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第二十三話『否定される祈り』
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誰も、彼女の名を呼ばなかった。
「桐生院咲耶」という名は、すでに失われつつあった。
術者たちは、無機質な声で番号を呼び、命令を下し、感情を排除する。
「被処理対象、応答せよ」
咲耶はただ、俯いていた。
もはや涙も出なかった。
(私は……番号でいい)
(名前を呼ばれたところで、何も戻らない)
記憶が戻るたびに、自分の手が血に染まっていた気がした。
寂滅会にいた時も。
あやかしたちといた時も。
(結局、私は……どちらにもなれなかった)
「――人格再構築処理を進行する」
術者たちのひとりが、咲耶の額の符を指先でなぞった。
途端に、頭の奥に鋭い痛みが走る。
記憶の層が、引きはがされる。
ひとつ、またひとつ。
あやかしの声。
月詠堂の空気。
白磁の君の、小さな手。
すべてが、薄紙のように剥ぎ取られていく。
「抵抗するな」
「お前に抗う資格はない」
「汚れた過去を消し、正しい器に戻れ」
咲耶の唇が、かすかに動いた。
「……戻らない」
「なんだ?」
「戻らない……誰が……私を……戻せるの……?」
ふと、室内の空気が変わった。
術者たちが顔をしかめる。
ひとりが、冷笑するように答えた。
「愚問だな」
「お前の意志など、最初から不要」
「救済とは、正しさの上にあるべきだ」
咲耶は、ふらりと身体を揺らした。
(正しさ……)
(そんなもののために、私はここまで来たのか……)
「――不要なのは、お前の“選択”だ」
「我らが選ぶ。お前は従う。それで世界は正常に戻る」
その瞬間、彼女の中で何かがプツンと切れた。
「……選ばれるばかりの人生だった」
低く、かすれた声。
「誰かに拾われて……誰かに使われて……捨てられて……」
「黙れ」
「お前の言葉に意味はない」
「私が、何を感じたか……それすらも、否定するのか」
目を開けた咲耶の瞳に、光が戻っていた。
けれど、それは怒りでも、希望でもなかった。
ただ、空虚だった。
「だったら、いっそ……全部、壊してよ」
術者たちが一瞬、戸惑いの表情を見せた。
咲耶は、微かに笑っていた。
「私は、“空っぽ”の器でしょ」
「だったら、中身なんて、どうでもいいじゃない」
その声は、どこか祈るようでもあった。
けれどその祈りは、届くべき場所を持たなかった。
◆◇◆
月詠堂の仮拠点では、時也が帳面を閉じていた。
その手は、わずかに震えている。
玄翁が近づく。
「まだ迷うておるのか」
「……迷ってるというより、思い知らされたんです」
「なにをじゃ」
「自分が、言葉に頼りすぎていたことを」
祖父の帳面に書かれていた言葉が、脳裏をよぎる。
『言葉は、心を伝える手段にすぎない。
だが、時にそれは“壁”になる』
「咲耶さんは、自分を責めてる」
「その原因を取り除くことができたとしても……彼女の“思い”を、止めることはできない」
玄翁は無言でうなずいた。
「ならば、どうする」
「彼女の思考を壊してでも、救うのか?」
「違う」
時也はゆっくりと首を振った。
「俺がすべきなのは、“救うこと”じゃない」
「じゃあ、なんじゃ?」
「――“彼女を選ぶ”ことです」
その言葉に、琥珀が目を細めた。
「へぇ、ようやく分かったのね」
「正しいかどうかじゃない。必要かどうかでもない。
ただ“彼女をここに連れ戻したい”って思う。それだけで、いいんでしょ?」
琥珀はうん、と頷いた。
「ようやくあんたも“あたしたち側”になったわけだ」
「ようこそ、馬鹿で不器用な、情の塊へ」
白磁の君が、時也の袖を引いた。
「……行こう」
彼女の瞳もまた、覚悟を宿していた。
◆◇◆
地下室では、儀式の最終段階が始まろうとしていた。
封印の紋が床に刻まれ、咲耶の身体に淡い光が浮かび上がる。
術者たちが詠唱を開始する。
咲耶はもう、何も言わなかった。
声を出しても、意味はないと知っていた。
ただひとつ、心の奥で、小さく呟いた。
(……もし、もう一度……)
(もし、あの灯りの下に、戻れるなら……)
(私は……)
