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第一章 久遠なる記憶
重なり合う時の中で 3
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『……畏れよ……
…………人の作りしものなど……ちっぽけなものよ……』
『……何だと……』
激しく攪拌される<天仙娘娘>のブリッジに、何度と現れる、あの暗澹に満ちた声が、響いていた。
『……見よ! ……数千年と栄えた、この地も、いよいよ最期の時……
……お前が作った、堰も……堤も……全て無力……
……人は……お前は、負けたのだ……』
PSI-Linkシステムからの、同調するPSIパルスの氾濫が、重苦しい重圧となって、<天仙娘娘>チームの心身にのしかかる。
羅針盤が目まぐるしく回転している。
「ヤ……楊!」
「うっ……く! もう! 羅針盤、答えてヨ‼︎」PSI-Linkシステムからの氾濫に抗い、楊は、ダイレクト接続で自身の念を端末に注ぎ込む。
「うぉおお!」
楊の念に応じたのか、羅針盤の針が次第に針路を定め始めた。
「いける⁉︎」「気合いだ! 楊姐!」
揺れる羅針盤の針に、皆が念を込める。
「来いヤァ‼︎」
磁石に引き寄せられるように、フォログラムの針が一点を指し、楊の八卦盤に、その時空間パラメータが浮かび上がった。
「今です! 緊急転移!」
暗雲の蠢きに包まれた、全周モニターの映像が、揺らいでゆく——
『鯀殿! お気を確かに! 鯀殿』
ぼんやりと映像が回復してくる。
『そ……相柳……』
正面モニターの中で、雷光が、見覚えのある青年の美しい顔立ちを映し出す。だが今度は、その美貌に、<天仙娘娘>の皆は、薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。
『これは……なんの真似だ、相柳!』
フォログラムに浮かび上がる鯀は、木に縛り付けられている様子だ。鯀は、戒めを解こうと身体を捩らせていたが、突如、はっとなって顔を上げた。
『み、都は⁉︎ 娃! 嬉姫‼︎』
ここは、丘の上に設けられた、相柳の陣のようだ。眼下は既に、どこまでも続く、海原のようになっていた。都は、鯀が築いた壁と、王宮の立つ小高い祭祀場が、かろうじて水面に顔を出している。祭祀場に、かき集めた舟に、残された者たちが乗り込もうとしている様子が窺えた。
一方、この北の丘から、都を目指して、急拵えの筏を漕ぎ出し始める、相柳の兵の姿も見える。都の北側の大河も増水し、荒狂う中、無謀な渡河を何度も敢行していた。
『くっ! 相柳! 其方、何をしにここへ⁉︎まさか、この期に乗じて、都を⁉︎』
鯀は、相柳を睨め付け、声を荒げた。
『ふっ……貴方の壁は、よく持ち堪えていましたが、残念ながら……』
『か……壁が……』鯀は、絶句した。
『よもや、これほどの大洪水になろうとは……私にも想定できなかったのです。無理もありません。……もらい受けるクニも、あったものではありませんね……』
『……いや……』鯀は、固く拳を握り締め、言葉を絞り出す。
『いや! ……そんな事にはならぬ!』ブリッジに響く鯀の声の端々が震えている。
『山の手の堰は、万全だ! もうじき、増水は止まる! ……げ、現に其方も! あれは、あの兵達は、都へ向かわせるつもりであろう⁉︎』
『へへ、お宝ですよ、旦那』相柳の影から、小柄な男が顔をのぞかせる。
『ふ、浮遊? いつの間に?』浮遊は、ニタリと口を歪めていた。
『……宝? どういう事だ?』相柳へと視線を戻し、鯀は問う。
相柳は、沈みゆく都の方へと向くと、静かに口を開いた。
『……我が一族も、南都とは遠からぬ縁でしてね。我が一族に伝わる、言い伝えの秘宝。それがこの地にあると……それをこの浮遊に探らせておりました』『あの奥宮には、王族が溜め込んだ玉が、ごまんとあるんすよ。その中には、本来、相柳様が持つべきモノもあるそうで……』浮遊が、ケタケタと笑いながら補足した。
