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第3章 死者の都

黄泉へ 1

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「はい、東です。……ええ、まだ所内……えっ?」帰りがけの東を一本の電話が引き止めていた。彼の事務所となっているIMC階下、総合情報解析室に引き返した東は、自席の端末を立ち上げると、すぐにニュース番組を呼び出す。突然の出来事に困惑を隠せない避難者たち、消火活動に向かうレスキュー隊。カメラは黒々と立ち登る煙を捉えている。電話の相手が伝えてきたとおり、厳かな20周年慰霊祭は、一転、無惨な火災現場と化していた。

「……今、ニュース見てます。所長、いったい何が?……えっ、インナーノーツを……わ……わかりました」

間もなくその通話が切れると、すぐ様、同じ通信端末でインナーノーツに緊急集合コールを送り、続けてこの時間でも<アマテラス>格納庫に、まだ居るであろうアルベルトに繋いだ。アルベルトが、東の左手に形成された光ディスプレイに間を置かず現れる。

「ふん、来ると思ったよ。慰霊祭だろ?ありゃ、どう見たってIN-PSIDうちの案件だ」アルベルトの背後から東のテレビと同じ音声が聞こえる。

「部長、<アマテラス>は?すぐ動かせますか?」「ああ、ここ二日ばかし、お出かけがなかったからな。メンテナンスはばっちりだ」

「ありがとうございます、では早速、スタンバイを」「おうよ」慌しく動き出す気配を残して、アルベルトはディスプレイから姿を消した。

机に置いたデジタルフォトディスプレイが、ふと東の目に止まる。

スライドショーで数分おきに写真がランダムに入れ替わる。奇しくもスライドショーが21年前、JPSIO水織川研究所で撮影した写真をピックアップしていた。完成した<セオリツ>をバックに、風間直哉の研究チームで撮った静止画の写真だ。直哉、藤川、アルベルト、そして東と彼の同期の研究生が2人(彼らは現在、EUとアメリカのIN-PSID支部にいると聞いている)の、たった6人の研究チームだった。東はふとフォトディスプレイを手に取る。

「……風間さん……あなたの命日だというのに……」

写真の直哉は、晴れやかな微笑みのまま東を見つめていた。

「……ええ、わかっています。あの街をこれ以上は」

そっとフォトディスプレイを卓上に戻すと、緩めていたユニフォームの首元を締め直す。東は足速に解析室を後にした。


ピッ……ピッ……ピッ……

機械的な電子音が、脳内で正確なリズムを刻む。その度に張り詰めた筋肉を否応なく動かさざるをえない。

呼吸は苦悶の色合いを帯びていくが、肉体は痛めつけられるたびに悦びに身悶えする。

あと3カウントでこの「苦行」は1セットを終える。ティムが限界いっぱいに張った両腕で、チェストプレスの圧力を押し込めたその時、メトロノームのカウントを乱す不快なアラームが脳内に鳴り響く。

「チッ!!緊急集合だぁ!?」

腕の支えを失ったウエイトが、鈍い音を立てながら戻っていく。飛び退いて、タオルを引っ掛けながらトレーニングマシンの清掃を急ぐ。

「あらぁ~もうお帰り?」舐めるような目つきで、妙に身体をくねらせる男性インストラクターがティムに擦り寄ってくる。

「え……えぇ。急用で」「そうなのぉ~~残念ねぇ。いいわ、やっといてあ・げ・る」

その"男"は、ティムの腕から滴り落ちる汗を指で掬いとりながら、クリーナーを指先で摘んで、そっと取りあげた。ティムは反射的に触られた腕を引っ込める。

「そ……そうですか。じゃ……じゃあ……よろしく!」ティムは脱兎の如く、その場を去っていった。

「残念だったわねぇ~」「そおよぉ~、抜け駆けはダメよ、センセ」インストラクターとティムのやりとりを遠巻きに見ていた、彼の担当する、幾分とうの立った女性客らがほくそ笑んでいた。

「うっさいわねぇ!はい、あとやっといてちょーだい」「えぇ??」ティムから引き受けた掃除をそっくりそのまま女性客の一人に押し付けると、素知らぬ顔で彼女達のウエイトを一ランクずつ上乗せして回る。

「ちょっ!!ちょっとぉ~~」「お黙り!!ほれ、きぃ~~りきりヤるのよぉ!」男はすっかり厳ついトレーナーの顔に戻っていた。


モニターのグラフィックが不鮮明な靄の中に、黒々とした人のような影を浮かび上がらせている。アランは、更にその影が発っする微量の異質なPSIパルスに絞り込みをかけていくと、それに応じてグラフィックが再構成され、より鮮明な映像を浮かび上がらせた。

「……できたぞ、カミラ」「えっ……」

IN-PSID中枢区画内、PSID対策研究統括室心理課で机を並べているアランとカミラ。インナーノーツの活動時間外は、二人はここの研究員としてほぼ丸一日、研究に没頭している。この時間、二人の他は誰もいない。

前回ミッションの際、<アマテラス>PSIバリアが感知した不審なPSIパルス反応。アルベルトの見立てでは、誤検知ということであったが、彼らの『研究対象』との関連を予期した二人は、研究室へデータを持ち込み、解析に掛けていた。

カミラは、アランの示したディスプレイを覗き込むなり、息を飲んだ。細部までははっきりしないものの、全身を黒衣に包んだ人の形であることは認識できた。カミラは無意識のうちに胸元に手をやると、所内ユニフォームのジャケットの下に忍ばせた何かを握りしめる。

「……ついに見つけたの?……"ヤツら"を……」カミラは結論を急ぐ。

「いや、これだけで断定するのは早い。だが、こいつもインナースペースに存在する"何者か"であることは間違いない」「『エレメンタル』かしら?」「……少し違うようだ……人の魂に近い存在のようだが……」アランは、PSIパルスの解析グラフを睨みながら、幾つかのパターンアルゴリズムを当て嵌めていくが、一致するパターンが見出せない。

「……ダメだな。データベースにはこのパターンに近いものはない……かといって解析できないほど高次の存在でもない……まあ、こいつの正体は調べるにしても、少なくとも"ヤツら"ではなさそうだな……」「……そう」ディスプレイから視線を離すと、カミラは小さく溜息を漏らした。

「……インナースペースの解明は日進月歩の勢いだというのに……"ヤツら"の存在を示す証拠は見つからない……」

「カミラ……」

「けど、居るのよ……"ヤツら"は……『悪魔』は!」うな垂れたカミラの身体が細かく震えている。

「わかっている……俺も確かに"見た"……」アランがカミラの肩へそっと手を乗せかけたその刹那、カミラはその手を払い退けるように背を向ける。

カミラは胸元を握りしめたまま、大きく肩を震わせていた。アランは差し出した手をそっと引き戻す。

「……ごめんなさい……わたしは……まだ……」「……いいんだ……」

その時、二人の脳内に緊急を示すコールが鳴り響く。

「……緊急集合……カミラ!」「…………」
カミラは動こうとしない。

「……カミラ……行こう……今はやれる事をやるだけだ。……"俺達"と同じような苦しみをこれ以上出さないために」「…………」

「……カミラ」「……ええ」
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