことは、“覚悟”がいるぞ。助けるだけじゃ足りん。
 その子を抱えて、生きる覚悟がな」

時也は、深く頷いた。

「わかってます。俺は、咲耶さんを“ここに”連れて帰る。それだけです」

「……なら、行け」

玄翁は短くそう言うと、肩に槌を担ぎ上げた。

琥珀がふっと笑う。

「よく言った。あたし、あんたのそういうところ、ちょっと好きよ」

「……ちょっとでいいです」

「ちょっとでいいの」

白磁の君が、懐から小さな鈴を取り出す。

「この子も、つれてく」

それは、あの日拾われた、あやかしの“記憶”を封じた鈴。

今は、咲耶のものか、白磁の君のものか、それすらもう、区別はない。

ただひとつ、確かなこと。

――彼女たちは、帰る場所を求めている。

その場所を、守るのが時也の役目だった。
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