『……古よりの記録を司るといわれる宝玉。持つべきものが持てば、限りない叡智を得る事ができると言われています。できるならば、回収しておきたい代物です』
『はははは! 記録を司る宝玉⁉︎ そんなもの、ここに十年いた儂も、噂の一つも聞いたことがない。ふん……そんな伝説めいた代物を探るため、わざわざ儂を南都に送り込んだと?』
『それも一つです……ですが、私の、真の目的は……』
相柳は振り返り、鯀を見つめる。瞬きのないその視線に、<天仙娘娘>チームの皆は、硬直していた。
『鯀殿……貴方です』
雷光が、相柳の蒼白の顔を、モノクロの彫像に変える。
『⁉︎……儂、だと……⁉︎』
轟音があたりを揺らす。近くに落雷があったようだ。それに動じることなく、相柳は再び、都の方を見遣る。
『おや、都に残った者達もようやく……』
鯀も都の方へと視線を向けた。祭祀の丘から、十数艘の舟が、漕ぎ出している。
『だが、もう遅い……』相柳の口元に、わずかな笑みが浮かんでいた事に、鯀も<天仙娘娘>の皆も、誰一人気くことはなかった。
****
洪水は、西側からだけでなく、荒狂う海の方から、銭塘江を高波が逆流。そこに注ぐ、都南面の運河に、増水と逆流をもたらす。止むを得ず、地中からの水と、雨水を南側に排水していた水門から、水路伝いに流れ込み、都の水没を加速させる。
これは想定外の事態だった。もはや、壁が水を満たす器のようになっているのは、皮肉としか言いようがない。水嵩は増し、容赦なく低地の居住地帯を満たし、もはや高台となっている、王宮のある祭祀場を残すのみ。
時折、祭祀場に打ち付ける高波が、足元を濡らすたびに、皆、女王の言葉を思い出す。
残った者達は、ここから、都南西の丘陵地帯へ向けて舟を出す形になっている。
『急げ! 女、子供から舟に!』
暴風雨の奇声に抗って、声を張り上げる娃の声が、<アマテラス>のブリッジに木霊する。
『嬉姫、さあ貴女も』
鯀との間に生まれた一人娘は、娃の衣服の裾を掴んで離そうとしない。
『嫌! お母様! 私も、お母様と共に!』娘は、瞳に涙を浮かべ母親を見上げている。
『なりません……』フォログラムに映し出されている娃は、今まで、見せた事のない、柔らかな微笑みを浮かべていた。
娘の手にそっと触れる。その手の温かさに、娘は自然と、握った手を広げてしまう。
『貴女は生きて……我らの血と、心を後の世に伝えてください……これを』
懐から取り出した、鯀から貰い受けた大珠を娘の小さな手のひらに置き、そっと握らせた。
『父と母の願い……この大珠に託しました。この石が、きっと貴女を護ります。さあ!』
厳しい顔つきに戻ると、娃は我が子を突き放す。察した漕ぎ手の一人が、片手で娘を抱えると、力づくで舟に押し込んだ。
『嫌! 嫌ぁああ! お母様!』
泣き叫ぶ娘の声に、背を向ける。
フォログラムの娃の毅然とした姿とは対照的に、<アマテラス>の船体が、打ち震えているのを、インナーノーツの皆は、感じとっていた。やるせない思いが、込み上げてくる。
娃が振り向くと、最後まで、宮廷に残った、娃の側近、女官、大老らが、一様に静かに微笑み、毅然と佇んでいる。
『皆を助ける事は、叶わぬようだ……許せ』
『いえ、我らはこの都に生まれ、この都と共にありたいのです』『お供致しますぞ……正大母様』
『すまぬ……』
自分達の運命を察した宮廷の家臣らは、最期の時を、暮らし慣れた宮中を選び、王宮の中へと戻ってゆく。
脱出船団は、ゆっくりと漕ぎ出す。暴風雨に荒れる水面に、舟はなかなか進まない。
『……必ず、皆を無事に……私の命……皆のために……』
娃は、鯀が倭人と共に建てた物見台を見上げた。風雨に揺れながらも、しっかりと根を下ろした六本の柱に支えられた物見台は、決して倒れることはない。娃は、その力強い柱にそっと、手を添え、呼吸を整えた。