その祈りが、誰にも届かないことを、彼女はもう理解していた。
だから、その涙は静かに零れ落ちた。
「桐生院咲耶」という名は、すでに失われつつあった。
術者たちは、無機質な声で番号を呼び、命令を下し、感情を排除する。
「被処理対象、応答せよ」
咲耶はただ、俯いていた。
もはや涙も出なかった。
(私は……番号でいい)
(名前を呼ばれたところで、何も戻らない)
記憶が戻るたびに、自分の手が血に染まっていた気がした。
寂滅会にいた時も。
あやかしたちといた時も。
(結局、私は……どちらにもなれなかった)
「――人格再構築処理を進行する」
術者たちのひとりが、咲耶の額の符を指先でなぞった。
途端に、頭の奥に鋭い痛みが走る。
記憶の層が、引きはがされる。
ひとつ、またひとつ。
あやかしの声。
月詠堂の空気。
白磁の君の、小さな手。
すべてが、薄紙のように剥ぎ取られていく。
「抵抗するな」
「お前に抗う資格はない」
「汚れた過去を消し、正しい器に戻れ」
咲耶の唇が、かすかに動いた。
「……戻らない」
「なんだ?」
「戻らない……誰が……私を……戻せるの……?」
ふと、室内の空気が変わった。
術者たちが顔をしかめる。
ひとりが、冷笑するように答えた。
「愚問だな」
「お前の意志など、最初から不要」
「救済とは、正しさの上にあるべきだ」
咲耶は、ふらりと身体を揺らした。
(正しさ……)
(そんなもののために、私はここまで来たのか……)
「――不要なのは、お前の“選択”だ」
「我らが選ぶ。お前は従う。それで世界は正常に戻る」
その瞬間、彼女の中で何かがプツンと切れた。
「……選ばれるばかりの人生だった」
低く、かすれた声。
「誰かに拾われて……誰かに使われて……捨てられて……」
「黙れ」
「お前の言葉に意味はない」
「私が、何を感じたか……それすらも、否定するのか」
目を開けた咲耶の瞳に、光が戻っていた。
けれど、それは怒りでも、希望でもなかった。
ただ、空虚だった。
「だったら、いっそ……全部、壊してよ」
術者たちが一瞬、戸惑いの表情を見せた。
咲耶は、微かに笑っていた。
「私は、“空っぽ”の器でしょ」
「だったら、中身なんて、どうでもいいじゃない」
その声は、どこか祈るようでもあった。
けれどその祈りは、届くべき場所を持たなかった。
◆◇◆
月詠堂の仮拠点では、時也が帳面を閉じていた。
その手は、わずかに震えている。
玄翁が近づく。
「まだ迷うておるのか」
「……迷ってるというより、思い知らされたんです」
「なにをじゃ」
「自分が、言葉に頼りすぎていたことを」
祖父の帳面に書かれていた言葉が、脳裏をよぎる。
『言葉は、心を伝える手段にすぎない。
だが、時にそれは“壁”になる』
「咲耶さんは、自分を責めてる」
「その原因を取り除くことができたとしても……彼女の“思い”を、止めることはできない」
玄翁は無言でうなずいた。
「ならば、どうする」
「彼女の思考を壊してでも、救うのか?」
「違う」
時也はゆっくりと首を振った。
「俺がすべきなのは、“救うこと”じゃない」
「じゃあ、なんじゃ?」
「――“彼女を選ぶ”ことです」
その言葉に、琥珀が目を細めた。
「へぇ、ようやく分かったのね」
「正しいかどうかじゃない。必要かどうかでもない。
ただ“彼女をここに連れ戻したい”って思う。それだけで、いいんでしょ?」
琥珀はうん、と頷いた。
「ようやくあんたも“あたしたち側”になったわけだ」
「ようこそ、馬鹿で不器用な、情の塊へ」
白磁の君が、時也の袖を引いた。
「……行こう」
彼女の瞳もまた、覚悟を宿していた。
◆◇◆
地下室では、儀式の最終段階が始まろうとしていた。
封印の紋が床に刻まれ、咲耶の身体に淡い光が浮かび上がる。
術者たちが詠唱を開始する。
咲耶はもう、何も言わなかった。
声を出しても、意味はないと知っていた。
ただひとつ、心の奥で、小さく呟いた。
(……もし、もう一度……)
(もし、あの灯りの下に、戻れるなら……)
(私は……)
その祈りが、誰にも届かないことを、彼女はもう理解していた。
だから、その涙は静かに零れ落ちた。
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