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番外編②:最初の藁人形
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五寸釘零子が、初めて五寸釘を手にしたのは、
父が亡くなってから、
まだ一年も経っていない頃だった。
葬儀の記憶は、
不思議と、
音がない。
泣き声も。
読経も。
雨の音も。
すべて、
遠くで起きていた出来事のように、
思い出される。
◆
神社は、
変わらなかった。
鳥居も。
拝殿も。
境内の木々も。
変わったのは、
人の配置だけだ。
父が立っていた場所に、
もう、
誰もいない。
(……いない、
というのは)
(こんなにも、
広いんですねぇ)
零子は、
縁側に座りながら、
ぼんやりと思った。
母は、
以前よりも、
多くを語らなくなった。
泣きもしない。
嘆きもしない。
ただ、
神主としての仕事を、
淡々とこなす。
それが、
この家の、
悲しみ方だった。
◆
その日。
ひとりの女性が、
神社を訪れた。
雨上がりで、
境内は湿っている。
女性は、
傘を持ったまま、
立ち尽くしていた。
「……あの」
声は、
震えていた。
母が、
静かに対応する。
「ご用件は」
女性は、
一瞬、
言葉を探し、
やがて、
絞り出すように言った。
「……呪いを」
その言葉を聞いた瞬間、
零子の胸が、
わずかに跳ねた。
(……これが)
(噂で、
聞いていたもの)
母は、
女性を社務所の奥へ通した。
零子は、
呼ばれるまで、
外で待つ。
◆
しばらくして、
母が戻ってきた。
「……零子」
静かな声。
「来なさい」
社務所の中。
女性は、
畳の上に座り、
俯いている。
肩が、
小さく揺れていた。
「……この方は」
母が言う。
「自分では、
選べないそうよ」
零子は、
意味をすぐには、
理解できなかった。
「……零子」
母は、
真っ直ぐに娘を見た。
「あなたが、
決めなさい」
(……私が)
心臓が、
重く鳴る。
女性が、
顔を上げた。
泣き腫らした目。
けれど、
怒りだけは、
はっきりと宿っている。
「……あの人を」
女性は、
零子を見て言った。
「不幸に、
してほしい」
(……ああ)
(これは、
逃げ場がない)
零子は、
直感的にそう思った。
◆
藁人形は、
すでに用意されていた。
母が、
無言で差し出す。
五寸釘も。
零子は、
それを受け取った。
思ったより、
重い。
(……これを、
打つ)
女性は、
息を詰めて見ている。
この一撃で、
すべてが変わると、
信じて。
零子は、
藁人形を見つめた。
人の形。
雑な作り。
それでも、
そこには、
強い「向き」がある。
(……この人は)
(本当は、
どうしたい)
零子は、
五寸釘を、
藁人形の胸に当てた。
手が、
震える。
(……怖い)
だが。
(……逃げたら、
もっと怖い)
◆
そのとき。
「……やめても、
いいですか」
零子は、
ぽつりと、
言った。
女性が、
顔を上げる。
「……え?」
「やめても、
いいですよぉ」
零子の声は、
自分でも驚くほど、
静かだった。
「……打たなくても」
沈黙。
女性の顔が、
歪む。
「……ここまで来て」
「……それは、
ないでしょう」
怒り。
失望。
そして、
わずかな恐怖。
零子は、
分かった。
(……この人は)
(打たれたあとも、
ここに、
縛られる)
だから。
零子は、
五寸釘を、
打たなかった。
代わりに、
藁人形を、
そっと伏せた。
「……今日は、
やめましょう」
女性は、
しばらく、
動かなかった。
やがて、
小さく、
嗚咽を漏らす。
「……分かりません」
「……どうすれば」
零子は、
答えなかった。
答えを、
持っていなかったからだ。
◆
その夜。
母と、
二人きり。
「……いいの?」
母が、
尋ねた。
「……分かりません」
零子は、
正直に答えた。
母は、
小さく、
笑った。
「それでいい」
「呪いは、
正解じゃない」
その言葉は、
零子の中に、
静かに沈んだ。
◆
翌朝。
藁人形は、
森の奥に、
そっと置かれた。
五寸釘は、
まだ、
打たれていない。
それが、
最初の藁人形だった。
成就しなかった呪い。
だが。
零子にとっては、
それが、
始まりだった。
(……受け入れない)
その言葉は、
まだ、
形を持っていなかった。
だが、
確かに、
ここにあった。
◆
五寸釘零子は、
その日、
初めて知った。
呪いを、
打たないという選択が、
