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第1話:深夜0時の紅茶会
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時刻は、深夜0時を過ぎたところだった。
都会の喧騒が遠くにしぼんでいくこの時間、裏通りの古びたビルの一階に、ひっそりと灯る明かりがある。看板も出ていないティールーム──その名も「月影庵(つきかげあん)」。
営業開始は、日付が変わったちょうどその時から。
閉店は、夜が明ける少し前。
常識から外れた営業時間に加え、目立った宣伝もせず、場所も路地裏のそのまた奥ときている。知らない者にとっては、ここは「存在していない店」と同じだった。
しかし、それでも夜な夜な人が集まってくるのは、きっとここに「語られざる何か」があるからだろう。
カラン……と、小さな鈴の音が鳴った。
古びた木製のドアが、静かに開く。
入り口に現れたその女を見て、店主のツキミは思わず手を止めた。
黒いレースの喪服、つばの広い黒い帽子、真珠の首飾り──どこをどう見ても、葬式帰りとしか思えないその出で立ち。
「いらっしゃいませ……」と、ツキミはゆっくり声をかけた。店は彼女が一人で切り盛りしている。女は無言でカウンター席に腰を下ろすと、黒い手袋を外し、ゆっくりと手を組んだ。
「アッサムを。ミルクは後でいいわ」
はじめて聞く声は、低く、けれどもどこか品のある声音だった。
「かしこまりました」
ツキミは一礼し、奥の棚から紅茶缶を選び出した。
カップを温め、ポットに湯を注ぐ。香ばしく甘やかな香りが、静かな店内に広がる。
カウンター越しにその女をちらりと見やる。
姿勢が良く、背筋はぴんと伸びている。年齢は……見た目だけなら三十代半ばくらいだろうか。だが、彼女のまとう空気にはそれ以上の歳月を感じさせる「影」があった。
──おかしい。
ツキミはそう思った。
今日は雨も降っていないし、葬式なんて近隣でなかったはず。それに、深夜に喪服でティールームへ来る意味とは?興味がふくらみすぎて、鼻の奥がむずがゆくなる。
紅茶を出すと、女は一口啜り、うっすらと微笑んだ。
「丁寧なお仕事ね。これなら、きっと“あの人”も喜んだと思うわ」
「“あの人”?」
「あら、あなたはまだ知らないのね」
女はくす、と笑った。
「今日、午前二時ごろ。南区の高台通りで、一人の男が転落死するわ。マンションのベランダからね。落ちる瞬間、彼は『ああ、またか』と言うでしょう」
──話が奇妙すぎて、ツキミは耳を疑った。
「えっ、それ……知り合いの話ですか?」
「いえ、ただの“通りすがりの死”よ。でも、誰かが覚えていてあげないと、死ってほんとうに死んでしまうから」
それ以上何も言わず、女は再びカップに口をつけた。
静かな時間が流れる。ティーカップがソーサーに当たる音、壁の時計の秒針、ティーポットからしたたり落ちる湯の音──。
「名前を、伺ってもいいですか?」と、ツキミは言った。
「シズカよ」
「お名前も、雰囲気にぴったりですね……」
「ええ。よく言われるわ、“死”みたいだって」
軽口とも、冗談ともつかないその言い方に、ツキミは黙った。
その晩、他に客は現れなかった。
シズカは一時間ほどを静かに過ごし、ぴたりと深夜一時を指す時計の音と共に席を立った。
「美味しかったわ。あなたの淹れる紅茶は、記憶に残る」
「それは光栄です。また、よろしければ……」
「ええ、きっとまた来るわ」
黒い傘を開いて、静かに路地の奥へと消えていったその姿は、まるで黒い絹のように滑らかだった。
***
朝。
ツキミは新聞を読んでいて、思わず紅茶を吹き出しそうになった。
『南区高台通りで転落死 自殺の可能性』
時間は午前二時。
転落したのは四十代の会社員男性。
ベランダの手すりを乗り越えたところを近隣住人が目撃していたらしい。
シズカが語った“死”と、全てが一致していた。
──偶然?
