イケメン警視、アルバイトで雇った恋人役を溺愛する。

楠ノ木雫

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◇19

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 聞こえてくるパトカーのサイレンの音。そして、トレンチコートの男は駆け付けた警察官達に引き渡されたのだった。

 一瞬見えた、マスクの下の顔。


「……えっ」

「チッ」


 この人、私が今働いているカフェの、常連さんだ。いつも、テーブル席に座ってはコーヒー一杯を頼んで何時間も滞在している方。

 知ってるやつかと湊さんに聞かれ、頷いた。でも、この人はそんなに親しい人ではない。そもそも、私はあのカフェで働き始めて1週間経ったくらいだ。


「アンタがいつもあの客の男と楽しく話してたからだろっ!! それにこの男誰だよっ!! 俺というものがいながらっ!!」

「えっ……」

「あんなに笑顔を見せてくれてたんだ、俺の事が好きなんだろっ!! だったらもっと俺に尽くすべきだろっ!!」


 この人のでたらめな発言に、私は寒気を覚えた。私は、そんな事をしただろうか。ただ、店員として客に接してきたはずだ。もちろん、この人に対する好意は一切ない。

 あの客の男、というのは……いつもカウンターに座る佐々木先輩の事だろうか。これはとんだ誤解だ。

 すると、腕を引っ張られて一歩下げられ、代わりに湊さんが前に出る。


「それ、瑠奈にはっきり言われたのか? それとも自分の妄想か?」


 いきなり口に出したその声に、また、寒気を覚えた。そして、湊さんは男の胸ぐらを掴んだ。いつもよりも低い声で、男にこう言った。


「お前の勝手な妄想を、瑠奈に押し付けるな」

「っ……てめぇ!!」

「さっさと連れていけ」

「はいっ!」


 湊さんはくるっと私の方に向き、抱きしめてきたのだ。どうしてこんな事になっているのだろうと混乱してしまう。


「震えてるぞ」

「……」

「ナイフが出てきたんだ。普通そうなる」


 湊さんがさっき冷ややかだったのもある……わけではないか。確かに、あれは生きた心地がしなかった。けれど、刺されそうになっていたのは私ではなく湊さんだ。それなのに、こうも平然として私を気にかけてくれている。

 警察官というのは危険がつきものだと何となく理解しているけれど……やっぱり強いな、と思った。

 そんな強い彼に抱きしめられているからか、さっきまで寒さを感じていた身体が温まっていくのを感じる。すぐそこで警察の方達がいるのに、離してくださいと声をかけたくないと思ってしまう。

 ……けど。


「あの、湊さん、恥ずかしいのですが」

「離してほしい?」

「はい」


 あっさりと、解いてくれた。向こうにいらっしゃる警察官さん達の方へ視線は向けられないけれど、これ以上恥ずかしい思いはしたくない。

 事情聴取はもう遅い時間だからと明日に持ち越すこととなった。

 そして、私はというと……


「シートベルト、ちゃんとしたか」

「……子供じゃありません」

「自分は立派な大人だと言うのか。じゃあ、大人なら電話にもちゃんと出られると思うんだがな」

「うっ……」


 今度は私が、湊さんに連行されている。乗り慣れた車の助手席に押し込められ、今私の家に向かっている。

 気まずい事、この上ない。


「何故電話に出なかったんだ」

「……」

「俺の事は嫌いか?」

「あ、いえ、そういう事ではなく……」

「じゃあ何だ?」

「……」


 何となく、怒っていらっしゃるように聞こえる。

 一体何とお答えすればいいんだ。


「……いや、その、もうアルバイト期間は終わって、私はお役御免になりましたから……」

「アルバイトが終われば電話をすることすら許されないのか」

「……いや、その、矢野さんは警視ですから……」

「矢野さん?」

「……いや、だって、もうアルバイト終わってますし……」

「アルバイトアルバイト言うけど、それやめないか」

「えっ……」


 気が付けば、車は停まっていた。私の住むアパートの駐車場に着いたらしい。早く逃げようと思ったけれど、シートベルトの金具を刺す部分、パックルが大きな手で押さえられてしまっていた。目の前には、彼の顔がある。

 まるで、逃がさんぞとでも言いたげな顔だった。これは、逮捕された……?


「今まではアルバイトと雇用主の関係だった。だがようやくそれも終わった。なら、ただの知人だろ」

「……」


 まぁ、それもそうだ。ただの知人。


「だが、俺としてはただの知人、では満足いかない」

「……は?」

「矢野警視だなんて、他人行儀も甚だしすぎて腹が立つ」

「……湊さん、で、よろしかったでしょうか」

「よろしい」


 何故だか危機感を覚え、そう訂正させていただいた。まずは早く家に帰還したい。となると、早くシートベルトを外させてほしいのだが、一体どうしたらいいのだ。


「次。萩本警視長に何を言われた」

「……」

「金をやるから身を退けと言われたのか」

「……おっしゃる通りでございます」

「だろうな。あのカードがあれば誰でも分かる。で? それを聞いて、はい分かりましたとでも答えたのか?」

「……いえ」

「じゃあなんて?」

「……本人から聞くまで、私は何もしません、とお答えしました……」


 断った事に、警視長さんはだいぶお怒りだったから、今更ではあるけれど大丈夫だったのかとだいぶ不安ではある。他にもだいぶ煽りまくったし。けれど、それは言わないでおこう。あとが怖い。怖いもの知らず、とでも言われそうだし。


