五寸釘零子は、呪いを受け入れない

naomikoryo

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番外編②:最初の藁人形

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 五寸釘零子が、初めて五寸釘を手にしたのは、
 父が亡くなってから、
 まだ一年も経っていない頃だった。

 

 葬儀の記憶は、
 不思議と、
 音がない。

 

 泣き声も。
 読経も。
 雨の音も。

 

 すべて、
 遠くで起きていた出来事のように、
 思い出される。

 



 

 神社は、
 変わらなかった。

 

 鳥居も。
 拝殿も。
 境内の木々も。

 

 変わったのは、
 人の配置だけだ。

 

 父が立っていた場所に、
 もう、
 誰もいない。

  

(……いない、
 というのは)

 

(こんなにも、
 広いんですねぇ)

 

 零子は、
 縁側に座りながら、
 ぼんやりと思った。



 母は、
 以前よりも、
 多くを語らなくなった。

 

 泣きもしない。
 嘆きもしない。

 

 ただ、
 神主としての仕事を、
 淡々とこなす。

 

 それが、
 この家の、
 悲しみ方だった。

 



 

 その日。

 ひとりの女性が、
 神社を訪れた。

 

 雨上がりで、
 境内は湿っている。

 

 女性は、
 傘を持ったまま、
 立ち尽くしていた。

  

「……あの」

 

 声は、
 震えていた。

 

 母が、
 静かに対応する。

 

「ご用件は」

 

 女性は、
 一瞬、
 言葉を探し、
 やがて、
 絞り出すように言った。

 

「……呪いを」

 

 その言葉を聞いた瞬間、
 零子の胸が、
 わずかに跳ねた。

 

(……これが)

 

(噂で、
 聞いていたもの)

 

 母は、
 女性を社務所の奥へ通した。

 

 零子は、
 呼ばれるまで、
 外で待つ。

 



 

 しばらくして、
 母が戻ってきた。

 

「……零子」

 

 静かな声。

 

「来なさい」

  

 社務所の中。

 女性は、
 畳の上に座り、
 俯いている。

 

 肩が、
 小さく揺れていた。

 


「……この方は」

 

 母が言う。

 

「自分では、
 選べないそうよ」

  

 零子は、
 意味をすぐには、
 理解できなかった。

 

「……零子」

 

 母は、
 真っ直ぐに娘を見た。

 

「あなたが、
 決めなさい」

  

(……私が)

 

 心臓が、
 重く鳴る。

  

 女性が、
 顔を上げた。

 

 泣き腫らした目。

 けれど、
 怒りだけは、
 はっきりと宿っている。

 

「……あの人を」

 

 女性は、
 零子を見て言った。

 

「不幸に、
 してほしい」

 

(……ああ)

 

(これは、
 逃げ場がない)

 

 零子は、
 直感的にそう思った。

 



 

 藁人形は、
 すでに用意されていた。

 

 母が、
 無言で差し出す。

 

 五寸釘も。

 

 零子は、
 それを受け取った。

 

 思ったより、
 重い。

 

(……これを、
 打つ)

  

 女性は、
 息を詰めて見ている。

 

 この一撃で、
 すべてが変わると、
 信じて。

 

 零子は、
 藁人形を見つめた。

 

 人の形。
 雑な作り。

 

 それでも、
 そこには、
 強い「向き」がある。



(……この人は)

 

(本当は、
 どうしたい)

  

 零子は、
 五寸釘を、
 藁人形の胸に当てた。

 

 手が、
 震える。

 
 

(……怖い)

 

 だが。

 

(……逃げたら、
 もっと怖い)

 



 

 そのとき。

 

「……やめても、
 いいですか」

 

 零子は、
 ぽつりと、
 言った。

  

 女性が、
 顔を上げる。

 

「……え?」

 


「やめても、
 いいですよぉ」

 

 零子の声は、
 自分でも驚くほど、
 静かだった。

 

「……打たなくても」

 

 沈黙。

 

 女性の顔が、
 歪む。

 

「……ここまで来て」

 

「……それは、
 ないでしょう」

 
 怒り。

 失望。

 そして、
 わずかな恐怖。

  

 零子は、
 分かった。

 

(……この人は)

 

(打たれたあとも、
 ここに、
 縛られる)


 だから。

 
 零子は、
 五寸釘を、
 打たなかった。

 
 代わりに、
 藁人形を、
 そっと伏せた。

 
「……今日は、
 やめましょう」


 女性は、
 しばらく、
 動かなかった。

 

 やがて、
 小さく、
 嗚咽を漏らす。

 

「……分かりません」

 

「……どうすれば」

 

 零子は、
 答えなかった。

 

 答えを、
 持っていなかったからだ。

 



 

 その夜。

 

 母と、
 二人きり。

 

「……いいの?」

 

 母が、
 尋ねた。

  

「……分かりません」

 

 零子は、
 正直に答えた。

 

 母は、
 小さく、
 笑った。

 

「それでいい」

  

「呪いは、
 正解じゃない」

 

 その言葉は、
 零子の中に、
 静かに沈んだ。

 



 

 翌朝。

 

 藁人形は、
 森の奥に、
 そっと置かれた。

 

 五寸釘は、
 まだ、
 打たれていない。



 それが、
 最初の藁人形だった。

 

 成就しなかった呪い。

 

 だが。

 

 零子にとっては、
 それが、
 始まりだった。

  

(……受け入れない)

 

 その言葉は、
 まだ、
 形を持っていなかった。

 

 だが、
 確かに、
 ここにあった。

 



 

 五寸釘零子は、
 その日、
 初めて知った。

 

 呪いを、
 打たないという選択が、
 どれほど重いかを。

 

 そして。

 

 それでも、
 打たないと決めた、
 自分自身を。
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