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#white

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 白は生きているのだろうか。俺にとってこの色は、白は生死が曖昧な色だ。産まれてくるときも、死ぬときも、人は白に包まれる。暴力的な極彩色は俺を脅かす。ただ繊細で微妙なコントラストだけが存在を示す白の世界に、俺は。
 校庭の一角に、シロツメクサが咲いていた。俺はスマートフォンで撮影する。時間を亡くして切り取られた白は、俺を酷く安心させた。学校という喧噪の中の静寂。生と死の境目。俺はここしばらくは死について考えていた。ただ死なずにいられたのは、死の世界へと背中を押す存在がいなかっただけで、歯を磨いて、シャワーを浴びて、服装を整えるという日課の繰り返しが俺を支えていた。死んだら焼かれて白い骨くずになる。その一抹の欲望と向き合うために、俺は白を撮影し続けた。
 校庭から校舎に戻る道すがら、渡り廊下で女生徒が声を荒げていた。相手の男は飄々とした態度で、謝罪ではない「ごめんね」を繰り返していた。
 彼の髪は、真っ白な金髪だった。
 一瞬金髪の彼と視線が交わる。慌てて気配を消して、昼休みが終わろうとしている校舎に戻った。恋は恐ろしいものだ。期待しただけ裏切られる。赤い恋より静寂を――白い無を求めていた。
 教室に戻り、俺は写真投稿型SNSにシロツメクサの写真を載せた。「#white」とだけコメントをつけて。何百枚と投稿し続けた、白い写真たち。フォロワーなどごく少数。見せるためじゃなく、俺の記録として残してあるだけ。今日も生きた、と夏休みにラジオ体操のスタンプカードを押していくような感覚で。
 この世にはたくさんの色がある。人にも、感情にも、色がある。
 俺の色はなんだろう。きっと願えば願うほど、暗くくすんでいくのだろう。

 教師の話を聞いて、真っ白なノートを黒い記号で汚して、俺の一日は終わる。春の風は強く、激しく、熱を持って世界をごちゃまぜにする。強風がガラスを叩いて不安を煽る。空はペールトーンのスクリーンにぽっかり円が切り取られたように輪郭がはっきりとした夕日だった。今日も俺は死ななかった。いつこれが「死ねなかった」に変わるのだろうか。
 教室を出ようとしたそのとき、はっきりとした白が俺の前に現れた。
「この写真、君が撮ったの?」
 真っ白な金髪。淡い虹彩。色のない肌。見覚えがあった。
「ねえ」
 せかす声に彼が突き出す画面を見た。白い小花たちだった。
 俺は思考が追いつく前に肯定した。
「やっぱり。さっき撮影してたもんね。見てたよ」
「彼女と口論しながら?」
 俺の言葉に彼は吹き出して腹を抱えた。
「君、そういうの興味なさそうなのにね」
 どういう意味、と問う前に彼は続けた。
「君の写真、すごくいい。生きてるって感じがする」
「生きてる」
「そう、生きてる」
 彼は俺の目をまじまじと見た。つり目気味の薄い虹彩の瞳、細い鼻筋、少しだけ色付いた薄い唇。そして彼を縁取る髪は、限りなく白に近い金髪だった。指定の水色のシャツの上に白いオーバーサイズのカーディガン。紺色のスラックスはゆるく腰に引っかかっているだけだった。
「その髪は地毛?」
「ううん、ブリーチしてる」
 彼は白い髪をくるくると指に巻き付けて遊んだ。
「似合ってるでしょ?」
 俺は素直に肯定した。彼は美しいから。彼こそ「生きてる」白だ。
「でも校則違反だ」
 そんなの関係ないよ、と彼は答えた。
「僕は僕のルールで生きている。僕によって縛られた世界でね」
 これから帰るところ? と尋ねられたので、少し黙って職員室に寄ると嘘を吐いた。
 彼は、そっか、と立ち去った。スマートフォンを確認すると、SNSのフォロワーが一人増えていた。名前は、ハタノだった。

