五寸釘零子は、呪いを受け入れない

naomikoryo

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第一話:呪いの森と、五寸釘の巫女

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 山奥にひっそりと佇む神社。
 名を鵺乃杜神社という。

 その鳥居をくぐると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
 季節は春。
 人里の桜はすっかり散っていたが、この社の境内には遅咲きの山桜が舞っている。
 風に乗って、ひらり、ひらりと花弁が舞い、石段に積もっていた。

(……ここで、本当に願いが叶うの?)

 相良朱音(さがらあかね)は、心の中で問いかけるように境内を見渡した。

 誰もいない。
 鳥居をくぐってからというもの、通りすがりの参拝客すら一人も見かけない。

 だが、SNSではこう書かれていた。

「失恋した女が行くといい。呪いを叶えてくれる巫女がいる」
「本当に五寸釘を打つらしい。怖かったけど、スッキリした」
「誰にも見えない森がある――見えたら終わり」

 最初はバカバカしいと思った。
 だけど、何をしても前に進めないまま三ヶ月。
 浮気相手と結婚した元カレの笑顔が脳裏に焼き付き、朱音はとうとうここまで来てしまったのだ。

 境内の奥。
 社務所の縁側に、一人の女性が座っていた。

 白い巫女装束に身を包み、長い黒髪を垂らしている。
 顔は、前髪の陰にほとんど隠れていてよく見えない。
 彼女は何をするでもなく、ぼうっと空を見上げていた。
 時間だけがゆっくりと流れている。

 朱音は思いきって声をかけた。

「……あの、すみません」

「はいぃ?」

 女が、のそりと顔を上げた。
 間近で見ると、異様に肌が白い。
 前髪の隙間から見える片目は氷のように澄んでいるが、焦点は合っていないようだった。

「ご、ごすんくぎ……れいこさん……ですか?」

「んん? はぁい、五寸釘零子、でございます~。ようこそ、呪詛の館……あ、違う、神社へようこそぉ~」

 呂律の怪しい返答。
 なんとも頼りない巫女だった。

(え……ほんとにこの人が、噂の?)

 朱音の戸惑いを余所に、零子は縁側からひょこっと立ち上がり、長い髪をすっとまとめて高く結った。
 すると、前髪が持ち上がり――顔が、現れた。

 その瞬間、朱音の身体がびくりと震えた。

 整った顔立ち。
 だがそれ以上に、目が、異様だった。
 まるで、底なしの井戸を覗いたような、吸い込まれるような冷たさと深さ。
 理屈ではない、本能が警鐘を鳴らした。

「……呪いに、来たのでしょう?」

「……はい」

 朱音は、気づくと手を合わせていた。

「話を聞かせて」

 零子は声のトーンを落とし、ゆっくりと社務所の中へ朱音を誘った。

 



 

 畳の間に正座する二人。
 掛け軸には「因果応報」とある。

「彼の名前は、高橋修。私は彼と五年付き合っていました。結婚の約束もしていました。なのに、ある日突然、“他に好きな人ができた”って言われて」

 朱音の声は震えていた。
 零子は頷きながら、静かに筆を走らせている。

「その好きな人っていうのが、私の後輩なんです。私が彼を紹介してあげた子。なのに、その子も裏切って……私の前で、堂々と腕を組んで歩いてたんです」

 目に涙が浮かぶ。

「苦しくて、悔しくて、死にたくなって……でも死ぬのは悔しい。だから、せめて、あの二人を」

「呪いたい?」

 零子の声は、まるで冷気のようだった。

「……はい」

 その言葉を聞いた瞬間、部屋の空気が変わった。

 畳の下からじわじわと何かが滲み出るような、重たく湿った気配。
 零子が立ち上がり、棚から黒い箱を持ち出す。
 箱の中には、真新しい藁人形と、太く鋭い五寸釘が二本、丁寧に並べられていた。

「この人形に名前を込め、呪詛を打ち込めば、三日後に“兆し”が訪れるでしょう。ですが、その後に戻ることはできません」

「……構いません」

 朱音は力強く頷いた。

「では」

 零子が人形を持ち、目を閉じる。
 言葉が呪文のように紡がれる。

「此処に、怨念こもる器を成し……五寸の釘にて魂を貫く」

 その瞬間、背後の障子が風もないのに「バンッ」と音を立てて開いた。
 びっくりして振り返ると、そこに一匹の猫がいた。

 白い毛並み、左右色の違うオッドアイ。
 無言で、朱音を見つめている。

「この猫は?」

「式神よ。彼は、見極めるために来たの。あなたが本当に呪うべき者を、分かっているかどうか」

「……え?」

「あなたが呪おうとしているのは、彼とその子。でも、本当に憎んでいるのは、“見捨てた自分”なのでは?」

 零子の声が、凍りついた部屋に響いた。

「あなたは、自分の全てをかけて愛した。それが否定された。だから、呪いたい。でもそれは、愛に裏切られた自分を、否定したくてしているだけでは?」

 朱音の目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

「呪いは、祈りと似ている。誰かを殺したくなるほどの気持ちは、本当は“どうか気づいてほしい”という願いでもある」

「……じゃあ、私は……私はどうすればいいの……」

 朱音の震える声に、零子は静かに人形をしまった。

「あなたが選びなさい。呪うこともできる。でも、それが終わった後、何が残るかを考えて」

「……」

「それでも、三日後にもう一度来たら。その時は、私が代わりに五寸釘を打ってあげる」

 



 

 三日後。朱音は戻ってこなかった。

 零子は、縁側で一人お茶を啜りながら、春風に散る桜を見上げていた。

 その横で、猫のカラクリが喉を鳴らすように「フウ」と鳴いた。

「見えた? あの子には、結界の向こうが。――うん、じゃあ、まだ呪うには早いってことね」

 結界の奥。
 誰の目にも見えない森の中、無数の藁人形が打ち込まれた木々が、風もないのにゆらゆらと揺れていた。

 

(私は、呪いを叶えるのではない。呪いを“見せる”だけ)

(それでも、打ちたいと言うのなら――私は、迷わず、五寸釘を打つ)

 

そして、今日もまた、ひとりの女が社を訪れる。

五寸釘零子は、静かに髪を結い上げ、彼女の目を見る。

 

(続く)
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