…………人の作りしものなど……ちっぽけなものよ……』
『……何だと……』
激しく攪拌される<天仙娘娘>のブリッジに、何度と現れる、あの暗澹に満ちた声が、響いていた。
『……見よ! ……数千年と栄えた、この地も、いよいよ最期の時……
……お前が作った、堰も……堤も……全て無力……
……人は……お前は、負けたのだ……』
PSI-Linkシステムからの、同調するPSIパルスの氾濫が、重苦しい重圧となって、<天仙娘娘>チームの心身にのしかかる。
羅針盤が目まぐるしく回転している。
「ヤ……楊!」
「うっ……く! もう! 羅針盤、答えてヨ‼︎」PSI-Linkシステムからの氾濫に抗い、楊は、ダイレクト接続で自身の念を端末に注ぎ込む。
「うぉおお!」
楊の念に応じたのか、羅針盤の針が次第に針路を定め始めた。
「いける⁉︎」「気合いだ! 楊姐!」
揺れる羅針盤の針に、皆が念を込める。
「来いヤァ‼︎」
磁石に引き寄せられるように、フォログラムの針が一点を指し、楊の八卦盤に、その時空間パラメータが浮かび上がった。
「今です! 緊急転移!」
暗雲の蠢きに包まれた、全周モニターの映像が、揺らいでゆく——
『鯀殿! お気を確かに! 鯀殿』
ぼんやりと映像が回復してくる。
『そ……相柳……』
正面モニターの中で、雷光が、見覚えのある青年の美しい顔立ちを映し出す。だが今度は、その美貌に、<天仙娘娘>の皆は、薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。
『これは……なんの真似だ、相柳!』
フォログラムに浮かび上がる鯀は、木に縛り付けられている様子だ。鯀は、戒めを解こうと身体を捩らせていたが、突如、はっとなって顔を上げた。
『み、都は⁉︎ 娃! 嬉姫‼︎』
ここは、丘の上に設けられた、相柳の陣のようだ。眼下は既に、どこまでも続く、海原のようになっていた。都は、鯀が築いた壁と、王宮の立つ小高い祭祀場が、かろうじて水面に顔を出している。祭祀場に、かき集めた舟に、残された者たちが乗り込もうとしている様子が窺えた。
一方、この北の丘から、都を目指して、急拵えの筏を漕ぎ出し始める、相柳の兵の姿も見える。都の北側の大河も増水し、荒狂う中、無謀な渡河を何度も敢行していた。
『くっ! 相柳! 其方、何をしにここへ⁉︎まさか、この期に乗じて、都を⁉︎』
鯀は、相柳を睨め付け、声を荒げた。
『ふっ……貴方の壁は、よく持ち堪えていましたが、残念ながら……』
『か……壁が……』鯀は、絶句した。
『よもや、これほどの大洪水になろうとは……私にも想定できなかったのです。無理もありません。……もらい受けるクニも、あったものではありませんね……』
『……いや……』鯀は、固く拳を握り締め、言葉を絞り出す。
『いや! ……そんな事にはならぬ!』ブリッジに響く鯀の声の端々が震えている。
『山の手の堰は、万全だ! もうじき、増水は止まる! ……げ、現に其方も! あれは、あの兵達は、都へ向かわせるつもりであろう⁉︎』
『へへ、お宝ですよ、旦那』相柳の影から、小柄な男が顔をのぞかせる。
『ふ、浮遊? いつの間に?』浮遊は、ニタリと口を歪めていた。
『……宝? どういう事だ?』相柳へと視線を戻し、鯀は問う。
相柳は、沈みゆく都の方へと向くと、静かに口を開いた。
『……我が一族も、南都とは遠からぬ縁でしてね。我が一族に伝わる、言い伝えの秘宝。それがこの地にあると……それをこの浮遊に探らせておりました』『あの奥宮には、王族が溜め込んだ玉が、ごまんとあるんすよ。その中には、本来、相柳様が持つべきモノもあるそうで……』浮遊が、ケタケタと笑いながら補足した。