「本人から聞くまで、ね……」


 そう呟く湊さんは……冷ややかな目でこちらを見てくる。何か気に障ったようだ。一体何が不味かったのだろうか。


「他には?」

「えっ」

「言え」


 ……湊さんは、一体どこまで分かっているのだろうか。さすが、エリート警視。きっと刑事の時もだいぶ活躍したんだろうなぁ。


「……湊さんは、その歳でエリート警視だから、逸材で、私はただの一般人だから……それぞれ見合った相手の方がいい、と……あっ、私としては、自分で選ぶ権利はあると思ってますっ!!」


 湊さんの視線に何故か寒気を感じるのはどうしてだろうか。これでは家に帰してもらえるのはもっと遅くなってしまいそうだ。もう目の前にあるのにぃ……


「その、自分の人生は自分のものですから……でも、他人の人生を邪魔するのは間違ってるとも思ってます。その人が輝ける未来を邪魔するのは……私も、嫌です。だから……」

「俺の人生にお前は邪魔だと、そう言いたいのか」


 改めてそうはっきり言われると、何故か悲しくなってしまう。ただのアルバイトだったはずなのに。けれど、自分が一般人だという事は変えられない事実だ。私のせいで、彼が警察をやめてしまうのは間違ってる。


「それは誰が決めたんだ」

「えっ」

「今、言ったよな。自分の人生は自分のものだって。なら、自分の人生の中で関わりたい人物も、自分が決めていいって事だろ」


 確かに、そうだ。そういう事に、なる。


「なら、俺はお前と関わりたい。そう思うのは、許されない事か? それとも、お前が嫌だと思ってるのか?」

「あ、いえ……でも、湊さんは警察官として頑張ってますし……」

「国民を守るのが俺達の仕事だろ。その国民と関わっちゃいけないって誰が決めたんだ」

「……でも」

「でも?」

「……私、湊さんに、警察、やめるって、例えでも、言わせちゃった、から……」

「……それは、お前が言わせたわけじゃない。確かにあれは例えだ。だが、萩本警視長への脅しで言っただけであって、俺が警察官を辞めることはあり得ない」


 でも、辞めさせられちゃうんじゃ。と、言おうとしたけれど遮られた。

 頬に、彼の大きな手が添えられる。


「守りたい存在が、出来たから」

「えっ……」

「今までは、この日本を、国民を守りたい。そう志していたが……一番に守りたい存在が出来た」


 親指で、頬を撫でてくる。その部分が、とても熱く感じた。

 湊さんの、私を見つめる視線が、柔らかかった。先ほどまでの、冷たい視線なんて、どこにもない。


「警察官をやっていてよかった、と思った。守りたくても、守れる力がなければ、ただ何も出来ず見ている事しか出来ないから。さっきも、警察官じゃなければあのナイフで殺されていた」

「……」


 そうだ。私は、ナイフが出てくるなんて微塵も思っていなかった。もし、警察官じゃない湊さんに助けを求めていたら、今は救急車で病院まで連れていかれていたところだ。

 彼が警察官だったから、今は何事もなくここにいる。


「だが、警察官にもかかわらず俺の勝手でずっと嘘を吐いていた。お前にも嘘を吐かさせていた。これでは警察官失格だ」


 私達が吐いていた嘘。それは、私がアルバイトで恋人役を演じていた、という事。確かに、同僚さん達、そしてあの萩本警視長にまで嘘を吐いていた。


「なら、嘘を本物にしてしまえば、吐いたことにはならない」

「えっ……」

「嘘だらけだったこの関係を、本物にしたいんだ。ダメか?」


 あのお見合いの日から始まった、3ヶ月間の嘘。これを、本物にしたい。それは、本物の恋人関係を築きたいという事。

 そんな事をして、いいのだろうか。


「もっと、瑠奈の近くにいたい」

「……」

「もっと、独占したい。そして、俺が瑠奈を守りたい」

「……」


 そう言ってくる、という事は……守る存在は、私だと、いう事でいいのだろうか。

 そう、期待してもいいのだろうか。でも、私を見るその顔は、そうだと言っているように感じる。


「……どうして、ですか?」

「……」

「私達……3ヶ月ですよね。会って」


 そう、出会ってから3ヶ月しか経ってない。会う頻度は多かったけれど、この人は私の事をよく知らないし、私も知らない事は沢山あるはずだ。


「……まだ気付かないのか」

「え?」


 気付かない、とは一体どういうことなのだろうか。何か、見落としている事でもあっただろうか。

 そう思っていると、ポケットからスマホを出し操作し出した。そして、画面を向けてくる。映っているのは、写真だろうか。男女二人が映っていて……その内の女性、いや、女子は私のよく知る人物だった。


「……真紀ちゃん?」

「俺の妹」

「……マジ?」


 つい、そんな言葉が出てしまった。
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