 金髪の彼、ハタノがいなくなったのを確認して校門から出ると、空は濃紺で明星が光っていた。夕闇の中で、ゆっくりとフィルムが回るように過去のことが再生される。
 俺には好きな人がいた。肉体的な感情も含む性愛の意味で。好きな人は同じクラスの男子。つまりは同性だった。愚かな俺は、素直に気持ちを伝えることが誠実さだと思っていた。それが正しいことで、伝えてけじめをつけることが美徳なのだと思っていた。それは、無知故の行為だった。
 俺は当然のごとくふられて、思い出したくもないような罵声を浴びせられ、二度と顔も見たくないと彼は志望校を変えて俺とは別の高校に進学した。いつまでも乾かない、熱を含んだ傷が俺の中心に横たわっている。ときたま傷が疼いて、赤血球が微かに混ざった血漿が流れ出るのを俺は感じていた。
 星空を嫌うように俺は早足で帰った。彼と一緒に見た星空は、もう二度と同じ眼で見ることはないのだから。

「やっほ」
 次の日の昼休み、白い髪の男子――ハタノが教室に顔を出した。彼の金髪は人の視線を集めた。俺も彼から目を逸らせない一人だった。
「一緒にご飯食べよ」
 俺の席の前の椅子を勝手に借りて、机に菓子パンを置く。
「なんでお前と」
「昨日、フラれちゃったからね」
 唇を緩く結んで笑うハタノは、昨日の出来事にまつわる感情を持ち合わせていないように見える。この男の中には乾かない傷などないのだろうか。簡単に付き合えて、簡単に別れる。まるで弱いマグネットのように。剥がれる痛みも知らずに。
「フラれたからって、なんで俺なの」
「綺麗な白だから、じゃ、ダメ?」
「俺のことじゃないだろ」
「君の視覚が綺麗だということだよ。君がものを見たとき見える色と、僕がものを見たとき見える色は違う」
「認識論か」と言うと、話が早くていい、と彼は俺の短い髪に触れた。立った髪がしなって頭皮に触覚が伝わった。俺は手を振り払う。
「超能力者じゃない限り、感じているものを百パーセント同様に伝えることはできない」
 ハタノはメロンパンの袋を破って咥える。本当にここでご飯を食べていくらしい。
「そうだろうな。感覚や感情を言葉で伝えても、相手は相手が持っている言葉の辞書で感情を検索する。一つとして同じ感情などない」
 同じ感情になれたらいいのに、と彼が呟くのを、俺は聞かないでいた。
「ねえ」
 呼ばれて視線を上げると、俺の唇に彼の唇が触れていた。
「今のは同じ感覚?」
 薄い色の虹彩が挑戦的にきらめく。
 誰にも見られてないから安心してね、と彼は言い残し、食べかけのメロンパンをコンビニの袋に戻して立ち去った。
 柔らかさと熱だけが、俺の中に残った。

 帰りのホームルームを終えると、またあの男子が待っていた。教室の前にしゃがんで。
「お前、ホームルームは」
「面倒だから出なかった」と彼は答えて、俺の腕に身体を絡ませた。ホワイトムスクの香りがする。香りまで白いなんてできすぎだ、と俺はこの男の存在を余計に不可解に思った。真っ白な世界から来た妖精か、はたまた天使か、悪魔か。
「あんまりくっつくなよ、はしたない」
 彼は心底おかしそうに笑った。
「男同士にはしたないとかあるの?」
「あるんだよ」と俺が振り払うと、今度は背中に抱きついてきた。知り得ることができなかったぬくもりがそこにある。俺が手に入れられなかったものを彼はたやすく与える。
「言うくせに本気で振り払ったりしないんだね」
 俺は何も言い返せなかった。俺の中でさざ波から岩が顔を出すように嫌悪感が現れる。俺が欲しかったのはあの人の体温で、香りで、感触で。こんな知らない奴の体温に安心している自分の浅ましさに一抹の怒りすら覚えた。
「人の臭いがする。いいね」
「いいねじゃない、離れろ」
 俺はずかずかと歩き出す。彼の腕がもう一度俺の腕に絡みついたが、振り払えない俺の弱さをあの人に叱ってほしかった。
「ねえ、一緒に写真撮りに行こうよ」
 彼の口調は甘かった。首筋を唇が這うようだった。
「なんでお前と」
「いいでしょ。僕は君と視覚を共有したい」
 いい場所知ってるから、と彼は俺の腕を抱きしめてうなじに頭を寄せる。俺は抗えなかった、圧倒的な白を前に。