『……古よりの記録を司るといわれる宝玉。持つべきものが持てば、限りない叡智を得る事ができると言われています。できるならば、回収しておきたい代物です』
『はははは! 記録を司る宝玉⁉︎ そんなもの、ここに十年いた儂も、噂の一つも聞いたことがない。ふん……そんな伝説めいた代物を探るため、わざわざ儂を南都に送り込んだと?』
『それも一つです……ですが、私の、真の目的は……』
相柳は振り返り、鯀を見つめる。瞬きのないその視線に、<天仙娘娘>チームの皆は、硬直していた。
『鯀殿……貴方です』
雷光が、相柳の蒼白の顔を、モノクロの彫像に変える。
『⁉︎……儂、だと……⁉︎』
轟音があたりを揺らす。近くに落雷があったようだ。それに動じることなく、相柳は再び、都の方を見遣る。
『おや、都に残った者達もようやく……』
鯀も都の方へと視線を向けた。祭祀の丘から、十数艘の舟が、漕ぎ出している。
『だが、もう遅い……』相柳の口元に、わずかな笑みが浮かんでいた事に、鯀も<天仙娘娘>の皆も、誰一人気くことはなかった。
****
洪水は、西側からだけでなく、荒狂う海の方から、銭塘江を高波が逆流。そこに注ぐ、都南面の運河に、増水と逆流をもたらす。止むを得ず、地中からの水と、雨水を南側に排水していた水門から、水路伝いに流れ込み、都の水没を加速させる。
これは想定外の事態だった。もはや、壁が水を満たす器のようになっているのは、皮肉としか言いようがない。水嵩は増し、容赦なく低地の居住地帯を満たし、もはや高台となっている、王宮のある祭祀場を残すのみ。
時折、祭祀場に打ち付ける高波が、足元を濡らすたびに、皆、女王の言葉を思い出す。
残った者達は、ここから、都南西の丘陵地帯へ向けて舟を出す形になっている。
『急げ! 女、子供から舟に!』
暴風雨の奇声に抗って、声を張り上げる娃の声が、<アマテラス>のブリッジに木霊する。
『嬉姫、さあ貴女も』
鯀との間に生まれた一人娘は、娃の衣服の裾を掴んで離そうとしない。
『嫌! お母様! 私も、お母様と共に!』娘は、瞳に涙を浮かべ母親を見上げている。
『なりません……』フォログラムに映し出されている娃は、今まで、見せた事のない、柔らかな微笑みを浮かべていた。
娘の手にそっと触れる。その手の温かさに、娘は自然と、握った手を広げてしまう。
『貴女は生きて……我らの血と、心を後の世に伝えてください……これを』
懐から取り出した、鯀から貰い受けた大珠を娘の小さな手のひらに置き、そっと握らせた。
『父と母の願い……この大珠に託しました。この石が、きっと貴女を護ります。さあ!』
厳しい顔つきに戻ると、娃は我が子を突き放す。察した漕ぎ手の一人が、片手で娘を抱えると、力づくで舟に押し込んだ。
『嫌! 嫌ぁああ! お母様!』
泣き叫ぶ娘の声に、背を向ける。
フォログラムの娃の毅然とした姿とは対照的に、<アマテラス>の船体が、打ち震えているのを、インナーノーツの皆は、感じとっていた。やるせない思いが、込み上げてくる。
娃が振り向くと、最後まで、宮廷に残った、娃の側近、女官、大老らが、一様に静かに微笑み、毅然と佇んでいる。
『皆を助ける事は、叶わぬようだ……許せ』
『いえ、我らはこの都に生まれ、この都と共にありたいのです』『お供致しますぞ……正大母様』
『すまぬ……』
自分達の運命を察した宮廷の家臣らは、最期の時を、暮らし慣れた宮中を選び、王宮の中へと戻ってゆく。
脱出船団は、ゆっくりと漕ぎ出す。暴風雨に荒れる水面に、舟はなかなか進まない。
『……必ず、皆を無事に……私の命……皆のために……』
娃は、鯀が倭人と共に建てた物見台を見上げた。風雨に揺れながらも、しっかりと根を下ろした六本の柱に支えられた物見台は、決して倒れることはない。娃は、その力強い柱にそっと、手を添え、呼吸を整えた。
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