真夜中のリグレット ~あやかし骨董店と記憶の器~

naomikoryo

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第二十二話『傷ついた刃』

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地下は、静かだった。

空気が澱み、音という音が吸い込まれていく。

咲耶は、石の床に膝をついたまま、動かなかった。

両手は背後で封じられ、額には冷たい符が貼りつけられている。

それでも、彼女は目を閉じなかった。

(……見ないと)

(見て、聞いて、受け入れないと)

それが、寂滅会で生き残るための術だった。

「……始めろ」

低い声が響く。

白装束の術者たちが、半円を描くように並んだ。

彼らの視線は、まるで“物”を見るようだった。

「桐生院咲耶」

名を呼ばれただけで、胸がきしむ。

「お前は、教義に背いた」

「記憶に惑わされ、穢れを受け入れた」

「結果、仲間を危険に晒し、組織を裏切った」

言葉は淡々としていた。

だが、その一語一語が刃だった。

「……違う」

咲耶の喉から、かすれた声が漏れる。

「私は……」

「黙れ」

即座に遮断される。

「お前に弁明の資格はない」

「感情に流された時点で、失敗作だ」

「そもそも、人の情などというものに価値はない」

視線が、彼女の胸元へと突き刺さる。

「お前は、なぜ苦しい?」

「なぜ、混乱している?」

「答えろ」

咲耶は、唇を噛みしめた。

(苦しいのは……)

(混乱しているのは……)

頭に浮かぶのは、月詠堂の灯りだった。

静かな店内。

あやかしたちの声。

あの男の、まっすぐな目。

「……記憶が……戻ったから……」

言った瞬間、空気が凍る。

術者の一人が、はっきりと嘲笑した。

「やはりな」

「記憶は穢れだ」

「過去に縋る弱者の逃避だ」

「お前は、それに溺れた」

次の言葉は、さらに残酷だった。

「哀れだな、桐生院咲耶」

「自分が選ばれた存在だと思っていたか?」

「違う」

「お前は、壊れやすかったから、ここに拾われただけだ」

その言葉が、胸の奥で何かを砕いた。

(……そうだ)

(私は……弱かった)

「記憶を与えられて、揺らいだ」

「感情を思い出して、苦しんだ」

「それが、答えだ」

術者たちの声が重なる。

「お前は未熟だった」

「だから、処分される」

「浄滅か、再構築か」

「どちらがいい?」

選択肢ですらない。

咲耶は、ゆっくりと俯いた。

(私は……)

(間違っていた)

(最初から……ここにいる資格なんて……)

声が、内側で繰り返される。

(私が、弱かった)

(私が、裏切った)

(私が、望んでしまった)

「……私が……悪い……」

ぽつりと零れた言葉に、術者たちは満足そうに頷いた。

「理解が早い」

「ならば、次だ」

「お前自身の口で、否定しろ」

「己の存在を」

咲耶の肩が、わずかに震えた。

◆◇◆

同じ頃。

月詠堂跡から離れた仮の拠点で、時也は帳面を閉じていた。

祖父の文字が、胸に重く残っている。

『救うとは、相手の“正しさ”を肯定することではない』
『選ぶとは、理屈を捨てることだ』

(理屈を捨てる……)

時也は、手を見つめた。

これまで彼は、言葉で記憶を解き、納得させ、鎮めてきた。

それが彼のやり方だった。

けれど――

(咲耶さんには……それじゃ足りない)

頭に浮かぶのは、彼女の目だった。

冷たく、鋭く、けれど奥に怯えを抱えた目。

あれは、救いを拒んでいる目ではない。

(あれは……自分を罰してる目だ)

「……時也」

琥珀が声をかける。

「顔、良くないわよ」

「考えてたんです」

「なにを?」

「俺が、間違えてないか」

琥珀は一瞬、目を細めた。

「珍しいわね。自信満々の若旦那が」

「自信なんて、最初からないですよ」

時也は苦く笑った。

「ただ……助けるって言葉が、時々、暴力になる気がして」

琥珀は、煙管を置いた。

「……あの子、相当追い込まれてるわね」

「ええ」

「説得したら、壊れる」

「……はい」

「じゃあさ」

琥珀は、じっと時也を見た。

「“助ける”の、やめなさい」

その言葉に、時也は息を呑む。

「代わりに――“選びなさい”」

「選ぶ……」

「そう」

琥珀は静かに続けた。

「正しいかどうかじゃない。救われるべきかどうかでもない」

「ただ、“一緒にいる”って決めるの」

時也は、何も言えなかった。

(それは……)

(俺に、できるのか……?)

◆◇◆

地下施設では、咲耶がまだ俯いていた。

「言え」

「己を否定しろ」

「ここにいる価値がないと、宣言しろ」

咲耶の唇が、震える。

喉が詰まり、息が苦しい。

それでも、彼女は口を開いた。

「……私は……」

声が、途切れる。

頭の中に、声がよぎる。

『あなたは、ここにいていい』

あの時、聞いた言葉。

(……だめ)

(そんなこと、思っちゃだめ)

「……私は……」

「続けろ」

術者の声が迫る。

「私は……」

(私は……)

(……私は……)

言葉が、出てこない。

代わりに、涙が落ちた。

床に、小さな水音が響く。

「……弱いな」

誰かが吐き捨てる。

「だから、失敗作なんだ」

咲耶は、歯を食いしばった。

(私は……)

(私は……)

その答えは、まだ、形にならなかった。
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