五寸釘零子は、呪いを受け入れない

naomikoryo

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第二話:喪服の女と人形の木

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 午前十一時。
 まだ陽の高い時間だったが、空気には異様な湿り気があった。

 その女は、喪服を着ていた。
 黒のワンピースに黒のパンプス。
 襟元には真珠の一粒ネックレス。
 明らかに、神社に参拝する格好ではない。

 しかし、彼女の眼差しは、尋常でなかった。
 理性と感情、そのどちらも過剰に燃えすぎた末に、もはや冷たく沈殿してしまったような――
 言うなれば、「狂気の直前」である。

 その女、野々宮凛音(ののみや りんね)が、鵺乃杜神社を訪れたのは、そんな空気が漂う日のことだった。

 



 

「失礼いたします」

 はっきりとした口調だった。
 震えも、迷いもない。

 社務所の縁側では、五寸釘零子が、うたた寝をしていた。
 今日も、前髪が顔を覆い、まるで仮面のように人を寄せつけない。

 凛音は一礼してから、まっすぐ彼女の前に座った。

「……あなたが、五寸釘零子さんですね」

「ふぁぁぁ……あぃ。はいぃ~。ようこそ、呪詛と純情のスピリチュアル・ジャパネスクへぇ……」

 超脱力系の返答。

(……噂通りの変わり者、か)

 凛音は冷めた目で巫女を観察した。
 だが、零子がゆっくりと髪を結い始めたその瞬間――空気が変わる。

 高く結われた髪の奥から現れた顔。
 目元には、尋常でない気配が宿っていた。
 澄んでいる。
 だが、澄んでいるからこそ、怖い。
 底がない。
 感情という濁りを許さない、完全なる無垢の目。

 零子は目を逸らさずに言った。

「呪いを願いに来たのですね」

「はい」

「詳細を」

 凛音は語り始めた。
 感情を排しているつもりだったが、言葉は自然と濁っていった。

「私は、婚約者に裏切られました。二年付き合って、プロポーズまでされました。両親にも紹介済みでした。それなのに彼は、式の一ヶ月前に、突然いなくなった。理由も言わず、ただ一通のメールだけで、“すまない”と」

 拳を握る指先が白くなる。

「後になって知りました。彼は、職場の部下と……式の準備期間中から関係を持っていたんです。しかも、今はその女と同棲中。私は、笑い者です。会社も辞めました。友人にも、何も言えませんでした」

「……あなたが呪いたいのは、彼ですか? それとも、その女ですか?」

 凛音は少し考えた。

「両方です」

 零子は、何も言わずに立ち上がる。
 そして、小さな棚を開き、二体の藁人形を取り出した。
 初めから用意されていたかのようだった。

 次に、布に包まれた長い鉄釘。
 どれも五寸を優に超える、太くて黒い、まるで血を吸ったかのような釘。

 凛音は、身を乗り出した。

「これが……」

「はい。呪詛の器です」

 零子が膝の前に藁人形を置くと、どこからともなく、風が吹いた。
 部屋の中にもかかわらず、凛音の髪がゆらりと揺れる。

「これから、名前を込めます。名前を言ってください。フルネームで」

 凛音は、少し躊躇った。
 だが、口にした。

「……南條敬。そして、山岸愛里」

 零子はそれを一度だけ繰り返すと、藁人形の頭に軽く触れた。

 その瞬間――人形の目が、開いたように見えた。

 凛音は息を呑んだ。
 空気が変わる。
 畳が軋み、室内の温度が下がっていく。
 どこか遠くから、金属の擦れるような音が聞こえた気がした。

「では、結界に入りましょう」

「けっかい……?」

 零子は立ち上がり、凛音を社務所の裏へと誘った。
 そこには、普通の目には見えない“裏参道”があるという。

 



 

 そこは、静寂の森だった。

 鳥の声も、風の音もしない。
 ただ、しんと冷えた空気だけが、皮膚の奥を這っていく。

 見上げると、木々がどれも奇妙に歪んでいる。
 だが、それ以上に異様だったのは――

 木々の幹に、びっしりと打ち込まれた藁人形の数々。

 それは本来、結界の外からは絶対に見えないものだった。
 だが、今、凛音には見えている。

 ひとつ、またひとつ。

 誰かが打った無数の五寸釘が、木を黒く染め、呻くような音を立てている。

「ここが、呪詛の森です」

 零子が釘と藁人形を取り出し、一本の古木の前に立つ。

「選びなさい。打つか、やめるか。これは、誰にも委ねられない選択です」

 凛音は、躊躇いなく一歩踏み出した。
 藁人形を手に取り、釘を握る。

 だが、その瞬間――視界の端で、何かが蠢いた。

 彼女が振り向くと、そこにいたのは猫だった。
 真っ白な毛並み、オッドアイ。
 昨日の夢に出てきたような錯覚に襲われる。

 猫が、凛音をじっと見つめていた。

「……あなたも、見てるの?」

 凛音は釘を構えた。
 だが、手が震える。
 零子が静かに言った。

「あなたがこのまま打てば、その男と女は、三日以内に“不幸”を受けます。事故、破局、病――方法は選べません。ですが、呪ったあなたも、代償を払います」

「……代償?」

「呪いとは、祈りの裏返し。誰かを呪うには、同じだけの痛みを“自分”にも与えることになる。あなたは、それを望みますか?」

 凛音は、釘を持ち上げた。
 だが、その手は、動かない。

 目を閉じると、彼の笑顔が浮かんだ。
 あの時間。
 確かに、あったはずの愛情。
 傷つけられた。
 裏切られた。
 許せない――でも。

(私は、本当にこの人を殺したいの?)

 ふ、と肩から力が抜けた。

 手から釘が落ちる。

 凛音はその場に膝をつき、泣き崩れた。

 



 

 社務所に戻った凛音は、零子に頭を下げた。

「……ありがとうございました。私は、打たなくて良かった」

「はい」

 零子はそれだけを言って、人形を焼却用の箱に入れた。

 凛音が去った後、零子は一人、呪詛の森の奥を見つめた。

 そこに――一本だけ、誰にも見えない黒い人形が、木の幹に突き刺さっていた。

 

(あなたは、まだ来る。きっと、もう一度)

 

五寸釘零子は、その闇を見据えていた。

 

(続く)
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