どれほど重いかを。
そして。
それでも、
打たないと決めた、
自分自身を。
父が亡くなってから、
まだ一年も経っていない頃だった。
葬儀の記憶は、
不思議と、
音がない。
泣き声も。
読経も。
雨の音も。
すべて、
遠くで起きていた出来事のように、
思い出される。
◆
神社は、
変わらなかった。
鳥居も。
拝殿も。
境内の木々も。
変わったのは、
人の配置だけだ。
父が立っていた場所に、
もう、
誰もいない。
(……いない、
というのは)
(こんなにも、
広いんですねぇ)
零子は、
縁側に座りながら、
ぼんやりと思った。
母は、
以前よりも、
多くを語らなくなった。
泣きもしない。
嘆きもしない。
ただ、
神主としての仕事を、
淡々とこなす。
それが、
この家の、
悲しみ方だった。
◆
その日。
ひとりの女性が、
神社を訪れた。
雨上がりで、
境内は湿っている。
女性は、
傘を持ったまま、
立ち尽くしていた。
「……あの」
声は、
震えていた。
母が、
静かに対応する。
「ご用件は」
女性は、
一瞬、
言葉を探し、
やがて、
絞り出すように言った。
「……呪いを」
その言葉を聞いた瞬間、
零子の胸が、
わずかに跳ねた。
(……これが)
(噂で、
聞いていたもの)
母は、
女性を社務所の奥へ通した。
零子は、
呼ばれるまで、
外で待つ。
◆
しばらくして、
母が戻ってきた。
「……零子」
静かな声。
「来なさい」
社務所の中。
女性は、
畳の上に座り、
俯いている。
肩が、
小さく揺れていた。
「……この方は」
母が言う。
「自分では、
選べないそうよ」
零子は、
意味をすぐには、
理解できなかった。
「……零子」
母は、
真っ直ぐに娘を見た。
「あなたが、
決めなさい」
(……私が)
心臓が、
重く鳴る。
女性が、
顔を上げた。
泣き腫らした目。
けれど、
怒りだけは、
はっきりと宿っている。
「……あの人を」
女性は、
零子を見て言った。
「不幸に、
してほしい」
(……ああ)
(これは、
逃げ場がない)
零子は、
直感的にそう思った。
◆
藁人形は、
すでに用意されていた。
母が、
無言で差し出す。
五寸釘も。
零子は、
それを受け取った。
思ったより、
重い。
(……これを、
打つ)
女性は、
息を詰めて見ている。
この一撃で、
すべてが変わると、
信じて。
零子は、
藁人形を見つめた。
人の形。
雑な作り。
それでも、
そこには、
強い「向き」がある。
(……この人は)
(本当は、
どうしたい)
零子は、
五寸釘を、
藁人形の胸に当てた。
手が、
震える。
(……怖い)
だが。
(……逃げたら、
もっと怖い)
◆
そのとき。
「……やめても、
いいですか」
零子は、
ぽつりと、
言った。
女性が、
顔を上げる。
「……え?」
「やめても、
いいですよぉ」
零子の声は、
自分でも驚くほど、
静かだった。
「……打たなくても」
沈黙。
女性の顔が、
歪む。
「……ここまで来て」
「……それは、
ないでしょう」
怒り。
失望。
そして、
わずかな恐怖。
零子は、
分かった。
(……この人は)
(打たれたあとも、
ここに、
縛られる)
だから。
零子は、
五寸釘を、
打たなかった。
代わりに、
藁人形を、
そっと伏せた。
「……今日は、
やめましょう」
女性は、
しばらく、
動かなかった。
やがて、
小さく、
嗚咽を漏らす。
「……分かりません」
「……どうすれば」
零子は、
答えなかった。
答えを、
持っていなかったからだ。
◆
その夜。
母と、
二人きり。
「……いいの?」
母が、
尋ねた。
「……分かりません」
零子は、
正直に答えた。
母は、
小さく、
笑った。
「それでいい」
「呪いは、
正解じゃない」
その言葉は、
零子の中に、
静かに沈んだ。
◆
翌朝。
藁人形は、
森の奥に、
そっと置かれた。
五寸釘は、
まだ、
打たれていない。
それが、
最初の藁人形だった。
成就しなかった呪い。
だが。
零子にとっては、
それが、
始まりだった。
(……受け入れない)
その言葉は、
まだ、
形を持っていなかった。
だが、
確かに、
ここにあった。
◆
五寸釘零子は、
その日、
初めて知った。
呪いを、
打たないという選択が、
どれほど重いかを。
そして。
それでも、
打たないと決めた、
自分自身を。
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