 白に導かれた先は、美術室だった。春のくすんだ空から様々なものが巻き上げられた風が消えない絵の具の匂いを洗っていた。
「こっちだよ」
 ハタノはズボンから鍵を出して美術室の奥にある扉を引いた。
「なんで鍵」
「僕、美術部の部長だから。幽霊部員だけど」
 幽霊部員の部長なんて初めて聞いた、と言うとみんな幽霊部員で好きな場所で描いているから、と彼に説明された。縛られないことは存在しないことと同じなのではないのだろうか、とまで思考しているうちにハタノに手を引かれて美術準備室に案内された。
「この白は生きている?」
 目の前には石膏像がいくつか乱雑に並んでいた。誰がモデルなのか分からない、真っ白な頭。ウェーブした髪。引いた顎に高い鼻。何も写さない瞳が心を不安にさせた。
 俺はスマートフォンを取り出して指でピントを合わせ、シャッターを押す。微かな陰影だけが造形を映し出す白が切り取られた。
「やっぱり、君の白は生きてるよ」
 ハタノは俺の背中に体温を与えた。乾かない傷が開いて、透明な血液がぽたりと落ちた。
「あのさ、僕と付き合わない?」
 俺は恐怖から彼を振り払った。積まれたカンバスの上にハタノの細い身体が打ち付けられる。
「なんで、いつ知ったの」
「何を?」
「俺が、ゲイだってこと」
「今、言われるまで知らなかったよ」
 ハタノはカンバスの海に身体を沈めたまま、ゆっくり天井に手を伸ばした。やがてその手は何も掴むことなくだらりと下ろされ、彼はくっくと笑った。
「何にも知らないよ。相手がどんな性別を好きになる人か分からなくても、僕は触れたいと思ったら触れる」
「マグネットのように?」
 ハタノはさらにおかしそうに笑った。
「確かに君は瞬間接着剤みたいだね」
 そんなんだから傷つく、という言葉は俺自身の口から出ていた。
「どうせ遊びなんだろ?」
「うん、そうだよ。高校生の恋愛で本気になってどうするの」
 俺は憮然として、そのまま美術室を後にした。傷から血液が何度も滲む。秦野の笑い声にかき混ぜられた聴覚に罵声が何度も脳内をハウリングして、俺は今日こそ死んでしまおうと思った。でも、踏切を前にして「死ねなかった」を感じた。

 あの男は、ハタノは翌日も俺につきまとった。容易く触れて、匂いを感じて、隣に居る。ハタノと居ても傷つくだけだと知っているのに、圧倒的な白から逃れられない。白い呪いにかかっているかのように。美術準備室で共に昼食をとった。俺は色鮮やかな弁当で、彼は白い菓子パンだった。俺はその手を写真に収めた。ハタノはあまり美味しそうにものを食べない人だと漠然と感じた。
「その髪、教師には怒られないのか」
 ハタノは怒られるよ、と肯定した。
「でもね、有るものを失うより無いものを手に入れる方が難しいんだ、と言うと大体黙る」
「お前は何か失ったの?」
 僕の質問に、ハタノは「たくさん」と答えた。
「失ったものの代わりなんてない。だから、何もない白に惹かれる」
 それは君も同じだろ? と問われて、俺は肯定したくなかった。誰がお前なんかと、と軽く肩を叩いて教室に戻ろうと立ち上がる。
「僕にしときなよ」
 ハタノが俺の腰に抱きつく。
「僕なら君を満足させられる」
 お前の好きは軽すぎる、と俺はティッシュペーパーを振り払うようにハタノの手をほどいた。
「あんまり言うと本気にするからな」
「本気にしてくれていいのに」
 俺はハタノの顎を掴むと小さな口に舌をねじ込んだ。ハタノの息が止まるのが分かる。
「本気ってこういうことだ。男同士でできるのかって聞いてるんだ」
 ハタノはただ、今のは白くないね、と笑った。俺は無性に悲しくなって、急く鼓動が止まってくれることを願った。
 死んでしまいたい。白に還りたい。赤い恋を知る前の俺に。
 帰り道、車道を走る車が俺を轢き殺す想像を何度か繰り返し、家についても、しばらく玄関でうずくまっていた。真っ白な飼い猫が俺の足下にすり寄ってきたので写真に収めた。「#white」とハッシュタグをつけて投稿すると、真っ先にハタノがいいねをつけた。俺があの男の胸に飛び込んだら、この傷はなかったことになるのだろうか。

