真夜中のリグレット ~あやかし骨董店と記憶の器~

naomikoryo

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第二十五話『真夜中のリグレット』

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その瞬間、世界が止まった。

咲耶の目の前に立つ、月詠時也。

彼の瞳には、怒りも、焦りもなかった。

ただ、迷いなき意志だけが宿っていた。

「……やめてって、言ったのに……」

咲耶が絞るように言葉を吐いた。

震える声。

震える心。

「どうして、来るの……」

「どうして、私を選ぶの……!」

「私は……っ、あんたに罵声しか浴びせなかった……!」

「寂滅会のやり方にしがみついて、あんたの大切な場所を……全部……」

彼女の声が、潰れる。

喉が詰まり、言葉が音にならない。

術者たちは、もう何もできずに沈黙していた。

ただ、その場にいた誰もが、咲耶の叫びに胸を抉られていた。

そして、時也は――一言も返さなかった。

咲耶の前に立ち、両肩を抱くでもなく、ただ見つめた。

「……なによ……」

咲耶が呟いた。

「黙って……見てるだけで、何が伝わるっていうの……」

「言葉もないくせに……私を救おうなんて……」

「無理よ……!」

「私はもう……」

その唇を、時也の指がそっと塞いだ。

そして、ゆっくりと――彼は、咲耶の頬へ顔を近づけた。

咲耶の目が見開かれる。

「え……?」

そのまま、時也の唇が、彼女の唇に、触れた。

熱を持った、まっすぐなキスだった。

時間が、音も、空気も、消え去る。

咲耶の中で何かが崩れ落ちた。

胸を締めつけていた後悔も、痛みも、自己否定も――
全部、唇の向こう側で、溶けていった。

言葉なんていらなかった。

この瞬間のすべてが、答えだった。

キスは、すぐに終わった。

けれど咲耶の瞳には、もう涙が浮かんでいた。

「……なん、で……」

「なんで……そんなことするのよ……」

「プロポーズ、じゃない……そんなの……」

「そんなつもりで来たんじゃないって……言ってよ……」

時也は、小さく笑った。

「言いませんよ」

「俺は――あなたを迎えに来た」

「それだけです」

咲耶の両目から、大粒の涙がこぼれた。

まるで、子どものように。

「もう……知らない……」

「勝手に……連れてってよ……」

「私、もう……抵抗なんかしない……」

そのまま、彼女は時也の胸に身を預けた。

静かに、静かに、嗚咽が漏れた。

◆◇◆

寂滅会の術者たちは、誰一人として動けなかった。

かつて自分たちの教義に従っていた少女が、ただひとつの感情によって救われた――

それは、彼らの教義そのものを否定する出来事だった。

「……無粋だが」

玄翁が結界を破りながら、ぼそりと呟く。

「こりゃ、完全に持ってかれたな」

琥珀が笑って煙を吹いた。

「案外、あの坊や……やるじゃない」

白磁の君は、鈴をそっと振った。

音が空気を震わせ、咲耶の封印が解かれていく。

「おかえり……」

彼女が、小さく呟いた。

咲耶はその声に気づき、微かに笑った。

「ただいま……」

その言葉が、あやかしの記憶にも、月詠堂にも、刻まれた。

◆◇◆

――数日後。

再建された月詠堂には、かつてと同じように木の看板が掲げられていた。

「月詠堂」

その横には、新たな札がぶら下がっている。

「※店主多忙のため、やかましい店員が対応いたします」

そのやかましい店員――咲耶は、接客に手を焼いていた。

「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」

「……え? あなた、元・寂滅会の……」

「“元”をつけるなら、せめて『月詠堂の看板娘』って呼びなさいよ!」

「か、看板娘……?」

「そうよ!」

奥で帳面をつけていた時也が、ため息をついた。

「……看板、出してませんけど」

「じゃあ今から描くわよ、でかいやつ!」

琥珀が笑いながら煙を吹く。

「すっかり、べた惚れねぇ」

「……言わないで」

咲耶は耳まで真っ赤になりながら、白磁の君の手を取って、商品の棚へ向かう。

白磁の君は静かに微笑んだ。

「ここが……いちばん、あたたかい」

時也は帳面を閉じた。

そして、店内を見渡しながら、ふっと息を吐いた。

「真夜中の後悔(リグレット)も、悪くなかったですね」

咲耶が、くるりと振り向いて言った。

「“今”を悔いないように、生きるしかないもの」

その言葉に、誰もが何も返さなかった。

それが、すべてだったから。

(完) 
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