だが、あの語り口はまるで目撃したようだった。
いや、それとも……予知?あるいは、彼女が──。
「まさかね……」
ツキミは自分に言い聞かせるように首を振る。
しかし、胸の奥でくすぶる興味と、不気味さが混ざった何かは、紅茶の香りのように、しつこく残り続けていた。
***
夜がまた来る。
ティールーム「月影庵」の明かりが灯る。
0時の鐘が鳴るころ、今日も扉がそっと開かれる。
そして、そこに立っていたのは──。
都会の喧騒が遠くにしぼんでいくこの時間、裏通りの古びたビルの一階に、ひっそりと灯る明かりがある。看板も出ていないティールーム──その名も「月影庵(つきかげあん)」。
営業開始は、日付が変わったちょうどその時から。
閉店は、夜が明ける少し前。
常識から外れた営業時間に加え、目立った宣伝もせず、場所も路地裏のそのまた奥ときている。知らない者にとっては、ここは「存在していない店」と同じだった。
しかし、それでも夜な夜な人が集まってくるのは、きっとここに「語られざる何か」があるからだろう。
カラン……と、小さな鈴の音が鳴った。
古びた木製のドアが、静かに開く。
入り口に現れたその女を見て、店主のツキミは思わず手を止めた。
黒いレースの喪服、つばの広い黒い帽子、真珠の首飾り──どこをどう見ても、葬式帰りとしか思えないその出で立ち。
「いらっしゃいませ……」と、ツキミはゆっくり声をかけた。店は彼女が一人で切り盛りしている。女は無言でカウンター席に腰を下ろすと、黒い手袋を外し、ゆっくりと手を組んだ。
「アッサムを。ミルクは後でいいわ」
はじめて聞く声は、低く、けれどもどこか品のある声音だった。
「かしこまりました」
ツキミは一礼し、奥の棚から紅茶缶を選び出した。
カップを温め、ポットに湯を注ぐ。香ばしく甘やかな香りが、静かな店内に広がる。
カウンター越しにその女をちらりと見やる。
姿勢が良く、背筋はぴんと伸びている。年齢は……見た目だけなら三十代半ばくらいだろうか。だが、彼女のまとう空気にはそれ以上の歳月を感じさせる「影」があった。
──おかしい。
ツキミはそう思った。
今日は雨も降っていないし、葬式なんて近隣でなかったはず。それに、深夜に喪服でティールームへ来る意味とは?興味がふくらみすぎて、鼻の奥がむずがゆくなる。
紅茶を出すと、女は一口啜り、うっすらと微笑んだ。
「丁寧なお仕事ね。これなら、きっと“あの人”も喜んだと思うわ」
「“あの人”?」
「あら、あなたはまだ知らないのね」
女はくす、と笑った。
「今日、午前二時ごろ。南区の高台通りで、一人の男が転落死するわ。マンションのベランダからね。落ちる瞬間、彼は『ああ、またか』と言うでしょう」
──話が奇妙すぎて、ツキミは耳を疑った。
「えっ、それ……知り合いの話ですか?」
「いえ、ただの“通りすがりの死”よ。でも、誰かが覚えていてあげないと、死ってほんとうに死んでしまうから」
それ以上何も言わず、女は再びカップに口をつけた。
静かな時間が流れる。ティーカップがソーサーに当たる音、壁の時計の秒針、ティーポットからしたたり落ちる湯の音──。
「名前を、伺ってもいいですか?」と、ツキミは言った。
「シズカよ」
「お名前も、雰囲気にぴったりですね……」
「ええ。よく言われるわ、“死”みたいだって」
軽口とも、冗談ともつかないその言い方に、ツキミは黙った。
その晩、他に客は現れなかった。
シズカは一時間ほどを静かに過ごし、ぴたりと深夜一時を指す時計の音と共に席を立った。
「美味しかったわ。あなたの淹れる紅茶は、記憶に残る」
「それは光栄です。また、よろしければ……」
「ええ、きっとまた来るわ」
黒い傘を開いて、静かに路地の奥へと消えていったその姿は、まるで黒い絹のように滑らかだった。
***
朝。
ツキミは新聞を読んでいて、思わず紅茶を吹き出しそうになった。
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シズカが語った“死”と、全てが一致していた。
──偶然?
だが、あの語り口はまるで目撃したようだった。
いや、それとも……予知?あるいは、彼女が──。
「まさかね……」
ツキミは自分に言い聞かせるように首を振る。
しかし、胸の奥でくすぶる興味と、不気味さが混ざった何かは、紅茶の香りのように、しつこく残り続けていた。
***
夜がまた来る。
ティールーム「月影庵」の明かりが灯る。
0時の鐘が鳴るころ、今日も扉がそっと開かれる。
そして、そこに立っていたのは──。
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