 白い春が終わり、色鮮やかな初夏が来る。それでも俺は「死ななかった」と「死ねなかった」を繰り返していた。ハタノは気まぐれに俺の前に現れ、触れては笑って立ち去った。色を取り戻した世界から俺は逃げ出すことばかりを考えていた。彼が好きだったもの全部。生きているもの全部。
「ねえ、僕を撮ってよ」
 ハタノがそう切り出したのは、雲が厚い心穏やかな日だった。確かからし入りマヨネーズとハムが挟まったサンドウィッチを食べていたときだ。
「僕も、白いでしょ」
 確かにハタノは真っ白だった。
「人物は撮ったことがない」
「生きているから?」とハタノが問う。
 怖いから、と自分でも驚くほど弱々しい声で呟いていた。
「君が失恋の傷を大事にしているのは分かっているよ。でも、それってそんなに重要なこと?」
「お前に何が分かる。マグネットのくせして」
「さてね。同じ感覚など分からないと話したのは君だよ」
 ハタノが俺の肩を抱き寄せる。
「こうして触れても嫌がらない。君は熱を求めてる」
――彼の代わりだと思えばいいのに。
 そんなことはできない、と咄嗟に叫んでいた。
「彼の代わりなんていない。それに、お前は、お前だろ? 嫌じゃないのか」
「僕は嫌じゃないよ。心まで奪えなくても、人生の中で何か影響を残せるのなら」
 ハタノは俺の耳をついばんだ。欲しかったものが、快楽が俺に触れている。彼の色はどんなだっけ。思い出し色付く。忘れようとしていた極彩色に泣きたくなった。求めていたものはもう手に入らない。
「僕にしときなよ。僕は君を傷つけない」
 ハタノが腕を広げる。首をかしげてせかす彼におずおずと手を伸ばし、腕の中に身体を置く。肩に顎を乗せ、鼓動を重ねる。生きた白に包まれる。俺が求めていた白はこれなのだろうか。なんでこいつになんか安心しているのだろう。なんで満たされているのだろう。
「俺は誰でもよかったのか」
「さあ、僕だからだと嬉しいんだけど」
 俺は恋したあの人のことを思い浮かべた。もしこれが彼の腕の中なら。そこまで考えて、俺はクズだと心から嗤った。死んでしまいたいほど、みじめだった。
「これから撮るのか?」
 ハタノは、今日はダメ、と俺の唇を塞いだ。
「明日、僕を撮ってね」
 ハタノは俺を抱きしめて声なき声で囁いた。

 翌日は雨が静かに降っていて、シルバーグレーの空が窓枠から切り取られていた。俺もスマートフォンで空を撮影する。色がない。白と、ほんの少しの暗闇。青空なんて戻ってこなくてもよかった。雨しか知らない人は「雨」という言葉を作らなかっただろう。俺の心にふさわしい言葉を探さないように。
「やっほ」
 白い金髪の男、ハタノが放課後顔を出す。夏服の白いシャツに腰に白いカーディガンを巻いていた。根元までブリーチされた髪は綺麗にセットされ、ホワイトライオンのようにも見える。そのくせ細い体つきは心許なくて、彼が生きているのか俺には分からなくなった。
「美術室でいいよね」
「幽霊部員じゃなくなるな」
 僕って優等生でしょ、とハタノが言うので、そんなわけない、と数ヶ月ぶりに笑っている自分に気付いた。いつから、なんて野暮なことは考えないことにした。
 美術室に入ると内側から鍵をかけ、カーテンを全て開け放った。白い光りだけが燦々と降り注ぐ。雨はやがて霧に変わり、世界を真っ白に染め上げる。光と影だけの世界で、俺たちは。
 ハタノは軽いスクールバッグを端に置くと、靴と靴下を脱いで木製の天板が一畳ほどの大きさがある机(その机にだけ白いクロスがかけられていた)に立った。ハタノは腰に巻き付けていたカーディガンを落とし、開襟のシャツのボタンを細い指が一つずつ外していく。悲しかったこと、苦しかったこと、一つずつ忘れるように。彼の指が解放する。彼の動き全てから目が離せない。この光景を全て残していたかった。何度も、何度もスマートフォンのシャッターをタップした。全て外すと、ズボンのベルトに手をかけ、黒い下着ごと足から抜き去ってしまう。彼には色がない。傷も、痕も、羽も。
 最後にするりとワイシャツを肩から落とした。俺の目を見て語る。ここには陰影だけが存在し、お前の傷さえも白く塗りつぶしてしまいたい、と。扇情的で、挑戦的な瞳に
「フルヌードを撮るとは思わなかった」
「だって僕は、白いから」
「だからって下の毛まで無いとは思わなかった」
 剃ったから。とハタノは熱のある声で答えた。おずおずと、俺は近づく。ひと、と彼の頬に触れた。水のような冷たさの奥に血潮が流れている。これが俺の求めていた白なのだろうか。
「どんなポーズで撮る?」
 ハタノが両頬を上げて微笑む。挑戦的にきらめく虹彩は、俺に逃げ道はないのだと語っていた。

「君は何で白を撮るの?」
 布の上で交わりながらハタノの写真を撮り続けた。身体が熱い。ハタノはどこも白かった。髪も、肌も、爪も。唯一とろとろと液を流し続けるペニスの先だけほんのりと熟れていた。質量をもったそこはシャッター音がする度に震えて透明のものを吐き出した。
「わからない」
 俺は素直に答えた。
「わからないけれど、白いものをみていると安心する」
 そう付け足すと、ハタノの脚を持ち上げて膝の裏を撮る。新しいおもちゃを前にした表情のハタノの顔が膝越しに写った。
「人は死ぬと真っ白になるだろ? それがいいんだ」
「白に還る」
「その表現いいね」
 俺はハタノのペニスに触れてみた。俺にもある器官なのだけれど、どうしても同じものとは思えなかった。顔を近づけて、舌を伸ばしてみた。海水のような味がした。
「原始的な味だ」
「男に舐められるのは初めてだよ」
「口に男女差はない。個人差はあるけど」
「そうみたい」
 縁に溜まった液体を舐め取ると、唇で皮を剥いた。白くない、赤の性がそこにはあった。
「そこは白い?」
「いや」
 赤い、と俺は答えた。俺は欲していた。ハタノを。赤い恋を。
「性は白くないんだね。それでも、君は欲しいと思う?」
「欲しい、よ」
 俺の喉がごくりと鳴る。触れていたい。彼の熱に、血潮に、赤に。
 それなら、とハタノが俺の膨らんだ股間を軽く膝で押した。
「キモチイイことは、一緒の方がいいでしょ?」
 それからしたことは俺が彼に対して望んでいたことなのかは分からない。けれど俺らが持つ命の半分は、白く濁っているのだと知った。

 布を敷いただけの机の上で、俺たちは抱き合っていた。
「ハタノ、俺ってお前のこと好きなのかな」
 ハタノは腹を抱えて笑い出した。
「そんなんだから傷付くんだよ。君は真面目すぎる」
「じゃあハタノはどうなんだ」
 そうだねえ、とハタノは腕で瞳を覆っていた。左の口角が上がる。
「別に僕は面白そうな奴と一緒に居られたらそれでいい。大体高校生の恋愛なんてくっついたり離れたりの繰り返しでしょ? いちいち将来とか想いとか考えてないよ。今は今が楽しければそれでいい。だから別に恋愛として好きとかはない」
 放り投げられた言葉が、槍となって俺に降り注ぐ。そして、自覚する。
「俺はハタノのこと、好きだった」
 俺の頬に濾過された血液が落ちた。怖い。皮膚を無理矢理引き剥がされるような感覚は忘れもしない。傷は化膿して、疼いて、今もまだ乾かずにいる。
 俺は身体を丸めて声を押し殺して泣いた。久しぶりだった。怖い。触れたら紙やすりみたいに俺の心はでたらめに削り取られる。
 ハタノは起き上がって俺を抱きしめた。あたたかくもつめたくもない、人の香りがするだけの個体だった。柔らかく、俺を包む。言葉にならない声を上げ続けて俺は泣いた。
「大丈夫、変われなくてもいい。恐怖を克服する必要も無い。君は君のままでいい」
「なんなんだよ。お前は何がしたかったんだよ」
「何も。ただ一緒に居ることに理由や覚悟は必要?」
――だから君は自分を許しなよ。
 ハタノは俺の耳を噛んで、日の落ちた美術室で嗚咽する俺を抱きしめていた。

 電気をつけてから服装を整えるハタノがこんなことを話した。
「僕には赤がわからないらしい」
「らしい、って何」
「君と僕の見ている世界は違うってことだよ」
 よく分からないな、と俺は答えた。
「きっと誰にも分からないよ。君の心の痛みが僕には分からないように」
 とても退屈な世界だよ、とハタノは白い髪を指で梳いた。
「それでも、君の撮る白はとても綺麗だ」
 それだけは分かるんだ。
 ハタノは言い残すと俺の前から立ち去った。誰にも貼り付くこと無く、彼は彼なりの居場所を探していた。
 SNSのフォロワーが一人減り、「#white」とタグをつけた写真には、もうハタノからのいいねが付くことはなかった。
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